「※この物語はフィクションです。実在の人物及び団体等とは一切関係ありません」
〈2話〉
アスファルトに頬をつけたまま、ピクリとも動かない。
「え、ウソ。殺っちゃった!?」
煌々(こうこう)とした街の明かりが、倒れた人の顔を青白く浮かび上がらせる。
その顔に、見覚えがあった。
「あー、えっと、なんだっけ。えーっと……」
倒れたその人は……。
「ゆでたまご王子だ!」
倒れたゆでたまご王子の傍にしゃがんで、肩を揺する。
うーん、と呻く声がして、王子のくるんと長い睫毛が震えた。
目線はふわふわと宙を 彷徨(さまよ)って、私を見るとぱちぱちと瞬いた。
「ねえ、大丈夫?」
「……佐倉(さくら)?」
「そうだけどそうじゃなくて……ケガは?倒れたの、わかる?覚えてる?」
「あー、どうりで体が痛いわけだ」
「ごめん。強くぶつかったつもりはないんだけど……」
「いや……ちょっと、寝不足で。佐倉のせいじゃないから」
王子は欠伸を噛み殺しながら言った。
ふらふらと立ち上がって、大きなトートバッグを肩にかけ直す。
ちょっと風が吹いただけでよろめきそうな立ち姿が、ススキみたいだった。
「家、遠いの?」
「あー……まあ」
「まあって、大丈夫なの?」
「だいじょうぶ」
多分、と王子は小さく付け足した。
そしてちっとも大丈夫じゃなさそうな足取りで、人混みに向かって歩き出す。
左右に揺れる王子の頭から、私は目が離せなくなる。
右、左、左、右、左……。
「あー、もう!」
車道にはみ出しそうな王子の服の袖を引っ張った。
「ねえ!」
微睡(まどろ)みの中で人の気配を感じたのは久しぶりだった。
トントントン、淀みなく一定のリズムで音がする。
それから、胃をくすぐるような温かい匂いも。
なにかが擦れるような音がして、忙しそうに誰かが歩いてる。
……誰かがって、誰が?
同居人はちょっと前に出て行ったし、ここは実家じゃない。
じゃあ、誰よ?
疑問に答えるように、部屋のドアがノックされて声をかけられた。
「おい、起きてるか?朝飯、できたけど」
「ぅえっ!?」
男の人の声に思わず飛び起きた。
寝癖もそのままに、部屋のドアを開ける。
そこには――。
「……よだれ垂れてるぞ」
ゆでたまご王子がいた!
「あ、あー……」
なんでこうなったんだっけ、と王子の顔を見上げる。
よだれの痕も寝癖もなくて、流石はイケメンと心の中で拍手した。
そういえばこのイケメンを昨日も見た気がする。
そうだ、確か昨日……。
「寝ぼけてるのか?24×456は?」
「え、えーっと1万994?昨日、うち来る? って聞いたら、行く行くって言ってくれたことまで思い出した」
「答えあってんのか、それ……。朝、オレ何度か声かけたんだけど?」
「それは全く記憶にない」
昨日、文字通りふらふらしてた王子に、空き部屋を貸したんだった。
よだれを拭いて、王子の後ろのキッチンを覗く。
「冷蔵庫にあったもの、適当に使った。食費はあとで払う」
テーブルの上に2人分の食事が並べられてるのが見えて、ゆでたまご王子の由来を思い出した。
女子力が高いってことは、きっと料理だって得意だ。
ふらふらと匂いに誘われてキッチンに行くと、まさに『朝ごはん!』って感じのご飯が用意されてた。
「美味しそう!」
程よく焼けた皮が美味しそうな焼き鮭。
断面まできれいな、色ムラのないたまご焼き。
湯気まで美味しそうなお味噌汁と、つやつやの白米。
ほうれん草のおひたしに散らされたコーンが可愛らしかった。
「食べていい!?」
「お、おう。めしあがれ」
熱々の美味しいときを逃してなるものか。
