テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
この物語はキャラクターの死や心の揺れを含む描写があります。読む際はご自身の心の状態にご配慮ください。
周辺には、特に何も無い。
ひび割れたアスファルト、シャッターが閉まり、「閉店」と書かれた張り紙。
人が居なくなっただけの商店街。
なんでもない、よくある光景。
だが、殺意を持った二人と、窮地に陥った少年少女の姿は、決してよくある光景ではない。
レンの腕の中には、今にも消えかかりそうなイロハがいた。
体重を預け、肩を上下に激しく揺らし、脇腹には深々とナイフが刺さっていた。
さらに最悪なことに、彼女の体には猛毒が回り始めていた。
ぽたぽたと赤い雫が、地面に水玉模様を作り出している。
その様子を、レンは直視できなかった。
目の前には、敵が二人。
一人は、腰あたりまでの長さの黒髪を持った、性別不明の人物。
もう一人は、レンと同い年であろう見た目の、二丁拳銃を持った少年(予想だが、その拳銃はただの拳銃ではない)。
二人は、標的を取り囲んで虐める奴らのような、冷たく見下す視線をレンとイロハに向けている。
例えるなら、狼とうさぎだ。
凶暴な狼と、か弱いうさぎ。
勝敗は、最初から決まっているように見えた。
レンはイロハを支えながら、敵である少年に心奪われていた。
大海原のような瞳。金髪をセンターで分けたその顔立ち。
あまりにも、 知っている。
否。知っているのではなく、友人なのだ。
露草タヨリという名の、中学時代の唯一の友。
だが、彼がI.C.O.の一員だと知ったレンは、頭に血が上ってそのまま喧嘩別れをして以来、会うことはおろか、連絡一本もしていなかった。
最悪の状況下での再会。
しかも、友人は敵。
「タヨ……?」
レンは、友人が本当に友人かを確かめるために、震える声で名を呼んだ。
視線は冷たいし、妙に落ち着いているその姿が、記憶の中の友人の姿とは程遠かったから、安心したいという甘い考えもある。
だが、返答は一直線だった。
「……違うけど。」
たった一言で、すぐ過ぎ去っていく言葉。
それなのに、それを言われた者は酷く動揺する。
レンは、心の中でこう言っていた。
いや、明らかに声が同じだけど。
嘘つくのが下手だな、こいつ。
でも、お調子者がこんな姿になるって、想像できない。
いつもはもっと……。
「自己紹介が、まだだったねぇ。」
性別不明の人物が、優雅に言った。
小さな綻びを滲ませて、胸に手を当てる。
そして、ゆっくり丁寧に頭を下げた。
「私は、コードネーム”ドリミア”。組織の幹部だ。まぁ、すぐ会わなくなるだろうけど。
ーー以後、お見知り置きを。」
ドリミアと名乗った人物は、続けて少年について、代わりに紹介し始めた。
「こっちは、”アネモネ”。幹部の中で一番の最年少だ。
ついこの間まで、双子の幹部が最年少だったんだけど、誰かさんたちにやられちゃって。」
嫌味を含んだ言葉を、二人に突刺す。
レンの腕の中で、イロハの指先が、わずかに動いた。
その動きに気づいたのは、レンよりも先に、敵の方だった。
「……まだ、動けるんだ。」
アネモネが、目を細める。
レンは慌てて視線を落とした。
イロハの手が、ゆっくりと、自分の脇腹へ伸びている。
「やめろ……イロハ……!」
声は震えていた。
制止するには、あまりにも声が小さすぎる。
イロハは、脇腹に深く突き立てられたナイフの柄を、しっかりと握った。
指に力を込めるたび、呼吸がひくりと跳ねる。
毒が回っているせいか、身体の震えは止まらない。
それでも、その瞳だけは、異様なほど静かだった。
「……ごめんなさい。」
誰に向けた言葉かは、分からない。
次の瞬間、
イロハは一気に、ナイフを引き抜いた。
短い、嫌な音。
レンの腕にかかる重さが、一瞬だけ増す。
「――ぐ……っ!」
声にならない声が、イロハの喉から漏れた。
だが、悲鳴は上げなかった。
