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及川視点
体育館に入った瞬間、胸がぎゅっと縮んだ。
さっきのことが頭から離れなくて、ボールを触る手も少し震えてた。
「おせーぞ及川」
「ごめん、ちょっと…」
「体調悪いのか?」
「いや、全然。いけるよ」
そう言うと、チームのみんなはいつも通り受け入れてくれた。
普通に、何も疑わず、当たり前のように。
その“普通”がどれだけ嬉しいか、誰も知らないのに。
練習が始まると、身体だけが先に動いてくれた。
いつもより失敗も多くて、まっつんが何度かトスを返すのに困ってた。
「…ごめん」
「謝んな。今日は無理すんなって言ったろ」
「あはは…」
笑ったけど、多分わざとらしかった。
それでもまっつんはもう何も言わない。
ただ必要な時だけ視線を寄越してくれる。
練習が終わると、体育館の隅でボールを片付けていた背中が目に入った。
岩ちゃん。
逃げたい気持ちが一瞬で込み上げた。
けど、逃げたらもっと壊れる気がした。
何より、岩ちゃんがさっき見せた“あの顔”が頭から離れなかった。
深呼吸ひとつ。
足が勝手に向いていた。
「…岩ちゃん」
「おう」
振り返った岩ちゃんの顔は、いつも通り無愛想で、でもどこか疲れていた。
「さっきは…ごめん」
「謝んな。なんかあったのは分かったから」
その一言で喉がつまった。
重い石が、胸の奥に沈む。
「岩ちゃんには関係ないよ」
言った瞬間、自分で胸が痛くなった。
岩ちゃんはほんの一瞬だけ眉をひそめ――
次の言葉を、噛みしめるように吐いた。
「関係あるだろ」
「……」
「俺ら、チームだし。…幼馴染、だろ」
その“幼馴染”が、どうしようもなく刺さった。
涙が出そうになって顔を逸らす。
「…俺、弱いとこ見せんの、ほんと無理なんだよ」
「知ってる」
「…知ってたんだ」
「目見りゃ分かる」
短い言葉なのに、胸の奥の何かがひび割れたような気がした。
岩ちゃんは続ける。
「言わなくてもいい。
けど、お前が壊れそうなのは見てらんねぇ」
優しすぎる。
俺なんかに向けられちゃいけない優しさだ。
「大丈夫。俺、平気だから」
「嘘つくな」
「嘘じゃない」
「じゃあその目で言え」
その瞬間、心臓を素手で掴まれたみたいに苦しくなった。
岩ちゃんはただ俺の目を見る。
逃げ場を塞ぐんじゃなくて、
“ここから逃げるな”って言われてるみたいで。
耐えられなくて、俯いた。
「…ごめん。本当にごめん」
「謝んなっつってんだろ。
…まぁ、そのうちでいい。いつでも話せ」
それ以上追及しない岩ちゃんが、逆に苦しかった。
「ありがとう…」
それだけ言うのが精一杯だった。
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家に帰ると、リビングの灯りだけがついていた。
ドアを開ける音に反応して、母さんが振り返る。
「徹。遅かったわね」
声のトーンがいつもより冷たく感じた。
嫌な予感がした。
「部活、ちょっと長引いて」
「そう。…それで勉強は?」
「今からやるよ」
母さんは近づいてきて、俺の制服の袖をぎゅっと掴んだ。
その力は、優しさなんかじゃなかった。
「徹。“普通”にやるだけでいいのよ。言ったわよね?」
「うん…」
「母さんの言うこと、もう聞けるわよね?」
背中が冷たくなる。
心臓が早くなる。
喉が締めつけられて声が出ない。
部活の汗より冷たい汗が、首筋を流れた。
「徹」
母さんの指先が、俺の頬に触れた。
優しく撫でるように見せかけて――
指が僅かに食い込む。
逃げられない。
「今日、誰といたの?」
「え…」
「まさか、あの子たちとじゃないわよね」
息が止まった。
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コメント
9件
ほんっとうに大好きです!! 書くのめちゃくちゃ上手いし関係がめちゃくちゃ好き......
うわぁ...もう、典型的な毒親だァ〜....