そそくさと席について、手を合わせる。
「いっただきまーっす!」
まずはお味噌汁に手を伸ばして、味噌の香りを堪能してから一口飲む。
想像通りの優しい味に、自然と溜息がこぼれた。
お椀に箸を入れると、沈んでいた豆腐が顔を出す。
刻みネギと一緒に口に入れて、味噌の味と一緒に味わった。
もしも幸せに味があったら、きっとこういう味がする。
「はあ……お嫁にほしい」
「せめて婿って言ってくれ」
「こんな朝ごはん用意されたら、うっかり結婚したくなっちゃうね!人に振る舞うときは気をつけた方が良いよ」
「ははっ」
堪えきれない、とばかりに王子は箸を置いて笑った。
「佐倉、感想ヘンだぞ」
「そう?あー、たまご焼きふわっふわっくちの中がしあわせ」
たまご焼きはほんのり甘くて、たまごそのものの味が濃い気がした。
味のしっかりした出汁巻き派だったけど、こっちの方が好きかも。
「マヨネーズ入れるとふわふわになるんだ」
「うっそ。全然マヨの味しない。というか案外庶民的なんだね、王子って」
あ、でもゆでたまごじゃなくて、たまご焼きなのか。
「……王子?」
「女子にゆでたまご王子って呼ばれてるんでしょ?」
「そういえば、ひそひそ言ってるやつならいるな。ただの悪口だろ」
「清潔感があって女子力高いイケメンを、ゆでたまご男子っていうんだってさ。だから悪口ではないんじゃない?」
「ゆでたまご食べたら共食いって言われそうだ」
「あ、それ私が言いそう」
鮭をほぐす王子を改めて見ると、確かにイケメンだった。
パーツひとつひとつが整ってて、寸分の狂いもなく配置されてる。
おまけに背も高くて、指が長くて、爪の形まできれいだ。
鮭の小骨を取る姿さえ絵になるとか、どういうことなの。
まさに観賞用って感じがしたけど、でもご飯が美味しいから実用かな。
「王子ってさ」
「王子はやめろ」
「ゆ――」
「ゆでたまごもな」
「……し、柴田?」
「三柴だ。三柴航平。何度も話してるだろ」
あ、そっか。
三柴だ。
三柴航平。
ようやく、ゆでたまご王子の名前を思い出した。
昨日の夜のエンカウントが印象強すぎて、流石にもう忘れない。
「ごめん。人の名前覚えるの苦手で。柴田くん私の名前、よく知ってたね」
「三柴だ。お前の第一印象、『きれいな名前だな』だったからな」
「ちなみに、今の印象は?」
「おまえ、本当に女子か?」
三柴は、シンクに積まれた空き缶と空のカップラーメンのツインタワーを嫌そうに見た。
幸いにも食器類が溜まってないのは、ただ単に使ってないから。
見てないといいなあ、洗濯カゴ。
きっと私と三柴、足して割ったらちょうどいい塩梅になるに違いない。
「それに、普通は簡単に男を泊めないだろ。もっと警戒しろよ。……や、おかげで助かったんだけど」
「ふふふ。一生恩に着てよ」
「しかも、図々しいときた。でもありがとう。助かった」
「正直者だね。それで、柴田くん」
「三柴だ。わざとだろ、おまえ」
「バレたか。それで、なんで昨日倒れたの?ただの寝不足じゃないんじゃない?」
三柴は箸を置いて、姿勢を正した。
背中に定規でも入ってるような居住まいに釣られて、私も背筋を伸ばす。
「佐倉、彼氏は?」
「彼氏いたら、三柴のこと連れ込んでないよ」
「じゃあ、好きなやつは。ちょっと気になるやつとかでも」
「……いない、けど」
え、なにこの質問。
「佐倉……」
は、ちょ、まさかこの展開は――!!??!?
「オレを――」
〈続〉
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