ナイフは地面に落ち、カラン……と乾いた音を立てて転がる。
レンから離れて、イロハは自分の足で、立った。
ふらつきながらも、確かに立っていた。
「イロハ……!!」
レンが伸ばした手は、彼女の背中に触れる前に、空を掴む。
イロハは、血だらけのナイフを踏みつけてから、
剣を拾い上げた。
毒に侵され、傷を負い、呼吸も安定していない。
それでも、剣を握るその姿は、揺るがなかった。
「……レン。」
初めて、彼女は振り返った。
その瞳に宿っていたのは、
決意と、覚悟。
「そのままあなたの、腕の中にいたとして、死ぬのは変わらない。
なら最後の悪あがきだけでも、しておくべきじゃないかしら。
……じゃないと、わたしのプライドが、赦さない。」
それが説得なのか、彼女が自分自身に向けている言葉なのか、レンには分からなかった。
だが次の瞬間、
イロハは一人で、前へ踏み出していた。
狼の前に立つ、傷だらけのうさぎのように。
けれど、その剣先は、確かに敵に向いていた。
「ふぅん?無駄な戦いでもやる気かい?」
ドリミアは、どこから取り出したのやら、大量のナイフを手に持っていた。
両手に扇子を持つように、大量の刃をからかうように抱えている。
アネモネも、イロハを排除すべく、銃口を構えた。
チャキ……と、水滴が落ちて波紋が広がるような、冷たい音がした。
逃がすまいーーという鋭い目つき。
だがイロハは、怯むどころか、むしろ愉快そうに喋り始めた。
「あら、無駄な戦いを仕掛けたのはあなたたちじゃない?……こんなわたしと、レンを、どうしてそこまで狙うわけ?」
「おいおい……知らないのかい?
彼にはこの世界を支配するほどの力がある。
捕獲して記憶を消して……武器人形にするんだよ。
そうすれば、世界は完全に私たちに支配される。」
ドリミアは大袈裟にため息をついた。
だが、口角は上がっているままだった。
イロハも、まだ会話を続ける。
「へぇ?なら、わたしを殺さなくてもいいんじゃないかしら。
あなたたちが欲しいのはレンだけ、でしょ?」
「確かにそうだ。でも、長があなたに、恨みを持ってるからね。」
「ーー恨み?」
そこで、会話は途切れた。
アネモネの銃を向ける角度が、少しだけ下がる。
睨み合うドリミアとイロハ。
その空気に、レンは一人置いてかれていた。
自分を捕縛して、武器人形にするとかなんとか、想像ができない別次元の話が、彼の思考をシャットダウンさせた。
そう言われても、何も実感が湧かなかった。
そこまで、俺の力に何かあるのか?
理解できない。
まだ力を使いこなせていないのもあるだろうが、
それでも、自分の力が特別なんて、全く想像できない。
「……恨みって、なんのことかしら。
わたし、何もしていないわ。あなたたちの方が恨まれるようなことをしていると思うけど。」
だんだん、イロハの剣を持つ手ががくがくと震えていく。
足も、今にも倒れそうなドミノのように、グラグラしている。
それでも会話を続け、退くことは無い。
「生きているだけで、不幸にする存在っているんだよ。 もちろん、君も。」
ドリミアが、レンの方を見つめながら言った。
レンの弱い所を、思いっきり突き刺す言葉を。
「……お前。」
「お前」と言ったのは、レンでも、ドリミアでもなかった。
イロハだ。
レンが聞いた事のない、声の低さと、相手をお前呼ばわりする口調の変化。
相変わらず意識は朦朧として、いつ倒れてもおかしくないこの状況で、イロハの仲間が侮辱されたことに対し、腹の底から怒りの虫が這い出てこようとしていた。
「口を慎みなさい。あなたにレンのこと、とやかく言う資格はない。
そもそも、レンから幸せを奪ったのも、お前たちでしょうが。」
「あれ?珍しいね、そんなに感情を露わにして。……というか、ずっと話してて大丈夫なのかな?毒はもう結構回ってるはずだけど?」
レンは思考を再開させて、ひとつの迷いの壁にぶつかっていた。
このまま戦っていいのか?
