テラーノベル
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夜の体育館は、静まり返っていた。
昼間の喧騒が嘘のように、音が沈んでいる。
人はいる。
だが、動きが少ない。
誰もが疲れ切り、その場に留まっているだけだった。
蒼真は、壁にもたれて座っていた。
右手を持ち上げて、指先を見る。
……薄い。
(……進んでる)
軽く手を握ってみる。
感覚はある。
でも、弱い。
触れているのに、触れていないようなズレ。
「……ねえ」
澪が隣に座り、エナジードリンクの缶を差し出した。
「飲んどきなよ」
「……ありがと」
受け取ると、冷たさがわずかに現実を繋ぎ止めてくれる。
少しの間の後、澪は視線を落としたまま言った。
「……家、連絡ついた?」
静かな声だったが、その一言で空気が変わった。
「……いや」
「そっか」
澪も同じだった。
「わたしも」
スマホを握る。
画面は何度も開かれている。
「全然繋がらない」
通信障害もあるが、それだけじゃない。
どこか、違和感がある。
「……無事だろ」
自分にも言い聞かせるように蒼真が言った。
根拠はない。でも、そう言うしかなかった。
「……うん」
澪は頷いた。
信じるしかない。それが現実だった。
ひなは少し離れた場所で眠っている。
小さな体を丸めて。
呼吸は浅い。時折、震える。
蒼真は静かにその姿を見ていた。
(……家族)
ふと、考える。
この子にも、いるはずだ。
無事なのか?
無事なら探しているはずだ。
親が。家族が。
「……ひなちゃん?」
澪が声をかけた。
ひながうっすら目を開けたからだ。
「……ん」
ひなは、眠そうにゆっくりと上半身を起こした。
「よく眠れた?」
澪の問いに、寝ぼけ眼で返すひな。そして蒼真にすり寄り、服を掴んだ。
そうすると落ち着けるようだ。
「ひなちゃん、家の人は?」
澪が優しく聞く。
ひなは少しだけ考えた。
「……わかんない」
曖昧な一言。だが、それ以上出てこない。
「一緒にいなかったの?」
ひなは首を振った。
「……気づいたら、いなかった」
それだけだった。
どの時点で?
あの爆発事件が起こってから?
それとも、その前から?
澪は言葉を失った。
ひなに対する違和感が一層強くなる。
普通じゃない。でも、追及できない。
「……そっか」
それだけしか言えなかった。
ひなはまた目を閉じた。
そして、またすぐに眠りに落ちた。
その様子を見て、蒼真は視線を逸らした。
(……守らないと)
強く思う。
理由はいらない。
この状況で、一人でここにいる。
それだけで十分だった。
……そのとき。
体育館の空気が、わずかに歪んだ。
ざわめきが、遠のいていく。
(……来た)
蒼真は、ゆっくり立ち上がった。
入り口を見ると、数人の男たちがいた。
昼間と同じ黒装束。
「……なに、あれ」
澪も彼らに視線を向けていた。
しかし、それは微妙にズレている。
「……なんか、変」
目を細める。
一瞬見失い、また見える。
澪からは、そう見えている。
「ちゃんと見えない」
男の一人が前に出た。
「対象、確認」
無機質な声。
蒼真にははっきりと見え、はっきりと聞こえる。
「大場蒼真。同行しろ」
拒否を一切許さない命令口調。
周囲にいる人々は、その男たちの存在にも声にも反応していない。
誰も見ていないし、誰も聞いていない。
(……やっぱりか……)
蒼真は、一歩前に出た。
「……蒼真」
澪が腕を掴んだ。
「ちょっと待って」
混乱している。
「誰あれ?知ってるの?」
「……分かんねえ」
正直に言う。
「でも」
ひなの方を見る。
無防備に眠っている。
「放っとけない」
それだけだった。
澪は黙った。
理解できていない。
でも、蒼真の目を見た。顔を見た。
「……守りたいんでしょ」
蒼真は、少し笑った。
「……まあな」
澪は握っていた手を離した。
「……意味わかんないけど……ちゃんと戻ってきて」
それだけ言うのが限界だった。
蒼真は頷く。
「任せろ」
「大場蒼真!」
男が繰り返した。
「るっせえよ」
蒼真は不快感を全面に出して、振り返った。
「従うわけねえだろ」
「強制同行」
男たちが動いた。
その瞬間に、”現実”から切り離される。
(速い!……)
だが、蒼真の中で完全に決まった。
(守る)
ひなを。
この場を。
それでいい。
「ーー当たるな」
光が満ちる。
音が途切れる。
世界が静まる。
すべてが見える。
(外れる)
攻撃が空を切る。
蒼真は踏み込んだ。削れるのが、はっきり分かる。
それでも、止まらない。
「ーー当たれ」
光が弾ける。
音が消える。
拳が叩き込まれる。
男が吹き飛ぶ。
蒼真ははっきりと選んでいた。
家族がどうなっているか分からない。
世界がどうなっているのかも分からない。
それでも今、目の前にいる命だけはーー
絶対に守ると。
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