「しんっじらんない!!」
雄大さんの腕から解放されて、第一声。私は急いでショーツとパンツを穿いた。
「真っ昼間からこんなところで……」
「やってみたかったんだよなぁ、オフィスセックス。すげー興奮した」と、雄大さんは悪びれもせずに言った。
「お前もノリノリだったクセに」
楽しそうに笑う彼を見て、恥ずかしくなる。
図星だからこそ。
「そんなわけないでしょ! ってか、何なんですか! 呼び方といい、今といい――」
「明日には会社中に知れ渡ってるだろうな。あとは……指輪でもあれば――」
「はぁ?」
「こうでもしなきゃ、お前逃げるだろ」
雄大さんが急に真顔になる。
「結婚、するぞ」
「だか……ら……、なんでそこまで――」
「協力するって言っただろ?」
「それにしたって……」
結婚だなんて――。
「お前は俺のモンだ。無期限でな」
「え?」
雄大さんがネクタイを締め直す姿を、格好いいと思った。
そう思ったことが、異常に恥ずかしくなる。
目を逸らしたことに何か察した雄大さんが、私の腰に腕を回す。顔を近づける。耳に息がかかって、顔が熱くなる。
「全て片付いたって、お前は放してやらない」
「だから……なん……で……」
「気に入ったから」と言って、耳の下辺りにキスをする。
そのキスが長く、私はハッとした。
「ちょ――」
「完璧」
雄大さんはニッコリと笑った。
「これで、名実ともにお前は俺のモンだ」
*****
「まさか槇田部長とねぇ……」
社内の好奇の目に耐え続けた一日の終わりに、私は真由とBarにいた。
「まさかねぇ」と、真由が繰り返す。
「何度も言わないで……」
恥ずかしさに、手で顔を覆う。
「明日から背後に気を付けた方がいいよ?」と言い、真由がジントニックを飲む。
「部長のファン」
「刺されたら労災申請できるかな?」
「部長に申請しなさい」
真由は同期であり高校の同級生。一年に一度くらいは会っていたけれど、入社式で再会して驚いた。
「で? どうして部長と付き合うことになったの?」
「え?」
私はナプキンでグラスの水滴を拭く。グラスの中身はモヒート。
「部長のこと、好きなの?」
「……」
「やっぱり理由ありか」
高校時代から、真由は勘が鋭い。
「部長は知ってるの? 社長の椅子のこと」
私は頷いた。
真由は私の結婚に立波リゾートの命運が懸かっていることを知っている唯一の友人。
「黛よりはずっとマシじゃない」
「そう……だけど……」
「高津さんのことを忘れてない……とか?」
久し振りに聞く名前に、心臓が高く跳ねた。
昊輝……。
雄大さんに、結婚を考えたことはなかったのかと聞かれて、一瞬彼を思い出した。
「今も会ってるの?」
「……」
「嫌いで別れたわけじゃないんだから、会い続けてれば忘れられないに決まってるじゃない」
「そんなんじゃ……ないよ」
「馨」
「ホントに! 昊輝とはもう……そんなんじゃないの。ただ……あんな別れ方だったから、今も心配して連絡くれるだけよ。それも、半年に一回? くらいだし……」
本当に、真由が心配するような関係ではない。実際、最近昊輝と会ったのは四か月前。
今も会っている本当の理由は、真由にも言えないけれど。
「事情はどうであれ、あれだけ大っぴらに馨との関係を態度で示したんだから、部長は本気なんでしょう? もう高津さんとは会っちゃダメよ?」
「……うん」
「で? どうだった?」
「何が?」と言いながら、私はナッツに手を伸ばす。
カシューナッツを口に入れた。
「部長のセックス。やっぱり上手いの?」
「んぐっ!」
予想外の質問に、ナッツが気道を塞いだ。
「ゴホッ、ゴホッ」
「ちょっと、大丈夫?」
私はグラス半分に残っていたモヒートを飲み干し、息をついた。
「変なこと……聞くから……」
「だって、有名じゃない? 自称経験者って女が、自慢気に話してるの聞いたことあるし」
「そうなの?」
私はバーテンダーにバラライカを注文した。
「疑わしいけどねぇ。部長があんな口もお尻も軽そうな女を相手にするなんて」
「誰だよ、その女」
背後からすっかり聞き慣れた声がして、私と真由は同時に振り向いた。
雄大さん。
「ゆう――部長、どうして――」
「広報課の美人課長サンにお誘いを受けたんでな」
「あら、嬉しい」と言って、真由が頬に手を当て、笑った。
真由はイベント企画部広報課課長。
「真由!」
「名誉のために言っておくが、会社の女と遊ぶなんて面倒なこと、したことないからな」
雄大さんが私の隣に座り、シェリートニックを注文する。
「誰だよ、自称俺のセックスの相手って」
「今度、話を聞いたら言っておきますよ。部長のセックスを知っているのは馨だけだって」
「やめてよ! ホントに刺されそう」
私の反応を楽しんで、雄大さんと真由が笑う。
「で? どうだった?」
「え?」
雄大さんが頬杖をついてニッコリ笑う。
「俺のセックス。上手かった?」
「……――!」
昼間の情事を思い出し、体温が三度は上昇した。
「あははははっ!! なんて顔してるのよ」
真由が私を見て笑う。
「もうっ! やめてってば!!」
恥ずかしすぎる――!
