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《JAXA/ISAS 相模原キャンパス/プラネタリーディフェンス作戦室》
会議室のスクリーンには、
昨日までとよく似た日本地図が映っていた。
違うのは——その上に重ねられた「格子模様」だった。
緯度経度で区切られた
縦横数十kmの四角いマスが、
日本列島をチェス盤みたいに覆っている。
そのいくつかが、
薄い黄色、オレンジ、赤で塗られていた。
「じゃあ、今朝の“セクター別”予測を。」
若手研究者が説明を始める。
「昨日までは“日本列島のどこかで五割超”という
かなりざっくりした表現でしたが、」
「今日からは、
コリドーを“セクター”に分けて
落下確率を再配分しています。」
「一マスおおよそ、
縦横80km前後です。」
レイナが腕を組む。
「で、その中で——
どのマスが一番“色が濃い”の?」
若手が、
本州東側を拡大して見せる。
「現時点での“最確率セクター”は、
この縦列です。」
グリッドの一列が、
太平洋沿岸から内陸に向かって
細長く赤くなっている。
「東北南部から関東北部にかかる帯。
太平洋側に寄った内陸と沿岸です。」
別のスタッフが補足する。
「もちろん、
他のマスに落ちる可能性も
ゼロではありません。」
「ただ、“どこが一番可能性高い?”と聞かれたら、
このあたりを指すしかない状況です。」
レイナは、
赤い列をじっと見つめた。
(“東北と関東の間”。
地図上ではたった数ピクセル。)
(でも、そのマス目の中には
山も街も、川も学校も、
人生を積み上げてきた人たちがいる。)
「官邸には、
どう伝えましょうか。」
誰かが問う。
「“東北南部から関東北部の太平洋側と内陸が
高リスク”とそのまま、とか。」
レイナは、
少しだけ考えてから口を開いた。
「まず、
“どの県”という言い方は
まだ避けましょう。」
「“この列のどこか”としか
言えない段階で、
特定の県名を出すと、」
「その県だけが
“見捨てられた場所”みたいに
受け取られるリスクがある。」
若手がうなずく。
「じゃあ、
“東日本の太平洋側とその内陸に
特に注意が必要”くらいの表現に?」
「そうね。」
レイナは、
マーカーを手に取り
ホワイトボードに書いた。
〈日本列島:五割超
東日本太平洋側+内陸:その中で高リスク〉
「これをもとに、
官邸と地方自治体向けに
“避難準備の優先度”を
段階的に提案しましょう。」
「“ここに落ちます”じゃなくて、
“ここから先に準備してください”という言い方で。」
(地図の上では、
たった一マスを塗るだけだ。)
(でも、
その塗られた色で
人の人生が変わる。)
(だからこそ、
塗る側は
とんでもない責任を背負ってる。)
レイナは、
気持ちを切り替えるように
深呼吸をした。
「——さあ、
“地図の向こうにいる人たち”を
本気で想像しながら、
数字を決めていきましょう。」
《宮城県・沿岸部の市役所 防災課》
昼下がり。
蛍光灯の白い光の下で、
職員たちがずらりと机を並べていた。
防災課の課長・高橋は、
机の上のタブレットに映る
官邸からの通達を見つめる。
〈オメガ破片Bに関して、
“東日本太平洋側及び内陸の一部で
特に注意が必要な状況”に移行〉
(よりによって、
うちみたいな場所が
“特に注意”に入るのか。)
(地震と津波で散々だったのに、
今度は空から石かよ。)
隣の若手職員が
資料を持ってくる。
「課長、
国から“避難準備シミュレーションの提出期限”が
前倒しになりました。」
「“オメガ落下T-48時間からの動き”を
具体的に書けと。」
高橋は苦笑する。
「T-48時間って言われてもな。」
「その時刻がいつか
まだ分かんないってのに。」
「でも作らないわけにも
いかないか。」
ホワイトボードには
既にいくつもの案が
書いては消されていた。
〈沿岸部住民:
第一段階→内陸の親戚・ホテルへ
第二段階→県内高台避難所〉
〈高齢者・要支援者:
早期にバス搬送〉
〈学校:
○日前からオンライン授業へ切替検討〉
若手が、
ためらいがちに言う。
「課長…
“オメガ落下がうちの県だと判明したら”って
前提で動くんですよね。」
「その時、
“県外に逃がす”選択肢は
ないんでしょうか。」
高橋は、
しばらく黙ってから答えた。
「本音を言えば、
“みんな逃がしてやりたい”。」
「でも、
現実問題として
“数十万人単位”で
県外に出そうとしたら、」
「移動中に詰まって、
かえって危険なことになる。」
「それに、
どの県も
自分のところで精一杯だろう。」
若手は唇をかむ。
「“ここに残れ”って
言うことになるんですか。」
「“ここに残って、
できるだけ命を守ろう”って
言うことになる。」
高橋は、
自分にも言い聞かせるように
はっきりと言った。
「その代わり——
避難所の数、物資、
医療体制、
全部できる限り
厚くして備える。」
「“ここにいてもいい”って
胸を張って言えるまで
準備するのが、
俺たちの仕事だ。」
(“ここから逃げろ”って言うのは簡単だ。)
(でも、
その先で本当に
誰かが受け止めてくれる保証はない。)
(だから、
“ここで踏ん張る場所”を
用意してやらないといけない。)
《アメリカ・NASA/PDCO オフィス》
アンナ・ロウエルは、
世界地図の上に置かれた
細長い赤い帯を見つめていた。
日本列島のあたりだけ、
色が濃くなっている。
同僚がつぶやく。
「Japan is in the center now…」
「Yeah.
