「あっ、椿さんのハンカチ!」
とても心強くなったような気がした。
ハンカチを握り締める。
「いい匂い……」
変な女だと思われるかもしれないが、ギュッとハンカチを抱きしめた時の匂いに反応をしてしまう。
そんな時――。
<ピンポーン>
微かに音が聞こえた。
誰だろう、こんな時間に。
窓に耳を傾けるも会話が聞こえてこない。
<ピンポーン>
もう一度チャイムが鳴った。
たしかにうちから聞こえる。
居留守を使っているのか優人が出ないため<ピンポーン>と三回目のチャイムが鳴った。
音が鳴り止む。
さすがに来客に対応したのかな?
セールスにしては遅い時間だし。
そんなことを考えていたら<ガラッ>っと窓が開いた。
「優人……?」
私に向けられる見下した眼。
「おい、お前、携帯忘れたんだって?会社の人が届けてくれたよ。ていうか、あんな派手な人、働いてるんだな。まぁ、お前より何倍も綺麗だったけど」
「えっ。携帯?」
あっ、お店で時計を見た時、カウンターの下に置き忘れちゃったんだ。
会社の先輩?遥先輩が届けてくれたのかな。
「携帯は預かっとく。まだしばらくそこに居ろ」
そう言って窓が強引に閉められた。
遥先輩に迷惑かけちゃった。
まだ近くにいるのかな?
ベランダから身体を乗り出し、前の道路を確認する。
カツンカツンと少しヒールの音がした。
「えっ……?あれって……。椿さんっ?」
間違いない。街灯で見える。椿さんが届けてくれたんだ。
ここから声を出せば彼女(彼)に声が届いて気づいてもらえるはず。
でも、その後は――?
どうすればいいの?
大きい声出しちゃったら、優人にバレちゃう。
そしたらまた絶対に殴られる。
椿さんは見ているうちに、どんどんと離れて行ってしまう。
どうしよう、諦めるしか――。
<私、椿さんみたいな綺麗な女性になって見返してやります>
って約束したんだ。
そして<少しは頼ってね?>という椿さんの言葉が頭に甦る。
気づいてもらえる方法は――?
あぁ、もう良い考えなんて浮かばない。迷惑かけて本当にごめんなさい。
深呼吸をし、すぅっと息を吸い込み
「椿さーん!」
大きな声で彼女を呼び止めた。
椿さんはクルっと振り返って、周りを見渡している。
「椿さん!」
もう一度声をかけると私に気づいてくれた。
顔がよく見えないが「桜ちゃん?」名前を呼んでくれた気がした。
「椿さん、助けて…っっ!」くださいと言いかけた時――。
「お前、何大声出してんだよ!?」
優人が現れ、部屋の中に引っ張られた。
私は、ベランダの柵に捕まり抵抗をする。
「助けて!」
優人は思いっきり私を引っ張り、部屋の中に入れようと必死だ。
椿さんや近所に騒がれたくないんだろう。
「うう゛……」
片手で必死に柵に捕まる。
建物はそんなに高くはないから、椿さんにこの光景が見えているのは間違いがない。
でも腕に集中しないと、優人に持ってかれそう。ギュッと目を閉じて耐える。
「おい、離せっ!」
優人も必死だった。
腕が千切れそう、もうダメ。
そう思った時、優人が私を引っ張るのを止めた。
「桜ちゃん大丈夫!?」
すごく近くで椿さんの声がする。
人間ピンチになった時にこういう声が聞こえるってこと、あるのかな?
「桜ちゃん!」
肩に優しく触れられる。
この匂い……。椿さん?
目を開けると椿さんが隣にいた。
「椿さん!?」
あれっ?どうやってここまで?玄関開いてたのかな?
私が呆然としていると
「あんた、何なんだよ!人間かよ!?ここ二階だぞ?どうやって登ってきた!?」
優人が信じられないといった顔をしている。
えっ。登ってきた?
「そんな失礼なこと言わないでくれる?普通の人間よ。二階って言ったって、そんなに高くないじゃない。一階の人にはちょっとご迷惑かけちゃったけど、普通に登ってきただけよ」
椿さんは息一つ切れていない。
スポーツ、得意だったのかな。やっぱり身体は男性なの?
この状況でふとそんなことを考えてしまう。
「お前、不法侵入だぞ?警察に通報する」
優人は自分の携帯をポケットから出した。
「いいけど。あんただって、女の子に暴力振るってたじゃない?それを助けようとしただけよ」
いつもの柔らかでお上品な椿さんの雰囲気じゃなかった。
「ちげーよ。ケンカしてヘコんでベランダでいじけてた桜を迎えに来ただけだよ。なぁ、桜?」
優人と目が合う。
ここで本当のことを言ったら……。
椿さんが帰ったらもっと酷い目に合う。
怖い。手は震えていた。
でも――。私が変わらなきゃ。
呼吸を整え
「私は、あなたに暴力を受けていました。今日も殴られて……。ベランダに放置されました。もし警察が来たらそのことを話します」
「なっ……!!」
私がいつも通り言いなりになると思っていたのか、優人は言葉を失っていた。