勇者たち二人を治癒して、違和感が残っていないか、起きて確認してもらおうとした時だった。
突然その場が、影に覆われた。
快晴だったのに? と、見上げると空に、巨大な黒いモヤと電流が走り――。
「サラ。我の加護に傷を付けられたではないか。これが原因か?」
上から聞こえたので今の瞬間まで空に居たと思ったのに、その黒い巨竜はもう、鋭い爪で勇者たちを下敷きにしていた。モヤと電流の出ない転移も使えるらしい。
「竜王さん!」
まさか、心配して?
「うっ、ウソだろ? 黒竜……しかも、なんだこの大きさは! くそっ、うごけねぇ!」
「足掻くな、ゴミども。加減を間違えて潰してしまうぞ」
足掻こうとする勇者に、さらに体重を乗せて黙らせたらしい。地面にめり込む爪に首を圧されていて、勇者は静かになった。
「来てくださったんですか? すみません、わざわざ。ちょっと油断してしまって……」
「我が加護に傷を付けられて、呑気に寝ていられるものか」
本来の姿を見るのは、魔王さまと戦っていた時以来だけど、見上げる私に首を下げて、少しでも視線を交わそうとしてくれているのは初めてだった。
「えへへ……」
「笑い事ではない。貴様、分かっておろうな?」
「は、はい! それはもちろん……気をつけます……」
笑ったのは、さりげない気遣いが嬉しかったからだけど、言うと頭を上げてしまいそうだからやめた。
「ふん。呑気なお前だ、どうせつまらぬことでも考えておったのだろう。で、このゴミどもは何だ?」
「その、裏切られて切られたので、理由を問いただそうかと」
「……はは~ん。これらは転生者か、おおよそ事態は分かったぞ」
「分かるんですか?」
「ああ。どうせ、勇者だ何だとおだてられて、権力者に弱みでも握られながら操られておるのだ。能の無い力馬鹿によくいる。つまらん、サラに傷を付けた罰だ。踏み殺しておこう」
「――っだだだだめ! だめです! まってください」
軽い口調と、さらにめり込んだ爪を見て、本当に何も感じずに潰すつもりだったのがうかがい知れる。
「はぁぁ……。サラ……お人好しが過ぎるな。加護を貫くほどの攻撃だ。本気で殺そうとしておったのは間違いないのだぞ」
「そうかもですけど……」
殺さない理由も特にないのだけど、なんとなく、転生者なら分かり合えることもあるのではと。
あとは、ほんの少しの情け?
「まぁ、貴様の自由にすれば良いが……おいゴミども。サラに何かしようとした瞬間、我が貴様らを殺す。これは脅しではない。分かるか?」
そう言った竜王さんの声には、何の感情もなかった。
それは、本当に何でもないことなのだと、あえて言葉にするのさえ面倒な、事務的な言葉だった。
「わ、わかったから、離してくれ……」
苦しそうな物言いは演技ではなく、息さえ出来ないほどに圧されているかららしい。
「あと、もう一つ聞いておきたいことがある。貴様ら、竜を討ったことはあるか」
その声には、怒りが漏れていた。
蓄積された、抑えきれない静かな怒りが。
「な、ない」
「俺達は……まだ、数年で。竜を見るのは、これが、はじめてだ」
勇者の短い答えと、黒い人の説明を、一応は信じてみたらしい。
「我が目には、嘘を見抜く力がある」
そして、そのまま圧していた爪を離した。
その場に体を起こした二人はやっと、深く息を吸い込めたようだった。
「先程の言葉、忘れるなよ」
竜王さんはそう言うと、また黒いモヤと電流の中に消えた。
行ってしまった……。
そういえば、訓練のお礼をちゃんと言えていなかったのを、また忘れていた。
「おい。いや……聖女ちゃんよ。悪かったな。命を狙ったりして」
立ち上がった勇者と、そして黒い人が揃って、私とシェナに頭を下げた。
「うん。もうしないでね。理由は帰りながら聞かせて」
――車は、逃げずに少し離れた所で、留まってくれていた。
**
私を狙った理由。
聞かなければ良かった――ような気がする。
あの時あそこで、怒りに任せて命を奪っておくのが正解だったかもしれない。
そう思うくらいに、くだらない理由だった。
