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◻︎人の噂
それから数日後の夜。
弥生さんとご主人がやってきた。
「こんばんは。先日は大変お世話になりまして…」
「あら、わざわざ?」
「そうなの。うちの人、ご近所付き合いも苦手だからこの際田中さんとこだけでも、ちゃんとお付き合いしたほうがいいよってことで連れてきちゃった」
弥生さんの後ろに、所在なさげにキョロキョロしてるご主人がいた。
「ほら、あなたからもお礼を」
弥生さんがご主人を引っ張る。
「あ、ちょっと待ってて、うちのも呼ぶから。ねぇー、ちょっときて、お客さんだよ」
私は夫を玄関に呼んだ。
「ほーい、あ、どうも。もう元気になられましたか?」
「あ、あの、はい。その節は大変お世話になりました」
照れ臭そうに頭をぽりぽりしながら、話す隣のご主人。
「あ、ねぇ、よかったら上がって。ちょっと話そうよ」
「え?突然、いいの?」
「いいのいいの、ね?」
私は夫に同意を求める。
「いいに決まってる、ちょうどビールを開けようとしてたとこだから、よかったら一緒に」
「じゃ、お言葉に甘えて…」
即席で、来栖晃の快気祝いをすることにした。
始めはあまり話さなかった晃も、ほどよくお酒が進んで会話が弾んだ。
「いいですね、海釣りですか!子供の頃田舎で魚釣りはしたことありますけど」
「たまに海に行くのはいいですよー、竿を垂らしてぼーっと海を見てるとね、日頃のストレスも消えていくから。どうですか?今度一緒に!」
「え、いいんですか?」
「体調が万全になったら行きましょう。俺もまだ始めたばかりで偉そうなこと言えないけど」
「行ってらっしゃいよ、そういうアウトドア的なこと、今までやったことなかったからいいんじゃない?」
弥生さんもも屈託なく、ご主人と話している。
_____この夫婦、もう大丈夫だ
きゅうりとレタスと、アボカドと。
なんだか今日は、生野菜をたくさん食べたい気がする。
カートにあれこれ野菜を入れていたら、少し離れたところから私を呼ぶ声がした。
「ちょっとちょっと、田中さん!」
振り返ると、いつだったか弥生さん夫婦の噂話をしていた3人組が私を呼んでいた。
_____あー、なんかめんどくさいぞ
「こんにちは。みなさんお揃いでお買い物ですか?」
「そうよ、そんなことより、お隣の来栖さんとこ、大変だったんだって?」
ご主人が倒れていたことを言ってるのか?
「なんのこと?」
「あら、しらばっくれなくていいわよ、田中さん、命の恩人なんでしょ?」
「あ、そのことですか。たまたまですよ、ご主人もたいしたことなかったですし」
「それから、弥生さん、駆け落ちから戻ってきたんだって?若い男に捨てられたのよね?」
「駆け落ち、ですか?それは知らないけど。ご実家が落ち着いたから帰ってきたって、この前挨拶にみえましたけど」
3人は顔を見合わせる。
「本当に実家に帰ってたの?」
「始めからそう聞いてますよ」
「誰よ、若い男と駆け落ちしたって言ったのは!」
「え、みんな言ってたし、あなたでしょ?」
「私は噂を聞いただけよ」
3人が揉め出した。
「駆け落ちだったとしたら、うらやましいですよね、だから皆んなで噂してたんですよね?わかりますよ、若い男と駆け落ちだなんて、私でもうらやましいもの」
わざとそう言ってみせる。
「あら、やだ、田中さん、駆け落ちがうらやましいだなんて、はしたないですよ」
「そうよ、倫理に反することは、ねぇ」
「そうですか?私はてっきり、皆さんもうらやましいのかと思ってました。じゃ、そういうことで私は行きますね」
これ以上話すのは時間の無駄。
背中で、あの3人が何か言っている気配がした。
_____他に何か話すことないのかなぁ
子どもが巣立って、家事も半分くらいになると途端に時間を持て余してしまう。
だからあんな風に、よその家のことを面白おかしくおしゃべりのネタにしちゃうのかなぁ?
そこらのワイドショーよりも、話の広げ方がえげつない。
「ね、もしかして田中さんも?」
「そうかもね、やけに肩を持つし…」
「そういえば、あの人最近、妙に元気よね?」
嫌味のつもりだろうが、適当な噂話があからさまに聞こえて来る。
私はカートの向きを変え、後戻りした。
「そうなんですよ、いいですよ、若い男って。みなさん、本当にうらやましいみたいですから、紹介しましょうか?」
「えっ!あ、いや…」
「あなた方3人、まとめて紹介しますよ、ホストクラブに。ほら、ここ。どうします?」
私は、以前礼子がミズキからもらった名刺のホストクラブのホームページを見せた。
「お金は用意しといてくださいね、わりとたくさんですよ」
そう言いながら、私はホストクラブへ連絡しようとした。
「えっ、きゃっ、そんな、冗談ですから。もうっ、田中さんたらっ!」
「そうそう、羨ましくなんかないから」
「そんなお金もないし」
「えー、せっかく紹介してあげようと思ったのに、いいんですか?」
「ほんと、ごめんなさいね、急ぐから失礼するわ」
「そうそう、帰りましょう」
あたふたと買い物を済ませて帰る3人組。
それからしばらくして、私がホストクラブで豪遊しているという噂が流れた。
「本当なの?美和子さん。変な噂が流れてるらしいけど」
心配そうに弥生さんが言ってくれる。
「あ、それ?いいのいいの、自分で流した話だから気にしないで。でも、こうやって噂とか広がっていくのね」
噂には続きがあった。
“田中美和子は近いうちに、若い男と駆け落ちするつもりらしい”
大人の伝言ゲームは、どんどん膨らむらしいということがわかった。
でも、弥生さんの噂は消えていた、私の新しい噂話で。
_____噂なんて、所詮そんなもんだね
うちの家族は笑っていた。
昔、児童虐待の噂で免疫が付いていたようだ。