テラーノベル
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避難所は、騒然としていた。
体育館の床一面に、毛布が敷かれている。
負傷者が並び、応急処置が続いている。
消毒液の匂い。
血の匂い。
人の熱気。
それらが混ざり合い、空気を重くしていた。
「次、こっち運んで!」
「水が足りない!」
怒号が飛び交う。
それでも、止まらない。
少しでもその痛みを和らげるために、目の前にある消えそうな命を救うために。
蒼真は、その入り口で立ち止まった。
場の空気に身体が馴染まない。
(……現実、か)
さっきまでの感覚が、遠くなる。
だが、完全には消えない。
胸の奥に、確かに残っている。
「蒼真」
澪が横に立った。
「とりあえず、中入ろ」
手を軽く引かれ、蒼真は無言で頷いた。
ひなは、その反対側。
まだ蒼真の服を掴んだまま離れない。
そして、三人が体育館に足を踏み入れたその瞬間、いくつもの視線が向けられた。
疲れた目。
不安な目。
警戒の目。
その中で一瞬だけ、妙な感覚があった。
(……?)
違和感。
だがすぐに流れていった。
「こっち来て!」
スタッフの声に、澪が反応した。
「はい!」
すぐに返事をして、蒼真の手を引く。
迷いがなく、人の流れに乗る判断が早い。
そのまま、三人は空いているスペースへ誘導された。
「ここで待機してください」
スタッフが言う。
誘導されたのは簡易的な区画で、周囲にも同じように座り込んでいる人たちがいた。
「ひなちゃん、ここに座ろ」
澪は手際よく毛布を広げて、ひなを手招きした。
ひなは小さく頷いて座った。
「水、もらってくるね」
澪は立ち上がった。
「……一人で行くなよ」
蒼真が言った。
無意識だった。
澪は立ち止まって振り返った。
「……大丈夫だよ」
そして、少しぎこちない微笑を浮かべ、
「すぐ戻る」
と言うと、そのまま人混みの中へ消えていった。
蒼真は黙って、その背中を見送った。
(……なんだろうな)
さっきから、妙な違和感が続いている。
言葉にできない。
だが、確実に何かおかしい。
「……おにいちゃん」
ひなの声に、視線を落とした。
「……大丈夫?」
小さいが、真っ直ぐな問いだった。
「……ああ」
短く答える。
でも本当は大丈夫じゃない。
スタッフが近づいてきた。
「すみません」
声をかけてきた。
「お名前、確認いいですか?」
事務的な口調。
当然の流れだった。
避難者の管理と記録。
「大場蒼真」
差し出された声紋認証の端末に向けて、名前を言う。
それで終わるはずだった。
だが。
「……え?」
スタッフの手が止まる。
「もう一度、お願いします」
同じことを繰り返す。
スタッフは手元にあるほうの端末を見ながら、操作した。
それから数秒。
「……該当なし、ですね……」
「……は?」
思わず声が出る。
「いや、そんなわけ……」
「白石澪です」
ちょうどそのタイミングで澪が戻ってきた。
スタッフはすぐに視線を移した。
「確認します」
端末操作。
「はい、確認取れました」
即答だった。
自然で、問題ない流れだった。
しかし、蒼真の名前が……存在しない。
「……ちょっと待って」
澪は、事務的に次々と確認作業を続けていくスタッフを呼び止めた。
「この人も一緒だから。クラスメイトだから」
強い口調に、スタッフは困った顔をした。
「いえ、記録が……」
「でも、いるよ」
澪は一歩も引かず、目を逸らさない。
「ここにいる」
それは、はっきりと事実を押し通す意志だった。
その勢いにスタッフは戸惑う。
「……一時的な不具合かもしれません。後ほど再確認します」
それで終わろうとしたが、スタッフの視線がひなに向いて、一瞬だけ止まった。
(……?)
蒼真はその様子を見ていた。
しかし、その視線は自然に逸れた。
まるで”重要じゃないもの”を見るかのように。
「他に付き添いの方は?」
そのまま澪にだけ聞く。
ひなには、触れない。
完全に”対象外”。
澪は一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに判断した。
「この子、まだ混乱してて」
自然に言葉を差し込んだ。
「落ち着いたら、あとでわたしが連れていきます」
スタッフは、あっさり頷いた。
「ああ、分かりました」
なんの疑いもなく、スタッフはそのまま去っていった。
沈黙が残る。
そのちょっとした騒ぎに、周囲はざわついていたが、澪は無視していた。
「……蒼真」
澪は蒼真のすぐそばに座り、声をひそめた。
「今の……何?」
蒼真は何も答えなかった。答えられなかった。
だが分かっている。
(……始まってる)
消える。
物理的にだけではなく……。
その現象が、もう始まっている。
「……おにいちゃん」
ひなが蒼真の袖口を軽く引っ張った。
「お水、飲む?」
紙コップに入った水を差し出すひな。
もう、震えていない自然な振る舞い。
それが逆に異様だった。
その様子を見ていた澪は、あることに気づいた。
(……なんで)
違和感。
他の人間は、蒼真を認識できない。
しかし、ひなは何も変わらない。
当たり前のように接している。
(……この子だけ、違う)
はっきりとしたズレ……。
「……っ」
蒼真が苦悶の表情を浮かべた。
「蒼真?」
息が詰まる。手を見る。
蒼真は指先に目を凝らした。
さらに、薄くなっている。
「……くそ」
小さく吐き出す。
時間がない。
確実に削られている。
「ひな、知ってるよ」
ひなのあまりにも唐突な言葉に、蒼真と澪は動きを止めた。
「蒼真、おにいちゃんでしょ」
その一言。
それは何よりも確かな現実だった。
しかし、なぜ今、このタイミングで……。
澪は言葉を失った。
理解できない。
(……この子、本当に何者なの)
澪は、じっと蒼真を見つめるひなの横顔を、そっと見ているしかなかった。
体育館の入り口。
人混みの向こう。
一人の男が、静かに立っていた。
腕章を着けた、警備隊の制服。
「……対象、進行確認」
小声で呟く。
そして、視線は蒼真からひなへ移った。
「……例外、確認」
わずかに笑う。
「回収計画、再調整だな」
男は誰にも気づかれないまま、姿を消した。
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