今はイロハの命を最優先して、ここは逃げるほうがいい。
彼女は毒を注入されているし、命のタイムリミットは、着々と近づいてきている。
それは嫌だ。
今すぐにでも病院に連れていかないと、死ぬぞ。
だが保険証もないし、そもそも戸籍もない彼女を、病院に連れて行って、どう説明するべきだ?
身体も小さいし、毒の回りも早いのに……!
「レン」
イロハが、前を見据えたままレンの名を呼んだ。
息を多く含みながら、彼女はレンに命令をする。
「戦って……一緒に。」
「でも……」
「迷ってる暇は無いわよ?あなたとの勝負を、負けさせる気?」
「勝負」という言葉を聞いて、反論できなかった。
多く守れた方が勝ちで、 死んだら、死んだ方が負けの、二人だけの勝負。
レンだって、イロハを負けさせたくはない。
でも、この状況でイロハが負けるのは、もはや絶対条件だ。
それに、敵の二人のうち一人が、友達なのだ。
戦えるはずーー。
「早く……!」
「っ……!」
いつまで、優柔不断でいる気なんだ。
守りたいんだ、死なせたくもない!イロハを守りたい!
でもその道が間違っていたら?
そのせいでイロハが死ぬとしたら?
キリが無い。
そんなことばかり考えてどうするんだ。
もう、考えるのをやめた。
迷ったまま動かないという選択が、何よりも腹立たしいから。
何もしなかった自分を想像するだけで、胸の奥が焼ける。
それを選ぶくらいなら――
レンのプライドが、それを赦さなかった。
レンが、迷いを振り切るように、イロハの隣に並んだ。
その横顔を見て、イロハは、ほんの一瞬だけ目を細める。
「……やっと来た、わたしの相棒。」
それは褒め言葉でも、皮肉でもなかった。
覚悟を選ぶと分かっていた相手に向ける、当然の一言だった。
そして彼女は、剣を握り直す。
震える手で、それでも確かに。
「あなたのために、会話で時間を稼いだんだから。」
「ありがと、おかげで決断できた。」
そう言った後、レンの右手が白く発光し、やがて細い形が出来上がっていく。
小さなガラスの破片が舞うような光の粒子が、
まるで迷いを削ぎ落とすみたいに、空中で弾けた。
数秒後には、細い剣が姿を現していた。
「これが終わったら、さっさと病院に行くぞ」
ドリミアは、二人が並んだのを見て、愉快そうに肩をすくめた。
「はは……いいねぇ。そうでなくちゃ」
その笑みは、戦意を称えるものではなかった。
命が賭け金に並んだ盤面を、楽しんでいるだけの顔だ。
「迷って、覚悟して、並び立つ。 うん、馬鹿らしくて美しいよ」
ドリミアの足元で、カラン、と小さな音がした。
それは、さっきイロハが引き抜いたナイフだった。
血に濡れ、地面に転がっていたそれが、ひとりでに震え始める。
レンは、ぞくりと背筋に冷たいものが走るのを感じた。
……来る。
ナイフだけじゃない。
アスファルトに埋もれた金属片、シャッターの歪んだ骨組み、 折れた看板の支柱――
商店街に残された、ありとあらゆる“金属”が、
意思を持ったかのように、かすかに軋んだ。
「金属って」
ドリミアは、楽しげに語り続ける。
「人が思ってるより、ずっと素直なんだよ。
引けって言えば引かれるし、飛べって言えば飛ぶ」
その瞬間、イロハの肩が小さく跳ねた。
震えを隠すように、剣を握る力が強まる。
一方、アネモネは何も言わない。
ただ静かに、銃口を構え直した。
引き金にかけられた指は、力が入っているのかすら分からないほど自然だった。
音がしない。
構える気配も、殺気すら、希薄だ。
それが逆に――異様だった。
「さぁ」
ドリミアが、両腕を広げる。
「どこまで耐えられるか――試してみようか」
次の瞬間、
空気が、ひっくり返った。
その瞬間だった。
レンの視界が、歪んだ。
色が抜け落ち、輪郭だけが残る世界。
時間が、ほんの一拍だけ、遅くなる。
「……っ」
見えた。
無数のナイフが、空から降り注ぐ光景。
避けきれず、イロハの肩が裂け、
同時に、音のない衝撃が胸を貫く未来。
喉が、ひくりと鳴る。
「イロハ!!」
叫ぶより早く、レンは彼女の腕を掴み、引き寄せる。
「下だ!!」
その言葉と同時に、 空が、落ちた。
金属が悲鳴を上げるような音と共に、
無数のナイフが、雨のように降り注ぐ。
地面に突き立ち、
アスファルトを砕き、
逃げ場を削り取る、殺意の嵐。
だが、その嵐を巻き起こすナイフは、
地面に突き刺されたあと、一度砂のように消えてもう一度姿を現す。
だが、それだけじゃない。
音が、しない。
チャキ、という音も、発砲音もない。
それなのに、空気が歪む。
「……っ!」
レンの頬を、何かが掠めた。
遅れて、焼けるような痛み。
弾……!?
