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この物語はキャラクターの死や心の揺れを含む描写があります。読む際はご自身の心の状態にご配慮ください。
レンの視界が、まだ揺れていた。
地面の冷たさと、金属の匂いだけがやけに鮮明で、
そこにやたら元気な声が割り込んでくる。
「はいはーい、悪者の狛犬は散りなー!」
場違いなテンション。
レンは状況を上手く呑み込めず、
イロハもまた、同じ顔をして固まっていた。
他の敵二人も、あんぐりと口を開けている。
ドリミアとアネモネは、鞭で縛られ動きが制限されていた。
ガシャガシャとドリミアの背後にある金属たちが、音を立てて崩れていく。
「君……何者?」
ドリミアは、笑みは忘れず、視線だけを凍らせながら尋ねた。
女は、「えーっと」と言いながら、おどけた顔を見せる。でも、標的だけは見捕らえている。
「なんて言お……キミの元仲間って言ってもなぁ。……あ、これ言っちゃダメなやつだった。」
「仲間?君みたいなの、いたっけ?」
「もう何百年も前の話よ。今はヒトとして生きてんの。」
彼女の意味深な発言に、結界の中でイロハは耳を傾け、考えた。
I.C.O.の元仲間、でも、それは何百年も前の話?
外見は十代後半か二十代なはず、長生きしているようには見えない。
女は鞭を持ったまま、自分の頬をかいた。
そして、何か謎の空間を聞き取るように、数秒ほど、瞬きも途切れた。
そして、瞬きが再開すると同時に、考察語りが始まった。
「へぇ、キミ。ドリミアっていうコードネームか。
能力は金属操作?凄いね?
……で、そっちの少年はアネモネ?
こんな子供が拳銃持って、ニンゲン襲ってんの?いやぁ、時代だねー?」
何者なんだろう、この女は。
イロハはそんな思考で埋め尽くされていた。
レンは、会話の端々から、
「誰だか分からない何者かが割り込んできた」
という事実だけを、ようやく理解し始めていた。
女は、敵から目は離さないまま、別の対象に会話を振る。
「少年少女よ!大丈夫ー!?さっきコンビニ来てくれてたよね?アイス買ってたよね?」
そこでようやく、イロハとレンはこの女が誰なのかを理解した。
名は知らないが、先程のコンビニでレジ担当をしていた、冗談を言う定員。
「アイスは、温めますか?」という問いかけに、イロハが引っかかりそうになって、ほんのりとした笑いに包まれていた。
まさか……さっきの人だと言うの?
「にしても、少女はなんで結界に守られてんの?少年の能力?すっごいね、最近の若者!」
あなたも最近の若者では?と一人イロハは思ったが、今はそんなことはどうでもよかった。
女は相変わらず、脳天気な声色で話す。
「ちょっとお待ち?こいつらが撤退する言葉を言うから!」
アネモネが、女を睨みつけ、ギシギシと歯を食いしばる。
「俺たち、そんなに簡単に逃げるとでも?」
「そういうこと言うのは、結果が分かってからにしな!」
そうして息を大きく吸い、吐くと 女は、高らかに叫んだ。
「ワタシの名は白世羅(びゃくせら)マシロ!
このワタシの出生について知ってんなら、今すぐにでも帰りな!
そんで長のリアスに言え!”もうヒトリのアナタがまだ生きていた”ってね!」
その言葉が発せられた瞬間、ドリミアの表情が一気に歪んだ。
瞳孔はこれでもかと開かれ、口が閉じ方を忘れたように震えて開いている。
喉の突っ張りを感じながら、ドリミアは「はは……ここに来て?」と言い出す。
アネモネは理解ができていないようだった。
そのような名前、アネモネは聞いたことがない。
マシロと名乗った人物は、腕をクロスさせ、鞭をぎゅっと引っ張り、楽しそうに笑い声を上げた。
「アハハ!驚いたんでしょ?いいね、その顔!」
そのまま、綱引きをするように自分の方へ敵二人を引っ張った後、
「そーれぇ!」
と、遠方へドリミアとアネモネを吹き飛ばした。
爆音が響き渡り、砂埃が舞う。
余計に損傷が激しくなり、自我を失った金属らは、まだまだ地面に落ちていき、元の無に戻る。
アスファルトはもうボロボロで、いつ全部壊れてもおかしくない。
他にも標識の書かれたパイプが、折れ曲がって地面に転がっているし、シャッターは凸凹になって原型がなくなりつつある。
イロハは、その様子を唖然と眺めていた。
なんて……乱暴な……!
