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親というものが嫌いだった。
「この点数は何!?」
ヒステリックに叫ぶ母の声、俺はうんざりしていた。
母の希望で受けさせられた中学受験。小学生の後半は勉強に明け暮れた。元から熱心な教育者だった母は年々その熱心さを加速させ、狂っていった。理由は一つ。
「この点数じゃ有名大学には入れないじゃない」
「……頑張ります」
謝り方を知らなかった。
頑張ります。と言えば、頑張るじゃないでしょ。と長い長い説教が始まる。それを黙って聞き流し、俺は心の中でため息をつく。表に出せば、何て言われるか分かったものじゃなかった。
母は欠陥品を嫌う。
俺の母は有名企業の会社員で、高学歴高収入とエリートである。だが、本当に入りたかった大学には入れず希望の会社に勤めることができなかった為に、その夢を俺に押しつけてきているだけの人だと知ったときは、もう遅かった。
母が俺にかける期待は大きく、そしてその分ストレスも大きかったらしい。
父は単身赴任中であり、家に帰って来る日は少ない。俺の家はいつも静かで暗い家だった。否父は逃げた。
父は有名財閥の親戚であったが、三人弟妹の末っ子故にその財閥の傘下である中小会社に勤めていた。そのため、母よりも収入が少なくその事に対して劣等感を抱いていた。だが、自分が口を出せる相手ではなく家では母の言うことを聞いていた。俺に対する教育に何も口を挟まなかったのはそのせいだ。
また、俺を援護しなかった理由はそれだけではなく、父は自分のサンドバッグが欲しかったのだ。自分が何か言えば、自分は母よりも劣っている。それを認めたくない、自分よりも格下の人間が欲しいと思ったとき俺に目をつけた。俺が怒られている姿を見て父は満足そうに笑っていた。嘲笑っていた。
そんな父に腹が立った。
家庭は全くと言って良いほど成立していない。思惑と私欲、人間の醜い姿をした家族まがいのものがそこにあるだけだった。誰に対しても愛情がない。皆が皆自分に劣等感を感じ押しつけ合っているのだ。
そんな家庭に俺は生れた。
「こんなケアレスミスをして……」
母の説教は終わらなかった。足が痛くなってきたが少しでも動けばその鋭い眼光に射貫かれ、さらに説教は長くなると俺は悟り動くことができなかった。
(……俺がもっと完璧なら)
父は俺が怒られている姿を見て嗤う、母は俺が一点でも落とせば怒る。ならば、俺が完璧であればどちらからも何も言われないのではないかと思った。
完璧であれば。
そんなことをまだ中学にも上がらない頃に思った。勉強もスポーツも完璧であろう。努力して完璧であろうとした。そうすれば、俺に何も言わないだろうと。
褒めて欲しいわけじゃない。ただこの地獄から抜け出したかった。
そうして、徐々に俺の目指す完璧に近付いてきたときぐらいだったか、俺の周りで女子達が騒ぎ出したのは。
初めて告白されたのは中学一年生の時だった。
「朝霧君、好きです。付合ってください」
放課後、塾が始まる前呼び出された俺は女子生徒から告白を受けた。
彼女はクラスでも人気のある、可愛い子だった。
そんな子が何故俺に告白してきたのか分からなかったが、断る理由もなかったが、母の顔がちらついた。母は耳にたこができるほど「釣り合う女と結婚するの」と言っていた。それを父の前で言うものだから、父は怒って部屋を出ていった日もあった。母は周りを見れない人間として少し欠けている部分があった。良心というか、そういう初歩的なものがなかったのだ。
(母の顔がちらつくなんて、俺はどれだけあの女に縛られているんだ……)
自分でも腹が立った。
中学受験の次は高校受験、いやエスカレーター方式でいけば、このまま上位成績をキープできれば高校は受験し直さなくても良いのだが、その先に控えている大学受験や就職のこと、それら全てが目の前に見えるようで、母の敷いたレールの上を歩いている自分に。母の言葉に縛られている自分に腹が立った。
子供ではないのだからしっかりとした自我も、個としての意識もあるわけで。抵抗することだってできたはずだった。
だが俺は、リスクを避けてかそれをしなかった。母を怒らせたら面倒くさい。俺の平穏のために俺は完璧でなければならなかった。母の理想とする子供であること、完璧な子供であることもまた俺の中では必要だった。
それでも、これが初めての告白だった。
俺は返事に困った。勉強とスポーツばかりで、全く周りのことが見えていなかった俺は、その女子生徒のことを何一つ知らなかった。彼女と喋ったことすらなかった。
だからこそ気になってしまったのだ。
「俺の何処が好きだ?」
「え?」
女子生徒は困ったようなかおをした。
何故そのようなかおをする必要があったのか。俺が好きならすぐに答えられるのではないかと俺は彼女を見つめた。俺の目を怖がるように、女子生徒はもごもごとしていた口を開く。
「格好いいから」
「容姿がか?」
「スポーツができる」
「俺より出来る奴はいるはずだ」
「勉強だって、一番で」
「それだけか?」