見えない。
聞こえない。
だが、確実に“撃たれている”。
アネモネの銃口は、すでに次の一点を捉えていた。
「っ……レン、右!!」
イロハの声が、かすれる。
未来で見た光景が、
今まさに現実になろうとしていた。
回避できなければ、死。
レンは、歯を食いしばり、剣を握り直した。
ナイフが降る。
見えない弾が、空気を裂く。
未来では、ここでイロハが傷ついた。
……だから。
レンは、同じ動きをしない。
未来で見た自分は、
イロハを庇うように前に出て、
その結果、背後から撃ち抜かれていた。
なら。
レンは、一歩、横に踏み込んだ。
「……っ!?」
イロハの肩を引き、同時に自分の体を捻る。
未来では存在しなかった、無理やりな動き。
次の瞬間。
ナイフが、本来刺さるはずだった場所を外れ、
地面を砕いた。
そして――
音のない弾丸が、レンの脇を掠めて、地面に突き刺さる。
避けた……!
確かな手応えが、胸に走る。
未来は、固定じゃない。
見えたからこそ、裏切れる。
「へぇ……」
ドリミアが、面白そうに口角を上げた。
「未来視、しかも、修正型だね?」
その声には、苛立ちよりも、明確な興味が滲んでいた。
アネモネが、僅かに目を細める。
「……ちょっと、無茶しすぎじゃない?」
「当たり前だろ」
レンは、剣を構え直す。
膝は震えているし、心臓はうるさいほど鳴っている。
それでも。
「見えた未来をそのままなぞるなんて、”馬鹿”以外に、どんな言葉があるんだ? 」
次の未来が、また視界に流れ込む。
ナイフの軌道。
弾丸の着地点。
そして、敵の“隙”。
レンは、息を吸った。
「……イロハ」
「ええ」
短い返事。
だが、その声には、確かな信頼があった。
「未来、ずらすわよ」
その一言で、
二人の立ち位置が、完全に“戦う者”に変わった。
レンは、未来に流れ込んだ映像を あえて、最後まで見なかった。
必要なのは、全部じゃない。
「当たる」「外れる」「一瞬遅れる」
それだけで、十分だった。
レンは地面を蹴る。
細い剣が、光を引き裂きながら走る。
真正面――狙うのは、アネモネ。
「……っ」
アネモネが銃を向け直す、その直前。
レンは、笑った。
「お前、随分変わったなぁ?」
その声に、アネモネの指が、ほんの一瞬だけ止まる。
「前までさ、夜中に迷惑電話かけてくるお調子者だったくせに!