そんなイロハとは裏腹、マシロはケーキの箱でも開けるように、遠方を期待の眼差しで見つめていた。
「どうかなぁ?狛犬は逃げたかな?」
砂埃が消え、視界が元に戻っていく。
ぐちゃぐちゃの瓦礫、折れたナイフたち。
あちこちに敵がいた形跡は残っているのに、
ドリミアとアネモネの姿は、なかった。
「え……マジ……で?」
レンは、仰向けになりながらも、敵の殺意が消えたことに気づいて、呆気にとられている。
さっきまでコンビニのバイトしてた人が?
あいつら撃退させて?しかも結構組織と関連ありそうな人?
……えぇ?
「アハハ……!すっごいでしょ?さすがワタシ!昔から戦闘を刷り込まれてただけある!」
どちらかと言うと、話し合いで混乱させて撤退させたようにも見えるが……。
「あ、キミ。そこの寝っ転がった少年!
大丈夫?怪我してるみたいだし、救急車呼ぼうか?」
なんでこんな商店街で、と聞かない彼女に、レンは不信感を覚えた。
元組織の仲間で、能力もある。
そしてなにか深い事情も抱えていそうな彼女。
なんだ……ただのコンビニバイトじゃないのか?
レンは腕の力で上半身を起こすと、 かろうじて返事をしようとした。
「えっとーー。」
呼んだら、騒ぎになるかな……。
でも、イロハの体内には毒が回ってる。
ここは呼んだ方がいいか?
そんな時、
澄んだ声が遮った。
「その必要はありません。けれど……」
そう言って、切羽詰まった様子で 向かってきているのは、イロハだった。
レンの予想しているイロハの姿とは、程遠い。
毒でやられてるはずの身体が、どうしてそんなに動くんだろう、とか。
どうして、そんなにドカドカと歩いているのだろうか、とか。
レンは視線をマシロの方に向けて、彼女の目を見上げた。
するとマシロは、最初こそ首を傾げたが、その視線の意味がわかったようで、「あー!」と声を出すと、頭を軽く拳で叩いた。
「ワタシがどさくさに紛れてさっき結界外してやった!」
「は?」
「ありがとうございます。白世羅さん。おかげでやっと……。」
イロハはマシロに形だけの感謝をすると、彼女の横をスルーして、レンの目の前に立った。
レンに怒りでも悲しみでもない、なんとも言えぬ視線を向けた後、イロハは大きくため息をついた。
そして、白い手をレンに差し出した。
「ほら、早く立ちなさい。」
「う、うん……。」
普段見ないような冷たさに、レンは戸惑いながらも、手を取った。
レンが彼女に触れた瞬間に、身体を不自由にした傷たちは、風と共に去っていった。
代わりに身体全体に春の温もりが広がった。
イロハの、治癒能力だ。
「あ……ありがとう。」
若干気まずさを覚えながら、レンは立ち上がった。
イロハは、レンからするりと手を離して、顔を俯かせた。
そして、 誰にも聞こえないような声で、呟いた。
だが、元が静寂なだけあって、その声はしっかりと、全員の耳に届いてしまった。
「阿呆……」
「え……?」
「この……レンの阿呆!!」
「え!?」
「よくも……わたしの……!」
「ちょっと、イロハ!?」
なんだ、なんだよ急に!
レンは軽いパニックになりつつあった。
突如「阿呆」なんて言うんだから、どうしたものかと理解が追いつかなかった。
イロハは相変わらず視線を俯けたままで、レンの顔は見ない。
肩を震わせ、拳を握りしめる。
彼女の身長に合わせて、レンは少し屈んだ。
「イロハ?」
イロハと目線を合わせようとした時ーー。
突然、頬に痛みが走った。
首が、衝撃で別の方向を向く。
遅れて走る、ひしひしとした痛みの余韻。
……え?