我ながら酷い人間だと思った。
母がかけている人間だと言ったが、俺も俺であまり人間らしくなかったのかも知れない。
女子生徒は目に涙を浮べていた。泣かせたかったわけではないし、もっと他に言い方があったかも知れない。だが、俺にはこの方法しかその時思いつかなかったのだ。
(……俺の良いところが容姿や文武両道なところだけだと)
普通なら喜ぶべき所なのだろう。そこが良いところだとそこしか良いところがないとも思っていたし。
だが、容姿を褒められても何も嬉しくなかった。これは生まれ持ったもので両親が嫌いだった俺にとってはあまり嬉しいものではなかった。救いがあったのは、瞳の色が尊敬する従兄弟と似ていたところだけだろうか。しかし、最初に容姿について褒められたため、彼女が俺に何を求めているのかとか、何を好きになったとかを知ってしまった訳で。
勿論それを否定するわけではないが。
「他には?」
「……えっと」
彼女は言い淀む。
俺の問いに戸惑っているようだったが、何か言わなければこの場は終わらないと悟ったのか、必死に何か言おうとしていた。
これ以上は時間の無駄だと俺は彼女に背を向けた。
「塾があるんだ。もう少しまともな理由ができてから告白してきてくれ」
と、本当に酷い人間だとつくづく思った。
これでは母と一緒だな。とも。
この噂が広がって、今後俺に告白してくる女子などいなくなると思っていたのだが、何故だかそれを境に俺に告白してくる女子が増えてしまった。
理由は分からなかったが、どうやら「落とせない男子を落とす」みたいなものが、俺をかけて争っているようだった。結局は、俺をブランド品のバッグにしたいだけだったらしい。
俺の内面まで誰も見ようとしなかった。俺も言おうとはしなかったが。
家庭がどうだとか、努力してきたとか。完璧であるためには、そんなことを言ってはいけない気がした。そんな強迫観念に囚われていたからだ。
「俺んちさ、離婚するんだって」
「……」
そんなある日。
幼馴染みで親友の灯華がそうぽつりと下校中に零した。彼の家庭もまた複雑で、母親の方が彼の兄を芸能事務所に入れたいようで多額の金を兄につぎ込んでいたらしい。それを見かねて父は色々と口を挟んだが、兄は芸能事務所に入りその才能を発揮した。才能が証明され、母親はこのまま食っていけるとでも思ったのか離婚をと突きつけたらしい。そして、兄に劣っているという根拠もない理由で灯華を父親の方に押しつけたのだとか。
灯華の顔はいつも通りに見えた。だが、少し複雑そうな表情をしていた。泣きそうではなかったが、心細そうな。
「いやぁ、こんなこと言うもんじゃないって思ってたんだけど。ほら、お前さ親のこと嫌いって言ってたじゃん。だから家族の話は避けようと思ってたんだけど」
「……気を遣わせてしまったか」
「いいや、そんなんじゃなくて……何か、俺は気が楽になるなって」
と、灯華は想像もしていなかった言葉を放った。
俺は目を丸くし、灯華を見た。灯華は大分兄と容姿について比べられていたのか、それに耐えてきたという感じがひしひしと伝わってきた。それがようやく解放されると言ったそんな少し清々しい顔。
俺はそれが羨ましいと思った。灯華の言いたいことが分かったから。
「そうか……よかったな」
「俺、余計なこと言ったか……言ったよな」
「いいや」
そう俺が返せば、灯華は心底申し訳なさそうに頭を下げた。
別に彼の家庭の問題で、俺が口を突っ込むことなど可笑しいことだと理解していたが。
「遥輝」
「何だ、改まって」
「俺の事頼ってくれ。俺は、お前の幼馴染みだし唯一の親友だと思ってる。だから、俺の事頼って欲しい」
「そんなこと……」
面と向かって言われ、少しむずがゆい気もした。
だが、それとは相反する暖かな感情が胸の奥からわき出てくるようで、俺は自然と頬が緩んでいた。
「何だか、臭いなその台詞」
「は、はあ!? 俺、真面目に言ったんだけど」
「冗談だ。いや、でも少しむずがゆいな」
「お前、たまに感情バグるよな……顔に出にくいから、でたときわかりやすすぎて」
と、灯華は呆れたように言う。
だが、悪い気分ではない。
「ほ、ほら、お前最近女子のことで悩んでいるようだったからさ。俺に頼れよ」
「おこぼれが欲しいだけなんじゃないのか?」
「お前、性格悪いよなたまに」
そんなやり取りをしているうちに家についた。俺達はそこで別れて、また明日学校で会おうと言って別れた。
家に帰ってからも俺の頭の中はその事ばかりだった。
(家族か……)
俺は自室に入ると、ベッドに寝転がった。勉強をしなければならないのにやる気になれなかった。灯華の両親は離婚して、灯華は家に残るみたいだったが。
頼れる親友がいて、彼にだけなら弱さをさらけ出しても良いかもしれないと思った。
だが全てをさらけ出せるほど俺は強くなかった。強がりだったから、完璧であろうとしたんだろうな。
「……俺の事、理解してくれる人が」
欲しいと。
自分にも愛せる人ができるのだろうかと、中高と、女子に告白され続け、完璧であろうと努力し続けながら思った。
彼女に出会うまでは。