夜中なのに”グッドモーニング”とかよ!」
剣が、銃身を弾いた。
火花が散り、音のない弾丸が、明後日の方向へ逸れる。
「……チッ」
アネモネが距離を取る。
だが、視線が――揺れた。
「その顔」
レンは、息を切らしながらも、踏み込む。
「そうやって、何も感じてないフリする癖。
昔から変わってないな」
「……うるさいな」
低い声。
だが、その響きは、かつての友人のものだった。
「俺さ」
レンは、剣を構え直す。
「お前がどんな組織にいようと、今何やってようと、 そのまま別人ヅラされるのが、一番ムカつくんだけど」
一瞬、アネモネの目が見開かれる。
その隙を、ドリミアは見逃さない。
「――甘いねぇ!」
無数のナイフが、空中で軌道を変え、雨のように降り注ぐ。
同時に、再び――
音のない銃撃。
だが。
「イロハ!」
「……っ、ええ。」
未来予測が、弾道を描く。
レンは、一歩だけ、早く動いた。
ナイフの雨が、空気を切り裂いて降り注ぐ。
規則性はない。
避けようとすればするほど、逃げ場を失う配置。
普通なら。
「伏せて!」
イロハの声が、鋭く響いた。
レンは、考える前に身体を落とす。
その瞬間、イロハは一歩前へ踏み出した。
「……っ!」
剣が、閃く。
一振り。
二振り。
金属同士がぶつかる甲高い音が、商店街に連続して鳴り響く。
ナイフは、切り落とされるのではなく、弾かれていた。
力任せではない。
軌道を読み、最小限の動きで、流すように。
毒に侵され、震える腕で。
それでも――剣筋は、恐ろしいほど正確だった。
「いいねぇ!」
ドリミアが笑う。
だが、その声には、ほんのわずかな苛立ちが混じっていた。
その隙を、レンは見逃さない。
未来予測が、一瞬先の“隙間”を示す。
「今だ!」
レンが叫ぶと同時に、地を蹴る。
細い剣が、光を引きながら突き出される。
狙いは――ナイフを操る“指先”。
ドリミアが一歩引く。
「ちっ……!」
その一歩が、連携の完成だった。
「レン、右!」
イロハが叫ぶ。
音のない弾丸が来る。
レンは身を捻り、ギリギリでかわす。
その弾道の“先”に、イロハの剣が滑り込む。
弾丸が、剣身に弾かれ、地面に突き刺さって霧散した。
一瞬。
三人の動きが、止まった。
「……ふふ」
ドリミアが、楽しそうに笑う。
「なるほどねぇ。 瀕死と半人前で、ここまで噛み合うとは」
イロハは、息を荒くしながらも、剣を下げない。
レンの横に、ぴたりと立つ。
「勘違いしないで」
彼女は、視線を逸らさずに言った。
「わたしたち、まだ本気じゃないわ」
レンは、小さく笑った。
二人は並んで、前を向く。 もう、迷いはなかった。
その様子をみて、ドリミアは、ぱちん、と指を鳴らした。
その音を合図に、周囲の金属が――一斉に、鳴いた。
街灯、シャッター、看板、路地に転がる空き缶。
すべてが、微細な振動を始める。
「……あーあ」
彼は肩をすくめ、ため息混じりに笑った。
「ほんとはね。
この形、あんまり好きじゃないんだよ」
レンの未来予測が、一気にノイズに塗り潰される。
見えない。
いや、見えている“未来”が、多すぎる。
無数の可能性が、同時に襲ってくる。
「レン……っ」
イロハが、喉を詰まらせるように声を出す。
ドリミアの足元から、金属が“持ち上がった”。
刃でも、銃でもない。
群体。
ナイフ、釘、破片、歪んだ鉄板。
形を失った金属が、渦を巻くように集まり、彼の背後で“翼”のように広がる。
「さっきのはさ」
ドリミアの声から、軽さが消えていた。
「遊び。 君たちが、どこまで出来るかを見るためのね」
翼が、うねる。
「でも――」
一歩、前に出る。
その瞬間、地面がえぐれた。
「それ以上、踏み込んでくるなら」
金属の渦が、一気に圧縮される。
「壊すよ」
イロハが、歯を食いしばる。
剣を構える腕が、明らかに重そうだった。
毒が、確実に回っている。
レンは、彼女の前に半歩出る。
未来予測を、強引に一点に絞る。
来る。
正面、いや、上も、下も、左右も。
「……全部かよ」
小さく呟いて、剣を握り直す。
「イロハ」
「なに」
「……ちょっと、じっとして。」
金属の渦が、空気を歪ませる。