自然に、情けないほど小さな疑問の声が漏れた。
何?なに……?俺なんかした?
レンの思考は、完全にシャッターを閉じた。
恐る恐る、イロハの方を向く。
視界の端では、マシロが「ありゃ、カップルの喧嘩だ。」なんて他人事を言う。
こんなピリピリとした痛みと空気の中なのに。
レンがイロハを見据えた時、彼女はまっすぐ彼を見ていた。
でもそのエメラルドの瞳には、これでもかと雫が溜まっている。
ひとつ、イロハが瞬きをした瞬間に、涙は勢いよく頬を滑っていく。
二粒、三粒と、流れ始めた涙は止まることを知らない。
その様子が、やけに遅く感じられた。
「イロ……ハ?」
レンは、余韻がまだ残る頬を手で撫でながら、その瞳を数秒眺めた。
いつもは滅多に見ない涙と、自分に対する暴力。
その暴力は、確かに痛くて苦いはずなのに、レンはこの暴力を、「優しい暴力」と捉えた。
いつも自身の母親に放たれる平手打ちとは、決定的に違った。
母は理不尽な怒りをぶつけ、ただ恐れを植え付ける暴力。
イロハは、正当な理由を込めた、説教。
その説教は、暴力じゃない温度がある。
だから、多少痛いのに慣れているレンにとって、このビンタは生緩かった。
ーー今更だけど、怒っている理由が何となくわかった。
きっと、俺がイロハを守って、一人で戦おうとしたから。
そう思うと、恐怖より、笑みが零れた。
イロハは、謎の笑みを浮かべるレンを見て、さらに涙を流した。
彼の肩を、小さな手で背伸びして掴み、しゃくり声を上げる。
地面に、小さな涙のシミを作り出した時、レンの肩を揺さぶり、 イロハは声を絞り出した。
「なんで……笑うのよ。
わたしの気持ち、あなた分かってないでしょ?
からかわないでよ!!」
「……からかってない。」
「じゃあ、どうして笑うの!?
なんでわたしを置いて一人で戦おうとしたの!?無茶よ!!この阿呆!!
何もできないまま、レンが連れていかれると思って怖かったの!!
もう嫌よ、これ以上惨めな思いしたくない!!
ーーもう、罪を背負うのは懲り懲りよ!!」
休むことなく、イロハはそう叫んだ。
すべて言った後のイロハは、ヒクヒクと子供のように泣き続けた。
レンは、静かにその言葉を聞いて、ほろ苦い気持ちを噛み締めた。
ーーそうだよな、イロハだって、きっと……。
レンはイロハを見下ろしながら、彼女の過去について考えていた。
まだイロハの失っていた記憶がどんなものか、聞けていない。
聞けば、傷を抉って落ち込ませてしまいそうだった。
でも今、わかったことは。
イロハも、過去に守れないものが沢山あって、
それを罪と言って自分を責め続けているのかもしれない、と。
そう思った途端に、頭を撫でてやりたい、なんて、彼は考えた。
親近感が湧いたのだ。
自分と似たような、空気を。
「……ごめん、ごめんなぁ。」
レンは、衝動に駆られ、イロハの髪を優しく撫でた。
瀕死の猫を大切にするように。
「っ……いいわよ。子供扱いしないで……」
最初はそう強がるイロハだったが、レンが無視して「ごめん」と撫で続けるうちに、
彼女は甘えるようにして、背中に手を回し、レンの懐に顔をうずくめて啜り泣くのだった。
十数秒ほど、二人は沈黙につつまれていた。
レンはただイロハを撫で、イロハはレンに顔をうずめて。
だが、その様子を、一気に壊す音が、響いた。
パチ……パチパチパチ。
手を叩く音。
誰かが、この様子を見て拍手をしている。
レンは、音の方を見て、
今この場にいるのが自分たちだけじゃないと、気がついた。
途端に、気恥ずかしくもなったが、それよりも拍手をする女ーーマシロの事が、気になり始めていた。
マシロは、ニヤニヤしながら手を叩くのを止めると、それは満足そうな顔をした。
「いやぁ〜、いいモン見せてもらったわ。青春謳歌してんねぇ。」
そうとだけ言うと、武器である鞭が光を放って消え去り、地面に放り投げていた鞄を右肩にかける。
「じゃ、ワタシはここで〜。ちょっとこれから楽しみがあるんでね?」
手を振りながら踵を返すと、そのまま何事も無かったかのように商店街を去ろうとした。
いや……待って!