「いや~。国中の娼館を出禁にするって、第一王子に脅されてさ」
「……は?」
「俺は、スイーツ系の店を出禁にすると言われた」
「はぁ?」
勇者は最低な理由だったし、黒い人は一生スイーツを食べるなと思った。
広い後部シートは横並びに十分、四人が座っていられるけど、盾になるように座っているシェナを抱き寄せた。
スペースを少しでも確保して、シェナにも指一本触れさせないために。
「そんな理由で、よくも命を狙ったわね! しかも、体も……いやらしいことしてやろうとか言ってたでしょ!」
「そりゃ、お前みたいな美人はなかなかいないからな。殺すには惜しいが、生かしておくわけにもいかないと思ったから、一回くらいは……って、思うだろ?」
一応、黒い人が勇者の間に居てくれてよかった。
「ほんとに、今この場で殺してあげましょうか」
「お姉様。ご命令くだされば、今すぐそうしますが」
もしもすぐ隣だったら、迷わずそうしていたかもしれない。
そのくらい、身の毛がよだつ発言だった。
「冗談だよ、冗談! まじでどこのお嬢様だよ。こんなの酒場じゃ普通だぜ」
「……きもちわる」
「んだと?」
こんな男に、情けをかける必要はあったのかなって、本気で迷ってしまう。
「……はぁ。それよりも、首謀者は第一王子で間違いないのね?」
「本当だ。このまま帰れねぇなぁ、とは思いつつ、行く当てもねぇ。王都は居心地がいいからな」
「……だが、こうなったら他の国に行くしかないだろう。ダイキ」
正直、二人の処遇はどうでもいい。
どうでもよくなったから、どこにでも行けばいいと思う。
けど、ここで恩を売っておけば、私のやりたいことの手伝いをさせられるかもしれない。
「ねぇ。私が第一王子をなんとかしてあげようか」
「はぁ? んなこと出来んのかよ」
助けてあげたのに口が悪いままね……でも――。
シェナを抱きしめたまま、私は二人を値踏みした。
この二人の連携は悪くなかった。
戦闘も、会話から察する普段の間柄も。
何より、私の苦手な下品な酒場に、何も言わなくても好んで行ってくれそうだ。
「出来るから、私の言うことを聞きなさい」
「聖女ちゃんが、ねぇ……。まぁ、信じるとして。何をさせるつもりだ」
私は、貴族達の治癒に訪問していて、色々と思ったことがある。
権力を持つに相応しくない者がいると。
温厚そうに見える人でも、シェナの鼻によると、血の匂いが充満していたとかもある。
従者……特にメイドたちの態度が、おかしいと感じた時も。
街の声を拾えば、もっと色々と出てくるかもしれない。
――それらを、少し教育し直さなければと思っていた。
誰にも出来ないことなら、私が。
聖女とは別の姿で、少し変装をして。
権力者の方が終われば、街に蔓延る犯罪者たちも。
弱い者を嬲るような、特に酷いことだけでも無くしたいし、それは今の力があれば可能だと……ずっと思っていた。
それを、この機に実行に移そうと。
「簡単なことよ。悪いことをしている人を、洗い出して欲しいの。うわさだけじゃなくて、ちゃんと裏付けを取ってくること。始末は私がつけるから、あなたたちは情報収集。してもらうわよ?」
「なんか……聖女ちゃん、ちょっと悪い顔してるぜ?」
「あら、失礼ね。……で、やるの? やらないの?」
答えを聞くまでもなく、二人はすでに頷いていた。
「やるさ。王都の娼館にゃ、可愛い子が多いんだよ」
「ああ。この国のスイーツは日本で食べていたものに似て、レベルが高いんだ」
動機はともかく……。
「じゃ、決まりね。でも、次に裏切ったら……分かってるわよね」
私もシェナも、あなたたちじゃ勝てないんだから。
それに、竜王さんは街ごと破壊しかねないわよ?
人間のことなんて、微塵も気にかけていないから。
「分かってるって。もう聖女ちゃんにもこいつにも、なんもしねーって」
「約束しよう」
勇者は軽いままだけど、黒い人はまだ……マシなほうかしら?
「よかった。それじゃあ、朗報を待っててね。大丈夫。第一王子の件は……今夜中に終わるから」