その奥で、音もなく影が動いた。
レンの未来予測が、わずかに“収束”する。
――近い。
「ッ……!」
声を上げるより早く、視界の端が暗転した。
気配すら、なかった
アネモネが、いつの間にかレンの近くに立っていた。
距離は、十メートルもない。
いや――違う。
一瞬、瞬きをした“その間”に、
彼はすでに、五メートル以内まで詰めていた。
構えも、予備動作もない。
ただ、腕が上がる。
――パン。
音は、なかった。
衝撃だけが、遅れて来る。
レンの身体が、後ろに弾かれた。
「……っ、は……っ!」
肺の空気が、一気に吐き出される。
胸元に、焼けるような痛み。
弾丸は、血も音も伴わず、
“力”だけを叩き込んできた。
レンは膝をつき、剣で地面を支える。
視界が、揺れる。
「レン!!」
イロハの叫びが、遠い。
アネモネは、感情の読めない目で銃を下ろした。
「……動き、読んでたつもり?」
淡々とした声。
その背後で、ドリミアが、ゆっくりと笑う。
「はは。いいねぇ」 未来を見る目があっても――」
金属の翼が、再びうねる。
「間に合わない時もある」
まずい。
それは予測でも、分析でもなかった。
ただの直感だった。
横目で見たイロハの呼吸が、わずかに乱れた。
剣を握る指が、限界を越えて震えている。
イロハが、やばい。
その一文が、レンの思考を塗り潰す。
次の未来が見える。
イロハが前に出る。
毒が回る。
剣が、落ちる。
死ぬ。
「……っ」
自分だって死ぬかもしれないのに、何よりも先に考えるのが、相棒の死……なんて。
どうする?どうする!!
考えるより先に、感情が先行した。
庇いたい。
ただ、それだけだった。
もうイロハには戦わずに、安静にしていて欲しい。
それで死ぬ可能性が一つ減るなら、俺一人でも!
レンの右手から、光が溢れた。六芒星のような、
剣の光とは違う、柔らかく、しかし拒絶する光。
何?
それは広がり、イロハを包み込む。
半球のような形が、彼女の安全地帯を作り出した。
これは。
「……え?」
イロハの声が、結界の内側で小さく響く。
透明な膜が、彼女の身体を覆った。
同時に、胸の奥を焼いていた毒の感覚が――急速に薄れていく。
「な、に……これ……」
毒が、分解されていく、浄化され、存在が消える。
だが代わりに、力が抜ける。筋肉など、なかったというように。
足に、力が入らない。
剣を握る力も、もう残っていなかった。
音もよく聞こえない。ゲームセンターの、あやふやな音に近い。
「レン……!?やめて、これ……!」
彼女は理解した。
これは回復じゃない。
“戦えない状態にする代わりに、生かす”結界。
イロハの身体が、ゆっくりと地面に座り込む。
「動け……ない……」
結界は、外界からの攻撃も、彼女自身の行動も拒んでいた。
レンの「庇い、自分一人で戦う」という想いが、そのまま具現化したのだ。
ドリミアが、目を細める。
「……へぇ」
金属の翼が、動きを止めた。
「なるほど。そっちを選ぶんだ」
レンは無理やり立ち上がり、イロハを見る代わり、アネモネと視線を重ねた。
「ごめんな、イロハ。」
それだけ言って、振り返らなかった。
「ちょっとだけ……我慢して。死んで欲しくないし、このお調子者に、話さないといけないことがあるんだ。」
アネモネは、唾を呑み込んでから、勢いよくレンの肩に銃口を押し込む。
いつ、引き金を引いてもおかしくない。
イロハは、結界越しに叫ぶ。
「一人でやる気……!?ふざけないで!!」
レンは、答えない。
剣を構え、アネモネの首元に刃を添える。
未来予測が、静まった。
選択肢は、もう一つしかない。
「……さぁ」
小さく息を吐いて、レンは言った。
「ここからは、俺一人だ」
金属の翼が、再び唸りを上げる。
ドリミアが、愉しそうに笑った。
「いいね、自己犠牲か、平和ボケしてるね。 」
「平和ボケしてる方が、見捨てるよりかはいいだろ?」
かと言いつつ、レンに必殺技など存在しない。
一人で二人を相手にするなど、無謀過ぎる。
自分の友は、今にも撃ち殺してきそうな顔。
ドリミアは、大きな金属の翼を持った化け物を作り出している。
勝ち目、なくないか?
