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旧王族の公爵家が“取り潰された”とは、穏やかではない。
訳を知っていそうな者もいるが、そうではないような者も皆一様に渋い顔をしている。そんな中、グラスは言葉を続けた。
「そこまで話すのであれば、きっちりと講義をなさった方が良い。あまり詳しくない方もいらっしゃるようだ。」
その言葉で、学者のシュトロイゼル・ミモザは意を決した。
「――ではその前に。ショコラ様は現在の騎士団の成り立ちについて、ご存知でしょうか?」
彼が“現在の”と言ったところに引っ掛かったショコラは、小首を傾げた。
「はじめから今と同じなのではないのですか?三つの師団があって、国王陛下がそれを統括されていらっしゃるのですよね。」
この国では、「陸上師団」「海上師団」「近衛師団」の三つがそれぞれ別の組織として並列に活動している。そこに上下関係は無い。そして定期的に会合を持ち、その最終決定権は国王にあった。少々特殊ではあるものの、これがガトーラルコール王国での騎士団の形だ。
シュトロイゼルは首を振る。
「いいえ。その昔騎士団は一つの組織であり、全ての師団を取りまとめる指揮権を持った騎士団長がいらっしゃいました。――それが、“ヴァンルージュ公爵家”だったのです。」
それを皮切りに、彼は語り始めた。
――初代国王の双子の息子たちはどちらも王太子ではなかったため、20歳を過ぎると王室を出る事になった。
一人は「ヴァンルージュ公爵」として騎士団長に、もう一人は「ヴァンブラン公爵」として財政と経済を任され、それぞれ公爵家を作った。
やがてそれぞれ何人かの子が出来、両家の娘と息子で一組、結婚する事が決まった。
初代国王にとっては孫同士の結婚。彼はその縁組みをとても喜び、王家の血が最も濃い家となる事から、祝いとして特別に「ヴァンロゼ」の姓と伯爵位を授けたのだった。
時は流れ、ヴァンルージュ公爵家が四代目の折にそれは起こる。
当代のヴァンルージュ公爵は、血の気の多い人物であった。彼は正当な王族の血統である事から、世が世ならば自分が国王になっていてもおかしくはなかったという考えを持っていた。そして国威発揚のため、領土拡大の戦を提案するも時の国王とは意見が合わず、不満を募らせて行った。
ある時彼は決意する。騎士団によるクーデターだ。
全ての師団を挙げて王位を奪取し、自分が玉座に就く――…そんな青写真を描いたのだ。
これにより、ガトラルは一時内戦状態に陥った。
しかしクーデターは失敗に終わる。
一部の騎士団員にはそれに与する者もいたが、三つの師団長は誰一人として、彼には従わなかったのだ。国王側に付いたのである。多くの団員たちも、自分たちの直属の上司である師団長に付いて行く道を選んだ。
その結果、数の上で劣るヴァンルージュ公爵一派は捕らえられ、処刑される事となった。更に、ヴァンルージュ公爵家の全ては没収され、一族も断絶という憂き目に遭った。
ヴァンルージュ公爵家とは浅からぬ縁である、ヴァンブラン公爵家とヴァンロゼ伯爵家。両家はこの件には無関係であったが、彼彼女らを見る人々の目には厳しいものがあった。この二つの家に罰が与えられる事はもちろん無かったが、それらの「目」には、長年悩まされる事になったのである。
この件は、旧王族の起こした不祥事という事で国にとっては恥となった。更には300年の歴史の中、異国との交戦は一度も無かったにも拘わらず戦闘記録として残る事になり、唯一の汚点ともなった。そのため、国としては可能な限り封印したいような出来事である。
そうしてヴァンルージュ公爵家の話は、次第に公では語られる事が無くなった。今では歴史を深く学ぶ者以外、一般にはあまり知られない存在となっている――。
「――…それ以来、三つの師団は各侯爵様を長にそれぞれ独立した組織に分かれました。そしてそれをまとめるのは国王陛下、となったのでございます……。」
……小さな疑問がここまで重い話になるとは……。ショコラは考えもしていなかった。
そんな時、またあの声がした。
「この話には、まだ続きがあるんですよ。“滅亡したはずのヴァンルージュには生き残りがいて、国外に逃れ、今もどこかで生存している”。――とね。」
すると、あの大人しいサヴァランが声を荒らげた。
「――グゼレス侯爵‼……あまり、軽率な事はおっしゃらないで頂けませんか。」
威勢が良かったのは最初だけで声の調子は段々落ちて行ったものの、表情だけは最後まで強張っている。
グラスはそれに答えを返した。
「これは失礼、サヴァラン卿。まあただの都市伝説、ですよ。――それに、騎士団にとっても消したい過去ですから、自戒の念も込めて……ね。」
サロンに波風を立て台無しにする気か、と思われたが……。グラスの顔はそういうつもりではないようだ。隣で兄の行動を注視していたソルベも、飛び出そうとする姿勢のまま動かない。