咄嗟に、レンは止めた。
「待ってくれ!話を聞かせてくれ!」
レンの止めに便乗するように、イロハも鼻をすすりながら、「……行かないでください。」と呟いた。
二人の止めに対し、マシロは
「え〜?せっかく空気読める不思議系お姉さん、演じたのに?」
くるりと振り返り、 またもやニヤニヤ。
「演じなくていいわ!」
「興味無いです……」
二人は、同じタイミングで突っ込むのだった。
マシロは腕を組んで、しばらく空を眺めた。
しかめっ面で、探偵のように顎に手を当てて、長い間思考を巡らせていた。
そして、ふと。
「アナタたち……少しだけだけれど、ワタシのこと、もう知ってるんじゃないの?……ワタシも、少女、イロハのことなら知ってるわよ。」
「え?」
知るわけがない。
コンビニで買い物をして、客と定員としての会話を何度か交わしたくらいで、それ以外に接点があった記憶は、ない。
それに、イロハとマシロが会ったのは今日が初めてなはずだ。
どうしてマシロは、イロハを知っているんだろう。
でも、レンは知らなくとも、イロハは何か知っているようだった。
先程までの涙はどこへやら。
彼女は大事なことを思い出したように、「あ。」と声を漏らした。
そして、若干掠れた声で、話し始めた。
「あなた……思い出した。
I.C.O.の旧本拠地にある書架……そこにあなたの記録があった。
確か……うすらぼんやりだけれど、あなたはわたしのーー」
”クローン”。
「ーーだった……そんな記録だった気がする。」
やけにクローンの部分だけが、切り取られて聞こえた。
レンも、イロハのクローンという言葉で、少しだけ思い出した。
そうだ、そんな記録を見た。
胸の辺りが、何故かざわつく。
つまり、クローンということはマシロは人ではないということだ。
ーークローン?
「改めて……クローンってなんだ?」
「そうね。わからない。」
二人して、顔を見合わせると、目をぱちくりさせた。
そのなんとも微笑ましい様子を見たマシロは、口元を必死に押えて、目を細めた。
「アハハ、クローンって言葉知ってるのなら、
少しは楽かなぁ。いいよ、教えたげるわ。」
マシロはそう言うと、片足を浮かせながら敬礼のポーズを取った。
その顔は艶やかで、真っ白な髪が動きに応じて靡き、満月のような瞳はイロハとレンを釘付けにした。
その目つきが、イロハに似ているーー。
レンは何となく、そう感じた。
そしてマシロは、改めて自己紹介を始めた。
「白世羅マシロよ、戸籍上は二十二歳。
はじめまして、桜月イロハ。ーーもうヒトリの、ワタシ。」
その声は、明るく、陽気だった。
なのに内容はそこまで明るいものではなくて、むしろ不穏なもの。
それを冗談まじりで話すところが、レンには変な奴だと受け止められた。
レンは些細だけれど、自分のことを無視されているようで少し気になった。イロハの名は呼ぶのに、自分の名は呼ばれない?
いや、そもそもまだ名前を言っていないのに、なぜ知っている?
「あ、キミのことも知ってるよ。
篠塚レンでしょ?あんまり表に出ない筋の知り合いがね、キミの能力について話してた。」
ーー俺の、能力?
