「これが、カギ………?」
「え? うん………。 一応」
 私は唖然として、ほのっちの横顔に目を向けた。
 鳥居の真下で身を屈めた彼女は、柱の根元を熱心に見つめ、“施錠”の具合を確かめている。
 いたって真面目な表情だ。
 それに倣い、改めてじっくりと観察する。
 藁座の部分にペタペタと、小さな紙片のような物が何枚も貼り付けてあるのだけど、これはどう見ても
 「プリだよね?」
 「プリですね」
 写っているのは御祭神のあの女神と、なにか得体の知れない影のようなもの。
 「これ、心霊写真………」
 見たままを率直に述べたところ、ほのっちが吹き出した。
 「いやちが……っ。 これ、あの方のお兄さん」
 「え?」
 「そう、お兄さん……。 沖さんね? あのヒト落ち着きがなくって。 あと、妹思いっていうか、妹さん大好きだから」
 つまり、あれだろうか?
 大好きな妹神とプリを撮れるというんで、テンションがぶち上がった結果、こういう絵面になってしまったと。
 「この辺りだと、どこだろ?」
 「ん、モールですかね? 栄市の」
 「こっちには無いもんね? 撮れるとこ」
 偶像崇拝という概念がある。
 神仏の姿形を模した像や絵画などを、崇敬の対象と見做す考え方であるが、これはそういったものに近い性質を持っているそうだ。
 「魔除けになる感じ?」
 「うん。 陽の気配もバチバチなんで、かなり強力ですよ」
 たしかに、暗然たる陰の気を纏うモノにとって、この笑顔は眩しすぎるのかも知れない。
 善からぬモノがふらりと立ち寄ったとしても、たちまち回れ右を余儀なくされるだろう。
 しかし、これはどう見ても
 「心霊写真………」
 続けて、境内の隅に移動したほのっちは、後腰から抜き出した小刀の鎬を使って、瑞垣の天辺を端から順番にチャンチャンと打ち始めた。
 警備強化との事らしいが、実際にどういった作用があるのか、素人目には判らない。
 「“終わりはあるよ?”って、教えてあげる感じかな………?」
 「終わり…………」
 「人間には、必ず終わりがあるじゃないですか? いや、変な意味じゃなく」
 テンポ良く作業を進めながら、彼女はこちらを見ずに続けた。
 「でも、きちんと歩けてる。 終わりが来るって分かってるのに、毎日をちゃんと生きてる。 それが人間の強さなんですよ」
 そんな風に評されるのは、決して心外とは言わないが、何となく面映い。
 ゴールがあるから歩いていける。
 そういう考え方も出来るのではないか。
 「でも、私たちは……」と、手を止めた彼女は、そこでやっとこちらに目を向けて、力なく笑った。
 どことなく、自嘲を感じさせる表情だ。
 “自分たちはケダモノだから”と、あの夜、己を嘲った結桜ちゃんの顔が、不意に思い起こされた。
 「終わりのない連中に、こうやって終わりの気配を匂わせる感じかな……? ぜったいビビるでしょ?」
 すぐに単調な作業を再開したほのっちは、そのように説明を加えた。
 物騒なことを言っているが、その背中がいつもより小さく見える。
 たしかに、自身を不死身と信じて止まない者が、急に目先に“了”を突きつけられた場合、その者が感じる恐怖は計り知れないものがあるだろう。
 気掛かりなのは、“了”を扱う彼女はどうなのかという事だ。
 終わりのないモノに終わりをチラつかせ、時には手ずからそれをくれる。
 その心労は、果たしてどれ程のものか。
 これまでの道々を想い、あの夜を思う。
 私を呑み込もうとした呪いの壁を、彼女は迷いなく真っ二つに両断した。
 迷いなく、真っ二つに。
 もう、そんな事をさせてはいけない。
 あの細い肩に、これ以上の重荷を積むわけには。
 「こっちの方は、ちょっと足元悪いんで」
 境内の北側を占める杜の前で、彼女はひとまず私に待ったをかけた。
 「大丈夫。 ちゃんと望月さんの目が届く所にいますから」
 そう告げて、独りで木々の合間へ踏み込んでゆく。
 どうやら、こちらの拙い思惑は、疾うに筒抜けだったらしい。
 そりゃ、昨夜からあれだけ警戒心を剥き出しにしていれば、誰でも気づくよねと思う。
 「お前さ、なんか悩んでんだろ?」
 所在なく立ち尽くす私の肩を、幸介が軽く小突いた。
 「え……? なんで?」
 「いやいや! 誤魔化せると思ってるの!?」
 こちらも、何やかんやで察しのいいタマちゃんが、軽妙なフットワークを生かし、さっと退路に立ちふさがった。
 「そっちのほうがビックリだよ!」と、信じられないものを見るような顔つきで言う。
 さすがに、そうだよね………?
 これだけ分かりやすい態度でいれば
 「昨夜から変だったろ?」
 「え?」
 「うん。 帰ってきた時から変だったね?」
 立ち所に、肩の力が抜けた。
 この二人には敵わない。
 「まぁ、隠し事すんのはいいけどさ。 遠慮だけはすんなよ?」
 「そうだよー? 私たちの間で隠し事はなし!」
 「いやいや! いいんだよ隠し事は。 そんなもん誰にでもあんだろ?」
 「えぇ? 幸介なに隠してるの?」
 いつしか、私たちの立ち位置がズレつつあると、そんなことを思うようになっていた。
 あれはみんなで心霊ツアーに出かけた夜、逆立ち女の恐怖について、“ヤバかったね?”という安直な感想に行き着いた後のことだ。
 『けど、モミジのほうがヤバかったか? 体感的には』
 『あー、たしかに! 完全に怪獣だったもんね』
 “いや、こないだの呪いもたいがい”と言いかけて、私は咄嗟に口を噤んだ。
 三人そろって踏み出したはずの“こちら側”で、私だけ先へ先へと。
 ちがう。
 私はたぶん、迷子になりかけていたんだと思う。
 目先の明かりを注視するあまり、周りが見えなくなっていた。
 あの夏、あの池で、しっかりと三人で繋いだ手を、離しそうになっていたのかも知れない。
 「相談、ある………」
 やっとの思いで絞り出した言葉は、我ながらカタコトのようだった。
 これに対し、幼なじみは揃ってニッカリと破顔した。
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