ショコラは一先ず安堵した。
……その後、シュトロイゼルは話題を変えて講義を続け、それからまたしばらくしてお開きとなった。
これが初めての事とは言え、何とも後味の良くないサロンとなってしまった……。
「サヴァラン様、ミルフォイユ様。せっかくいらして頂いたのに、気分を害させてしまったようで申し訳ありませんでした……。」
ショコラはしゅんとしながら頭を下げた。
「そんなに気になさらないで。わたくしたち、覚悟はして来ていますのよ。」
「ぼ…私も、空気の悪くなるような事を言って……すみません。」
「いえ!サヴァラン様が謝られる必要はありませんっ!」
逆に頭を下げられてしまったショコラは、慌てて両手を横に振った。そしてふと、以前ミルフォイユの言っていた『悪い事』とは、今回の話の事だったのだなと悟った。
やはり、迷惑を掛けてしまった……
すると少し怒ったような顔をして、ミルフォイユがずいとショコラに顔を近付けて来る。
「その表情、おやめなさい!いいこと?わたくしたちの家はそれぞれ、この国に貢献して信頼を勝ち取って来ましたのよ。この程度の事、大したお話ではありませんわ!」
そう言って胸を張ったミルフォイユは、小さい身体でありながら、ショコラには大きく見えていた。
「……ではショコラ様。またお話ししましょうね。ごきげんよう。」
ショコラは玄関ホールで二人を見送った。
その付近には他にも、帰る者や顔見知りと談笑する者、ショコラに話し掛けようと時機を見計らう者……と様々な人たちがいる。向こうでは、クレムも知人に声を掛けられ話し込んでいるようだ。あっちこっちと動き回っているファリヌは、招待客への対応に忙しくしているらしい。
その時、『誰か』がぽつりと呟いた。
「…あれは……フィナンシェ様では……?」
するとその付近にいた者たちがざわついた。
「えっ?フィナンシェ様だって⁇」
「どこに⁉」
「一目だけでも……‼」
真偽不明の内容だが、早くも小さな騒ぎが起こっている。
そんな中グラスは、馬車と共に待つ執事に帰り支度を始めるようソルベに使いをさせるとミエルのところへ行き、「何か温かい飲み物を」と頼んだ。そしてその足である人物の元へと向かう……。
「――ショコラ嬢!少し、お時間よろしいですか?」
ショコラは驚いて振り返った。そこにはニコニコとした笑顔のグラスが立っている。
まさか彼から声を掛けられるとは……
「…私にお話、ですか⁇グゼレス侯爵様……。」
何の用だろうかと思ったが、姉の事であるのは間違いないだろう。警戒しているショコラはどんな要求をされても応じるつもりは無かったが、とりあえず話だけ聞いてみる事にした。
するとグラスは、「人気の少ないところへ」と言って、彼女をその場から連れ出した。
二人はざわついた玄関から外へ出ると、帰り口とは逆の方向へと歩き出した。そして邸宅の側面に従って進み、人目に付かない死角となる場所を目指した。
先を歩くグラスの背中を見ていた時、そういえば、とショコラは思い出した。
「侯爵様は、初めから今日のサロンがああいう内容になると思われていたのですか?」
「え?なぜ?」
立ち止まり、振り向いたグラスはきょとんとした顔をしている。
「いらした時に、興味があるとおっしゃっていたので……」
すると彼は、くすりと小さく笑った。
「いえ、ここへ来た事にサロンの内容はあまり関係ありません。さっきのはただの話の流れですよ。おかしな空気にしてしまって申し訳ありません。」
いつもとは違い、何となく気まずそうな笑みだ。どうやら、その自覚はあったらしい。
「あれについては、士官学校では必ず教わる事なのですよ。あの場にいたのは文官系の方が多かったようですね。…それでも、知っておいた方がいいとは思いますが。」
ショコラはほう、と少し感心してしまった。“腐っても鯛”。…とでも言おうか……
「……やはり、“侯爵様”なのですね。もっといい加減な方かと思っていました。」
「えぇ、何ですかそれは……」
「あっごめんなさい。」
ショコラは慌てて口を押えたが、時すでに遅し。すっかり言い切っていまっている。
しかし、さすがというか、無礼な事を言われてもグラスは笑顔だった。
「まあ、いいです。貴女の心証が良くなったのならばそれで。そうでなければ、今日来た意味がありませんから。」
今度はショコラがきょとんとした。
「……“今日来た意味”……とは??」
さっぱり見当が付かなくなった。――この人は本当に、今日は一体何をしにここへやって来たのだろうか――…。
ショコラが訝し気な顔をして考え込んでいた時、フッと頭の上に影が落ちた。おや?と思って見上げると、そこにはいつの間にか笑顔から真顔へと変わったグラスの姿があった。そして彼は、そのまま距離を詰めて来ている……
「ショコラ嬢。私はね……」
その様子の変化に、つうっと一筋の冷や汗を流したショコラは、ごくりと空唾を飲み込んだ。そして思わず後退りをしていたのだった。