「そう。あ、ワタシの事は”マーちゃん”って呼んで!イロハの事は”ハーちゃん”、レンの事は”レンタロー”って呼ぶわ!」
「え」
「え」
マシロの飛びに飛んだ会話に、そろそろ二人はついていけなくなっていた。
イロハは、自分にあだ名ができたことに困惑半分、嬉しさ半分。
でもレンは、変わったあだ名をつけられて、困惑以外何も無かった。
少し、古風なあだ名だな、と思いつつ、てきとうな返事をした。
マシロは満足そうに、「敬語もなしよ!」と付け加えると、二人に手を伸ばした。
「?」
意味がわからなくて首を傾げるイロハとレンに、マシロは白く純粋な笑顔で言った。
「ここで話すのは嫌。だからついてきて、奢ってあげる。」
子供の笑顔に似ていて、だからこそ、人外感が滲み出ていた。
マシロに言われるがまま、レンとイロハはついて行った。
商店街から離れて、誰も知らないような裏路地を五分ほど歩いた先に、こじんまりとした喫茶店に着いた。
そこの喫茶店は、古めかしい雰囲気のあるビルの一階にあった。
焦げ茶色の塗装の壁。店の外には、小さな黒板にメニューと、注意書きが可愛らしい絵とともに書かれていた。
ドアには、「OPEN」と書かれた札がかけられていて、窓の隙間から暖かな電球の光が漏れている。
「ようこそ!ワタシの休息の地へ〜!」
マシロは、ドアの前で手を広げながら言った。
そして、踵をレンとイロハの方にひるがえし、
悪戯に目を細め、口元に人差し指を当てた。
誰にも聞こえないように、声量を抑えながら、マシロはこの店の店主について説明を始めた。
「知っておいて欲しいんだけど……この店のマスターは耳が聞こえないから、話したい時はワタシを介してね?」
レンはすかさず、尋ねる。
「マシロさ……いや、マーちゃんは、その人と話せんの?」
「ワタシは手話ができるんだぜ?すっごいでしょ?」
マシロは 自信満々に顎に手を当てて、ニヒルな笑みを浮かばせた。
「すごいわね……わたし、手話なんてできない。」
と、イロハ。
「なんか見直した。」
「え?なに、ワタシをなんだと思ったのよ?」
つい言葉が滑ってしまったレンは、手を振って誤魔化そうとしたが、
マシロの怖いニコニコとした目に耐えられず、そのまま思ったことを口にした。
「いや、会って早々失礼だけど、すっごい多弁な変な人だと思ってたから。」
正直すぎる言葉に、マシロは「アハハ!」と大袈裟なほど笑い声を上げて、「正直すぎるわよー!」と、レンの肩を軽く叩いた。
ひとしきり笑うと、マシロは、スっと口角を平らにして、独り言を言った。
視線は、今を見ていなかった。
「ヒトじゃないから、”変なヒト”なのは間違いないけどね。」
ぽつりと零れた重苦しい息に、 それ以上、誰も何も言わなかった。
マシロはぼうっと、視線を逸らした後、「ハハッ」と呆れ笑いを漏らした。
「何でもない!」
まぁーー!
マシロは手を叩いて、くるっとドアの方を向いた。
「そんなことよりさ、入ろっか!ここのパフェおいしんだよね! 」
眉を微かに下げながら、マシロはドアを押した。
耳心地のいい、チリンという音が耳に届くと、
同時に、コーヒーのほろ苦い匂いが、三人の嗅覚をくすぐった。
夏の外と比べ、店内は肌寒いまでもあった。
店主は、ずっと洗い物をしていたが、
ふと横を見た時にやっと、客の訪れに気づいたようで、三人を見ると目を丸くした。
「あっ!」と、拙い声を出すと、急いで手を拭き、
右手の親指と人差し指を立ててつまむ様な仕草をした。
その後、手を頭の正面に立て、前に出しながら頭を下げた。
「ごめんなさい」という手話だ。
「大丈夫だよー!」
マシロは人差し指と親指で輪っかを作り、笑顔でそう答えた。
狭いからなのか、それともマシロの声が響くからなのか、店内はやけに声が響くような気がした。
時計の針の音、シンクに水滴が落ちる音、
何もかも、先程の戦闘とは打って変わった静謐だった。
店主はカウンターから出てくると、一冊のノートとボールペンを手に持っていた。