「さて、面白いものも見れたおことだし、私は先に帰るね。部長、ご馳走様です」と言って、真由が立ち上がる。
雄大さんは、ああ、軽く手を挙げた。その手でチーズを口に運ぶ。
「一応、忠告しておきます。どんな事情にせよ、馨を傷つけたら許しませんから」
真由が鋭い目つきで部長を見下ろす。
「広報課長は敵に回したくないから、大事にするよ」
「忘れないでくださいね?」
「ああ。だから、馨の為にも、俺たちは真剣交際で結婚間近、ってことでよろしく」
「はっ?」と、自分でも驚くほど間抜けな声が出た。
真由も驚いて、けれどすぐに営業スマイルを見せた。
「任せてください」
「真由!」
「大丈夫よ、馨。広報課長の腕を信じなさい。じゃ、また明日ね」
真由はヒラヒラと手を振って、店を出て行った。
バーテンダーがバラライカとシェリートニックを運んできた。
「平内はお前の事情を知ってるんだな」
「真由は高校の同級生なんです。大学時代は疎遠になってましたけど」
「お前が『那須川』になる以前から知っている……か?」と言って、雄大さんはシェリートニックを飲む。
「黛のことも知っているんだな?」
「はい。言い寄られて困っているところを何度も助けてくれました。黛から守るために桜を留学させてるんですけど、アドバイスしてくれたのは真由なんです」
全てを知っているわけではないけれど、真由は私の一番の理解者で協力者。
「なるほど。なら、平内に任せておけば安心だな」
「なにがです?」
「俺たちの交際宣言」
「本気……ですか? 結婚するって……」
「何度もそう言ってるだろ? これでも仕事には誇り《プライド》を持っている。本気じゃなきゃ仕事に影響しそうな噂を自分で吹聴するかよ」
雄大さんは残っていたスモークベーコンを口に入れる。
彼の言動を見る限り、本気で私と結婚するつもりなのは疑いようがない。
私はバラライカを一気に飲み干した。
「私の何をそんなに気に入ったのかわからないんですけど……」
「お前は俺が嫌いか?」
「え?」
見ると、雄大さんが真剣な表情で私を見ていた。力強い眼差しの中に、ほんの少しだけ不安を感じた。
「嫌い……なら、朝一でコンプライアンス担当に訴えてますよ」
「だな……」
ははっ、と雄大さんが笑う。
「ロマンティックな感情かはわかりませんけど、雄大さんのことは……嫌いじゃないです」
「今はそれじゃダメか?」
「え?」
「少なくとも俺たちはお互いにセックスの相手としては満足していて、受け入れている。俺はセックス抜きにしてもお前を気に入っているし、助けてやりたいと思う。そして、お前は共犯者が……協力者が欲しい。俺たちの関係を確立するには十分な理由じゃないか?」
無茶苦茶なことを言っているのに、ここまで自信満々に言われるとすごい説得力……。
雄大さんが三十三歳という若さで部長に昇進するまで、プレゼンの神と揶揄されていた。彼のプレゼンで契約を逃したことがないから。
それを思い出し、可笑しくなった。
「さすが、プレゼンの神」
「は?」
「だって……。ふふふ……。尤もらしく言ってますけど、要するに私が気に入ったから手放したくないってことですよね? 結婚なんて馬鹿げた契約をしてでも」
雄大さんがため息をつく。
「お前のプレゼンは簡潔すぎるんだ。多少回りくどく言った方が相手の心を掴める場合がある」
「なるほど? せっかくお近づきになれたんですから、勉強させてもらいます」
雄大さんは、同じものでいいかと聞き、バラライカを注文した。
「贔屓してると噂されるな」
「部長のファンに刺されるリスクを背負うんですから、それくらいは大目に見てもらわないと?」
「大丈夫だ。お前が刺される前に俺がそいつを刺してやる」
バラライカを運んできたバーテンダーは、物騒な話をしている私たちに訝し気な視線を向け、空のグラスを持ってテーブルを離れた。
「じゃ、改めて、俺たちの契約に」
雄大さんがグラスを傾けた。
「乾杯」
バラライカとシェリートニックがキスをして、私は本当の意味で共犯者を手に入れた。
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