かおりに引っ張られるようにしながら向かったのは、近くのカラオケボックスだ。ちょうど客の入れ替えのタイミングに当たったらしく、待つことなく案内されたのは、四、五人でいっぱいとなる部屋だった。
いちばん最後に部屋に入った私は、予想通りとは言えがっかりした。かおりは当然のように前田の隣に座っており、空いていたのは高原の隣だけだ。
嫌ではあるが、このまま立っているわけにもいかないと、仕方なく高原の隣に腰を下ろす。二人掛けの長椅子は、実際に座ってみると隣同士の距離が近かった。彼と距離を取るために、私は可能な限り壁寄りの端の方に座った。この人が大きいせいで狭苦しいのだと、八つ当たりのようなことを思いながら、腕を抱くようにして壁にぴたりと体を寄せる。
かおりと前田は、と見ると、やはり二人だけでも何の問題もなさそうだ。
お金だけ払って帰っちゃおうかな――。
バッグの中に手を伸ばして財布を探っているところに、かおりが「何飲む?何食べる?」と矢継ぎ早に訊いてきた。ついついそれに素直に答えているうちに、この場を抜け出すきかっけを失ってしまう。
一次会でまったく会話にならなかったから、高原に話しかける気はもう起こらない。カラオケは好きだけれど、感じの悪い彼の隣にいては歌う気にもなれない。
ちらりと横目で見た高原もまた、歌うつもりはないのか、曲に合わせて流れるモニターの映像を静かに眺めている。
私はかおりの歌声を聞き流しながら、間を持たせるように少しずつカクテルを口に含む。早く終わりの時間が来ないだろうかと腕時計に目を落としたが、まだ三十分以上もある。ここに来てから何度目かのため息をついた時だ。次の曲のイントロに紛れて、予期していなかった声がすぐ近くで聞こえた。
「歌わなくてもいいのか?」
幻聴かと思った。一次会とは別人のごとく、高原が至って普通に話しかけてきたのだ。驚きのあまり、口に含みかけていたカクテルを危うく吹き出しそうになる。慌ててハンカチで口元を押さえ、恐る恐る自分の隣に顔を向けた。
「カラオケは嫌いなのか?」
高原は腕を組んで私を見ていた。
戸惑いながら私は答える。
「嫌いではありませんけど。今日はあの二人が主役だと思うので……」
「なるほどね」
納得したように彼は頷く。
自分から話しかけてくるとは、いったいどういう心境の変化なのか。今ごろになって反省したとでもいうのだろうか。仮にそうだったとしても、一次会での彼の最悪で不快な態度を簡単に忘れることなどできない。
「あなた、普通に話すこともできるんですね」
私は皮肉を込めて言った。あえて彼の名前を口にはせず、わざと「あなた」と呼ぶ。
高原の口角がふっと上がった。
一瞬笑ったのかと思ったが、私の目の錯覚だったらしい。
「人と場合によるな」
嫌味たっぷりな言い方に苛立った。笑顔を忘れた私の眉間にしわが寄る。
「何ですか、それ。意味が分かりません」
「別に。分かってもらわなくてもいい」
「まぁ、そうですよね。私も分かろうとは思いませんけど。どうせ、もう会うことはないでしょうから」
ちょうどイントロが終わって前田が歌い出した。それとほぼ同時に時間の延長を確認する電話が入る。かおりたちの意思を確かめずに私はさっさと返事をする。
「終了で」
時間を延長しなかったことで文句を言われるかと身構えたが、かおりはうきうきしていた。カラオケの後、前田と二人でもう一軒飲みに行こうという話になっていたらしく、今度こそ本当に解散だとほっとする。
店を出てすぐに、私は誰に言うでもなく礼を口にする。
「私はこれで。今夜はどうもありがとう」
「高原、途中まで送っていってやれよ」
前田がそんなことを言い出したが、私は聞こえないふりをした。
「かおり、また連絡するね」
そそくさと言って、私はくるりと背を向けた。彼らから離れ、そのまま繁華街のわき道へと入って行く。飲食店がいくつか同居するビルの階段を登って、私は奥まった所にある木のドアを押し開いた。耳になじむドアベルの音が響く。オレンジ色の照明に出迎えられて歩を進めた。カウンターの前で足を止め、ぐるりと見渡した店内にはカップルが一組。奥の二人掛けのテーブルで楽しそうに喋っていた。
「おや、佳奈ちゃん。いらっしゃい」
カウンターの中でグラスを磨いていた男性が、私を見てにっこりと笑う。この店のマスター、田上浩二だ。
「一人なのかい?」
「はい。売り上げに協力できなくて、すみません」
「あははは。問題ないよ。それで一杯目は何がいい?」
「ではモスコミュールを」
私はカウンターの壁際のスツールに腰を下ろした。
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