行動に出た後に募る不安に対して、誰も待ってくれやしない。
その不安をむしろ煽るくらいには、敵は容赦ない。
金属の翼が、みしみしと音を立て始める。
来る。
そう思った瞬間には、もう遅かった。
予測できない。
いつもなら、次起こる悲劇や危機が、瞬時に見えて解決策を練るというのに。
今、この瞬間、全く……
全く見えない!
標識がついた金属のパイプが、意志を持った凶器のように、背後目掛けて降りかかる。
「うおぁ!」
やっばい…… 今までと、見え方がまるで違う!
コンタクトを外して、視界がぼやけているような、それに似た感覚。
ぼやけていて、不確かなものしか見えない。
すんでのところで身体を逸らして避けたのはいいが、敵がもう一人いることを完全に忘れていた。
そう。目の前に、アネモネがいるのだ。
「隙あり」というような機械的な動きが、レンを離さない。
そして、その黒い発砲口を見たと同時に、肩に熱を感じた。
音がない銃弾は、自分の肩をシュイッと通り抜けて、「痛み」を注入する。
心臓が悲鳴をあげて必死に動くような、そんな痛み。
「がぁ……!」
咄嗟に片手で肩を抑えるも、敵は待つという言葉を知らない。
頭上から、ナイフやら破片やらが、容赦なく土砂降りで降ってくる。
ドリミアが掻き集めた金属たちが、殺意を刷り込まれて襲ってくる。
ドリミアが、高らかに叫んだ。
「一人でやれるんなら、やってみな!」
上を見上げれば暴力の雨。
だが、注目しなければならないものは、これだけではない。
横目で見れば剣を持った手を狙ってくるアネモネ。
そして下は。
カックン、カックン……ゴオォ……。
舗装された地面が、悲鳴を上げて沈み始める。
亀裂がどんどん走っていく。
やがてそれは完全に割れ、凹凸ができ、穴が開き始める。
四方八方からの殺意がひしひしと身体に伝わってくる。
「はぁ……!?」
驚愕するのはおかしな話。
なぜなら元々、力を狙われているのだから、
これくらいのことされて当然だと予測しておくべき。
未来予測がなくたって、できること。
それを、できない!
自分の弱点をこれでもかと突かれて、それに対応ができない。
どうするべきか考える間に、攻撃は押し寄せてきた。
まずアネモネの一発。
銃口が狙っていたのはレンの手の甲、だったが、手元が狂ってしまったのか、当たったのはただの地面だった。
その時の表情といえば、血が滲むほど唇をかみしめて、瞳孔を見開いていた。
目だけは、レンを離さないまま、弾は何も無い地面を掠った。
助かった。
なんて思ったのは、つかの間。
頭上が、曇っている。
その影に現実を突きつけられて見てみれば、
空からは土砂降り刃物。
空の青さと太陽を完全に包み隠しているその量を、流石に全部を弾き飛ばすなんて、できっこない。
レンは一度しゃがみ込むと、そのまま剣を天高く突き立て、星を描くように振り回した。
数十本の刃が弾き飛ばされて、ほんの少し空が垣間見える。
空いた空間を目当てに、肩の痛みを無視して、レンは勢いよく跳躍する。
その勢いを殺さぬように、レンは残りの金属を、全て後方へ弾き飛ばした。
未来予測に頼らず、自分で考え行動する。
それがどれだけ難しいか、もしもに備えて考えておくべきだった。
眼前には、巨大な金属の翼。
それを背負ったドリミア、これ……。
このまま背後に着地して斬れば……!!