ノートには、「筆談用」と書かれているから、
手話がわからない人とは文字で話しているんだなーーと、レンは見て思った。
店主がノートを開き、シャシャっと走り書きをしたものを三人に見えるように掲げた。
『いらっしゃいませ!』
そう、書かれていた。
マシロは手話をしながら、
「今日もヒト助けしちゃった!」
と、ウインクをする。
店主は少しピタリと動きを止めた後、くすりと笑った。
ノートを閉じて、店主も手話で話し始めた。
マシロは柔らかな表情のまま「だってねー?」と、会話に花を咲かせる。
なんだか、姉妹みたいだなーー。
「姉妹みたいね」
レンがそう思ったと同時に、イロハが微笑んでいた。
手話をしながら、マシロは楽しそうに身振りを大きくした。
店主も肩を揺らして笑っている。
内容は分からないのに、空気だけがやけに温かい。
しばらくの間、手話を続けたマシロと店主は、
ようやくテーブル席にへと案内してくれたのだった。
レンとイロハは隣同士でソファ席に腰かけ、
マシロは一人で向かいのソファ席に座った。
レンとイロハは、席に着くやいなやメニューを一緒に眺める。
一番最初に目に映ったのは、大きな大きな、ジャンボパフェだった。
生クリームとチョコレート、それに大量にいちごが乗ったパフェの写真を見ただけで、レンの胃袋が早くも悲鳴を上げ始めていた。
レンは甘いものが嫌いという訳でもないが、甘すぎるものを見たり食べたりすると、たちまち体調が悪くなってしまうのだ。
そんなのを他所に、イロハは目をキラキラと輝かせていた。
大量の生クリーム、チョコレート、いちご。
イロハにとっては天国そのもの。
二人は隣同士なのに、反応は鏡写しのように違っていた。
ーー正反対だな、このカップル。
マシロは、人の反応を見るのが大好物なのだ。
だから先程も「青春謳歌」とか、「カップルの喧嘩」だとか言っていた。
「ハーちゃん、パフェ食べる?」
「……いいの?」
「言ったでしょ?奢るって。」
「じゃあ、甘えるわ。」
「甘味だけに?」
「ふふっ……」
冗談を混じらせながら、マシロは手を挙げて、「マスター!」と声を掛けた。
店主はこちらに向かってくると、マシロの手話を見聞きして、頷いたり反応をする。
「あ、レンタローは?何食べるの?」
「俺……アイスコーヒーで。」
「遠慮してんなぁ?」
ーー遠慮してるんじゃなくて、普通に無理なんだ。
レンの胃液が逆流して、食道の奥に差し迫っている感覚があった。
甘いの得意じゃないだけ。
そうとは言えずに、俯くだけだった。
注文を終えた後、にこりと笑いながら店主は去り、三人の中に沈黙が生まれた。
秒針を刻むごとに、時計の針の音が増しているような錯覚。
かん……かん……と爪で机を叩く音。
誰も何も喋らないこの気まずさに耐えかねたレンは、マシロに話題を降った。
「甘いの、あんなの食べれるのか?」
マシロは、嫌な顔することなく、聞いていないことまで答えてくれた。
「うん、ワタシ甘味が大好き。
あ、でもノンアルコールも好きよ?」
「ノンアルコール?アルコールはダメなの?」
と、横からイロハ。
「そうなのだよ。」
マシロはわざとらしくため息をつくと、両肘を机に置いた。
そして懐かしそうに、しれっと爆弾を投下した。
「昔。アルコール飲んで酔って、その勢いで知り合いの髪の毛をバッサリ切って、 ブチ切れられちゃってさぁ。」
「え?」
「それから、アルコールは飲まないようにしてる。」
「ただの迷惑野郎じゃねぇか。」
「だよね。ワタシも今、思い返すとそう思う。」
ほかにも、ここの喫茶店の常連だとか、マスターと話すために手話を覚えたとか、そんな具合の会話を続けた。
レンはツッコミ、イロハは真面目に話を聞く。
その時間を、マシロは終始口角を上げたまま過ごしていた。
少しして、店主がトレイを手に戻ってきた。
マシロと視線を交わし、軽く手話で合図をしてから、テーブルにそれを置く。
――どん。
音を立てて置かれたのは、想像以上に大きなガラスの器だった。
ふわりと立ち上る、甘い匂い。