More and more,
statistically speaking.」
アンナは、
コーヒーを一口飲んでから
端末にメモを打ち込む。
〈日本列島:
落下候補としてのウェイト上昇〉
(彼らは今、
“プラネタリーディフェンスの最前線”と
“被害国の最有力候補”を
同時に背負っている。)
(本当にえげつない役回りだわ。)
上司が声をかける。
「アンナ。」
「日本の白鳥さんから、
“国内向けのメッセージとの整合性を取りたい”と
メールが来ている。」
「“日本が中心に近くなったが、
世界全体の問題であることも
強調したい”と。」
アンナは頷いた。
「分かった。」
「世界向けのブリーフィングでは、
“ジャパン・リスク”ばかり
強調しないようにする。」
「“日本が盾になってる”みたいな
ヒーロー物語にするのも違うしね。」
(でも、
どこかで“日本が引き受けてくれている”と
思っている国も
きっとあるんだろうな。)
キーボードを打ちながら、
彼女は心の中でつぶやいた。
(ごめんね、サクラ首相。)
(私たち科学者は、
せめて“あなたが決断するとき、
嘘のない数字だけは渡す”ことで
しか支えられない。)
《総理官邸・執務室》
サクラは、
JAXAから送られた“セクター別マップ”を
じっと見つめていた。
日本列島を覆う格子。
そのうち、
東日本のいくつかのマス目だけが
濃い色で塗られている。
「……こうやって見ると、
なおさらきついわね。」
天野秘書官補が、
おそるおそる口を開く。
「総理。」
「今夜の会見で、
どこまで言うおつもりですか。」
サクラは、
ペン先で赤いマスを軽く叩いた。
「“日本列島がコリドーの中心にある”ことは
昨日伝えた。」
「今日は、
“特に備えを厚くすべき地域が
見え始めている”ことを
少しだけ示す。」
「ただし、
県名は出さない。」
天野が頷く。
「“東日本の太平洋側を中心に”くらいの
表現で?」
「ええ。」
サクラは、
窓の外の空を見た。
(このマスのどれかに
本当に落ちるのだとしたら、)
(私はいつか、
“ここに落ちます”と
言わなきゃいけない日が来る。)
(その日を
できるだけ遅らせつつ、)
(でも遅らせすぎて
準備が間に合わないのも
絶対に避けなきゃいけない。)
(細い綱渡りだな、本当に。)
「天野さん。」
「はい。」
「今夜の会見原稿、
“落ちるかもしれない地域の人たちへの
メッセージ”を
少し長めに取っておいて。」
「“それ以外の地域の人たちへの言葉”も
忘れないように。」
「“ここじゃないから関係ない”って
空気だけは、
絶対に作りたくない。」
《夜のニュース・スタジオ》
〈最新解析:
“東日本太平洋側”でリスク上昇〉
そんなテロップが
画面に踊る。
コメンテーターが言う。
「“東日本の太平洋側”と言われても、
正直範囲が広すぎて
どう受け止めていいか分かりませんね。」
別の解説者が答える。
「しかし、
ここで“○○県です”と限定してしまうと、」
「そこ以外の地域で
準備の手が止まる可能性もある。」
「“確率が高いところから
順に備えを厚くする”という発想は
防災としては正しいんです。」
SNSのタイムラインには、
さまざまな声が流れていた。
〈東北も関東も、もう勘弁してくれよ〉
〈“東日本太平洋側”って、ほぼうちじゃん〉
〈逆に西日本は安全ってこと?〉
〈いやいや、津波とか気候とかでどうせ全国巻き込まれるだろ〉
《とある地方都市・家族のリビング》
食卓の上には、
鍋の残りと
避難バッグのカタログが広がっていた。
母親がスマホを見ながら言う。
「ほら、この非常食のセット。
“30日分”ってやつ。」
父親が苦笑する。
「30日分か…。
なんか、
“そこまで生き延びる前提”で
買うのも複雑だな。」
中学生の娘が、
ニュースを見ながらぽつり。
「でもさ。」
「“ここに落ちるかもしれない”って
分かってて何もしない方が、
あとで後悔しそうじゃない?」
父親は、
しばらく黙ってから言った。
「そうだな。」
「“落ちなかったときに
笑い話にできる準備”くらいまでは、
やっといた方がいいのかもな。」
母親が頷く。
「じゃあ今日から、
少しずつ水と食料だけでも
買い足していこうか。」
「どうせ地震対策にもなるし。」
娘は、
テレビの中のサクラを見つめた。
(この人の頭の中の地図では、
もしかしたら
“うちの県”のマス目に
もう印がついてるのかもしれない。)
(でもそれを、
まだ言えないでいるのかも。)
(…だったらせめて、
言われる前に
こっちからちょっとは動いておきたいな。)
Day18。
オメガ予測落下日まで、あと18日。
宇宙のデータの中で、
“日本のどこか”は
少しずつ“東日本のどこか”に
輪郭を狭められ、
地図のマス目一つひとつが、
重みを持った「現実の場所」として
浮かび上がり始めていた。
それぞれのマスの下で、
誰かが今日も仕事をし、
ご飯を食べ、
ニュースを見て、
“笑い話で終わる準備”と
“本当に来るかもしれない最悪”の
そのあいだを
揺れながら歩いていた。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.