レンは強引に身体を宙返りさせて、剣をしっかりと握った。
「いっけぇぇぇ!」
剣先が、金属の翼に叩きつけられる。
が、手応えが、軽い。
「……っ!?」
刃は、斬ったはずの翼をすり抜けるように弾かれ、
レンの身体だけが前へと投げ出された。
重い。
空気が、身体に絡みつく。
未来が、見えない。
次の瞬間、背中に衝撃。
金属が叩きつけられる鈍い音と共に、肺の空気が一気に吐き出された。
「がっ……!」
地面を転がる視界の端で、
巨大な翼を広げたドリミアが、ゆっくりとこちらを見下ろしていた。
「――考えてから動く、か」
嘲るような声。
ドリミアが、レンを見下ろしていた。
珍しく笑ってはいない顔。
レンを哀れむように、眉をひそめている。
「もっと、自分がどうして狙われているのか、考えたらどうかな?」
アネモネも、静かに距離を詰めてきた。
完全に、やられた。
「レン……!やめて!今すぐこの結界を解いて!」
遠くから、イロハの声が聞こえる。
ほわわんとした、曖昧な声。
そんなの、するわけないだろ……。
力のほとんど残らぬ思考の中、それだけぽつりと零した。
ドリミアが手をパン……と叩いた。
「とりあえず今日は、この篠塚だけを捕獲していくかな。イロハは、また今度でもいい。アネモネ、運ぶの手伝って。」
「……はい。」
どうして、俺の知ってる露草タヨリじゃないんだろう。
目の前のアネモネは確かにレンの友達で、かつて馬鹿を言い合った関係性だったはずなのに、今やそれが全て嘘のようだった。
ベタベタと接触をしてきて、ずっと構ってくる奴。
そんな奴が、俺と戦うなんて……。
誰が予想できる?
持っていたはずの剣は既に消滅していた。
残ったのは、このまま何も出来ない、という屈辱と、イロハを置いて連れていかれるという不安。
身体は地面に思い切り落ちたせいで、脳の命令を聞いてくれない。
「レン……お願い……だから。」
イロハは結界の内側で、一人震えていた。
彼女も思い通りに身体は動かず、ただ仲間が枯れ果てて攫われる瞬間も、何も出来ないままなんて。
この膜を破れたら、今すぐにでも飛んで行って、事が済んだらレンを思い切りビンタして説教でもしてやりたい。
でも、そんなことできない。
「嫌……誰か……。」
自分の髪を引っ張りながら、イロハは微かな声で助けを求めた。
誰でもいい、誰でもいいから助けてください。
こんな弱虫なことを願ったのは、後にも先にも今しかないだろう。
涙で、イロハの視界が滲んでいく。
感情が、ぐちゃぐちゃにされていく。
「だれか……!!」
そんな時。
「わぁ〜!弱い者虐め、はんたーい!」
あまりに陽気な、声が聞こえた。 どこからかは分からない。
敵二人の動きが、止まる。
声しかしない、姿はない。
息まじりの澄んだ、女性の声。
イロハが、声を漏らした。
「だ、れ……?」
「大丈夫、お譲ちゃん。」
その言葉が響く瞬間、
ひゅるひゅると、二本の紐のような物が、突如姿を現した。
「!?」
その場にいる全員が、同じ顔と反応をした。
蛇でも現れたのか、と勘違いするほどにうねる紐は、
長い長い、鞭だった。
先端に三日月形の刃物が付いた、地獄の拷問道具にありそうな武器。
その鞭が、ドリミアとアネモネを、しっかり捉えて胴を縛った。
「なっ……!」
予想外の乱入者。
ドリミアの金属の翼はみるみるうちに軋み、
アネモネは拳銃をどこかに飛ばされた。
その乱入者は、いつの間にか路地の真ん中に立っていた。
格好は季節はずれの白いパーカーと、 半ズボンに膝くらいの長さの黒靴下、スニーカーで、顔はフードを被っていて見えない。
背丈は高く、レンと同じかそれ以上。
両手にはドリミアとアネモネを縛った鞭。
「バイト帰りに来てみたら、大変なことになったみたいね。」
女はそう言うと、顔を覆ったフードを、首を振って外した。
満月を思わせる瞳。
狼のような真っ白なウルフカット。
前髪の一部だけ、ライトブルー。
そして女は、こう続けた。
「仕方ない、可愛い少年少女の為にーー
いっちょ、やってやるわ!」
満月みたいな目の女が、笑った。
第二一の月夜「艶やかで多弁なマーちゃん」へ続く。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!