山のように盛られた生クリームに、とろりとかかったチョコレートソース。
その隙間を埋めるように、真っ赤ないちごがこれでもかと並んでいる。
「……おお……」
イロハの声が、思わず零れた。
目を輝かせたまま、まるで宝物を見るみたいにパフェを見つめている。
その横で、レンは一瞬だけ視線を向け――すぐにそっと逸らした。
甘い匂いが、喉の奥を刺激する。
「すっご……」
「でしょ?」
マシロは満足そうに口角を上げる。
「ここのパフェはね、量も味も本気なの。
ハーちゃん、食べきれなくても怒られないから安心して?」
「え、そんなに……?」
「普通のヒトはね。残ったらワタシがたべるわ。」
レンは心の中で、これは絶対に無理なやつだと断言した。
同時に、店主がもう一つ、コースターの上にグラスを置いた。
氷の入ったアイスコーヒーが、かすかに音を立てて揺れる。
「……助かる」
思わず、レンは小さく呟いた。
マシロはそれを聞き逃さず、にやりと笑う。
「弱点、みっけ。」
「……」
察せられたことに悔しさを感じて、レンはアイスコーヒーを一口飲み込んだ。
マシロは子供を見守る母のような目で、レンとイロハを交互に眺めた。
イロハは既にいただきますを言って、リスのようにパフェを頬張っている。
「目的、忘れてないよね?」
「ふぁ……!」
イロハは驚いたように目を丸くし、一度手を止めて、マシロを見た。
マシロは、珍しくイロハに睨むような目付きを向けた。
「ちょっと真面目な話、しよっか。
ワタシの、出生とかI.C.O.の長との関係……知るためにここに来たんだから。」
マシロは本音を隠すかのように、スプーンでパフェをすくって食べる。
もごもごと、口の中で甘味を転がして味わった後、飲み込む。
そして、マシロは冗談交じりで、自分の出生に着いてから話し始めた。
「まず、クローンって何?って疑問に答えよう。
簡単に言えば、ハーちゃんを元にして擬似的肉体と魂を作り出したことによってできた、”限りなくヒトに近い別の生物”。
どうやって魂なんて作りだしたか……。
ま、倫理とかそういうのは置いといてさ 」
そこでもう一度、パフェを口に放り込んだ。
いちごをゆっくりと噛みちぎり、果汁が溢れ出る感覚を堪能しながら、続けた。
「ハーちゃんって、小さい頃にI.C.O.のせいで、森が爆発して虚霊が大発生したことがあったらしいね?
その時にアナタは暴走して、ヒトを幾つか殺した。その暴走を止めるために、組織の狛犬がアナタの記憶を一時的に奪った。」
イロハが、そこで一旦止める。
「まって、あの森の爆発……やっぱりあの組織のせいだったの?」
「そうよ?」
当然、というように首を傾げたマシロは、お構い無しに続ける。
「で、アナタから奪った記憶を元に、人格形成をして、武器ニンゲンとして扱いやすく設計をする……そうやってできた魂と仮物の肉体を掛け合せてできたのが、ワタシ。」
そこで、一度スプーンを置いた。
イロハも、レンも、何も言わなかった。
マシロは、カウンターの方に意識を向け、数秒黙り込んだ。
カウンターには、店主がせっせと手を泡まみれにして、食器を洗っている。
こころなしか、いつもより雑音が小さい気がした。
ーーさてと、どう進めればいいのやら。
乗り気じゃない自分の口を、無理やり動かした。
思考より、口で適当に言った方がいい。
「そもそも、クローンをなんの目的で作ったか。それは、世界でたったヒトリが選ばれる観測者の能力を奪い、
世界をどうにかできる力を握ろうとしたから。
……ハーちゃんの持ってるその剣が、その特別な能力と酷似しているから、ワンチャンの確率を狙ったらしい。……ま、結果は大ハズレだし、今はレンタローがあの能力を持っているみたいだから、いいけど。
いや、良くないのかな?とりあえずいいわ。」
レンは、自分の胸に手を当てた。
確かリアスは、俺の力を手に入れるために、わざと自分の家族が死ぬようにしていた。
思い出しただけで、腹立たしい。
氷が、少し熔けて、カラン……と音を鳴らした。
