先のことはまだ何も見えてなかった。
考えてもいなかった。
だけど、私の知らない感覚を、岡久先生は伝えてくれたように思う。
「ねぇ、羅依…」
車の助手席から運転中の彼を呼ぶと、彼は返事の代わりに手を繋いだ。
「私、世界を目指してやってきたの」
「そうだな」
「目の前にいつもすごく広くて大きな世界が広がっていて…頑張っても努力しても絶対に手の届かない相手がいて……」
私がきゅっと指先に力を入れると、羅依の親指が私の手の甲をなでる。
「それでもそれは、とても狭い世界なのかもしれない」
羅依は何も言わないまま車を走らせ、マンションの駐車場まで入ると
「才花の成長期か…」
と呟きながら車を止めた。
「才花の生きてきた世界は間違いなく広くて大きい世界だ。自分一人で世界で戦うなんて奴は俺の周りに才花だけ。でも今それを狭い世界なのかもしれない、と感じるなら、他の世界を覗いたり体験したりする余裕が持てるほど才花の器が大きくなったんだな。俺好みのいい女だ」
チュッ…一度軽く重なった唇は、何度か角度を変えると舌先でノックされる。
顎に指先がかかったタイミングで彼の舌がゆっくり…にゅるりと侵入してきた。
ああ…彼の思惑通りに、私はここにいるんだ…そう感じながら、私はそれで生かされているとも感じた。
「おかえり、才花ちゃん。退院おめでとう」
「ありがとう。すごいタイミングだね」
私と羅依が帰って5分もしないうちに、タクがマンションに来た。
「二人とも電源切ってる?吉井さんが、才花ちゃんに電話してもかからないから、羅依にかけたけどダメで、俺にかけてきたんだけど」
警察?
羅依とタクは吉井さんや何人かの警察官の連絡先を元々知っていた。
クラブなどに定期的に見回ってもらったりするかららしい。
「今ごろ才花に何だ?」
「才花ちゃん、江川ミナミって知ってる?」
「…知ってる。遠方の子だけどいつも大会で会うから。私が辞退したから彼女が今回の代表になったはず…確認はしてないけど」
「その子捕まったって」
すぐには意味が分からなかった。
「西河京子は江川ミナミの伯母。才花ちゃんにケガを負わせる目的でスーツケースを投げ落とした。江川ミナミはそれを指示した…まあ、二人で相談したんだろうね。もちろん西河京子も捕まったって」
「…ケガを負わせる目的って…世界大会のため?」
「そう」
「…そんな…」
そんなレベルで戦っていなかったでしょ?
中学になる前には、彼女と大会で一緒になっていたと思う。
2歳年上の彼女には焦りがあった?
そんなことで人を巻き込む可能性のある攻撃をしてくるの?
私が生きてきた世界はそんなところではなかったはず。
私はソファーに寝ころんだ……と思う。
わからないんだ……だって、体と心と頭……全部バラバラなんだもの。
コメント
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なんてことを… 『俺好みのいい女』いただきましたーって喜んでいたのも束の間… 自分が代表になりたいからって…許せない…💥昔アメリカであった女子フィギュアの事件思い出したわ、怪我したけど出場はできたはず。 やっと、やっと前向きの成長期に入ってきたとこなのに…😖