イロハは、 ただマシロの言葉を一生懸命噛み砕いて、受け止めている。
すぅ、と息を吸い、マシロはまだまだ語りを辞めない。
「なんにせよ、武器ニンゲンとして扱いやすいように、性格は無機質なロボットみたいなのに設定されてる。
能力には恵まれなかったけど、戦闘用の兵器としては十分。
だから、最初に感情はなかったの。でも、アイツのおかげで自分で生きようって意思が生まれ始めて、アイツがワタシを、あの組織から逃がしてくれた。」
「あいつって……」
「誰?」
唇を噛むマシロは、目を瞑ってそれには答えなかった。
「んふ……まぁ、焦っちゃだーめ。
んで、アイツが偽物の戸籍作って何やかんやしてくれたから、今はニンゲンのフリしてるよ。
戸籍上は二十二歳って言ったのはそういうこと。
クローンは不死身だからね、ある程度成長すればそれで止まる。
バイト先でも、偽名を使ってるよ。キミたちには本名を名乗ったけど、他のヤツらにバレたら面倒だから、わざとあだ名で呼んでもらうようにした。」
イロハは、先程のマシロと同じように唇を噛み締めた。
顔に影を作り出して、髪を引っ張る。
「わたしが、あの日暴走なんてしなければ、あなたは苦しまなかったはず。」
「え〜?」
からかうようにそういうマシロだが、眉は嘘をつかなかった。
深いしわを、作り出している。
「……まぁ、正直言わせてもらうと、不死身ってしんどいよ。
仲良くなったヒトは皆、先にバタバタ死んでいくんだもん。
でも、知り合いに同じようなヒトいるから、まだいいけど。」
その発言に、イロハは更に髪を引っ張った。
ーーわたしのせいだ、全部、わたしが……。
マシロはその様子を見て、哀れむ視線を向けた。
心の中では感謝しているのに。
「アナタがいるから、ワタシがこうやって生きている。」
その言葉を、言えなかった。
どうしても、イロハが自分と似ている時があって、それを見る度に、自分がただの真似事に過ぎないと突きつけられる。
ワタシだってニンゲンに似た感情を、アノヒトに教えてもらったのに、頑張って足掻いたって
「人間」になるのは無理。
ちょっと今、それを知っちゃった。
もう、自分の元のニンゲンには会いたくなかった……。
「あの……さ。」
レンが、重たい口を開いた。
視線を上や下や右に泳がせた後に、へにゃりと、不器用な微笑みをマシロに見せた。
「二人ともが悩むことじゃないと思うんだよな。
悪いのは、イロハの記憶を奪ったやつと、奪った記憶でクローンを作り出したリアスじゃない?」
すると、
「違う!」
イロハが、頭を抱えながら叫んだ。
その勢いに、マシロも目を点にさせる。
「わたしの記憶を奪った人は……わたしなんかを守るためにその行動に出たの。
だからその人は悪くないの。むしろ……」
マシロが、イロハの言葉を引き継ぐように被せた。
「そうよ。それに、ワタシを生み出したのはリアスじゃなくて、リアスの前に長を務めていたヒトよ。
いつ、ワタシがそんなこと言った?」
「え、じゃあーー」
レンは躊躇った。
これって、聞いていいことなのだろうか。
さっきドリミアたちに言っていたあの台詞、あれはどういう意味か。
「はぁ。聞きたいなら聞けばいいのに。」
マシロがため息をする。
レンが何を言おうとしているのか、わかったようだった。
ーーこの子、わかりやすいんだよねぇ。
マシロは、二人に見えないように足を組んで、首を傾げた。
「現、組織のリーダー。リアスとワタシの関係は、これまた面白いのよ。漫画のネタにありそうな感じで。」
ちょっと、驚かせてみるか。
この子たちは特別な存在なんだから、話してもいいよね?
この場にいないアイツに声を掛けたあと、彼女は悪戯な笑みを見せた。
レンとイロハは真っ直ぐ彼女を見て、冗談交じりの回答を待っているようだった。
だがマシロは、店内が余計寒くなるような、言葉を言い放ったのだった。
「リアスはね……ハーちゃん。
アナタを元に作られた、”失敗作のクローン”よ。」
第二十二の月夜「三人揃えば、玉石混交。」へ続く。