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ゆうき あきや
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259
#心理描写重視
第150話:ただ一碗の救済。完璧な玄米と味噌汁、そして映画監督の旅立ち
どこまでも高く澄み切った十勝の秋の空を、一筋の涼風が優しく吹き抜けていく。
限界集落の朝は、小鳥たちの清々しい囀りと共に、いつも通りの穏やかな始まりを告げていた。
古民家の縁側では、純白の神獣シロ様が「冷感マイナスイオン」の出力を完全に秋モードへと移行させ、心地よさそうに喉を鳴らしている。
その足元では、ふかふかの秋毛に変わり始めたキタキツネのコン吉とコン次郎が、互いの体を寄せ合ってスヤスヤと眠っていた。
庭の隅では、かつて野生の絶対王者だった体長三メートルの巨大ヒグマが、大きなぬいぐるみのように丸くなり、静かな寝息を立てている。
俺——アキヤが全財産を投じて買い上げたこの聖域は、今日も世界一バグっていて、世界一温かい時間が流れていた。
だが、今朝の古民家には、いつもの日常に加えて『ひとつの別れ』の気配が漂っている。
「……ふむ。水分量、火加減、圧力。すべてがミリタリー規格の完全値だな」
俺は台所の土間に立ち、使い込んだ羽釜の蓋を開けた。
中からは、一粒一粒が完璧な黄金色に輝き、見事なカニ穴を刻んで湯気を立てる『玄米』が顔を覗かせる。
その隣のコンロでは、自家製の熟成味噌に、村のおばあちゃん達から譲り受けた十勝産の甘い玉ねぎと、地元の新鮮な油揚げをふんだんに投入した『味噌汁』が、コトコトと芳醇な香りを放っていた。
今日、都会へと帰る日の朝を迎えた映画監督・黒岩徹のために、俺が用意した最後のロジスティクス(朝食)だ。
「黒岩さん、おはようございます! 荷物の整理は終わりましたか?」
いつものエプロン姿の小春ちゃんが、居間から縁側へと声をかける。
そこには、リクライニングチェアに腰掛け、すっかり毒気の抜けた穏やかな顔で庭の木漏れ日を眺めている黒岩監督の姿があった。
かつて都会の映画界で『シニカルな鬼監督』と恐れられ、ネットのヤラセを暴きに突撃してきた面影は、今の彼には一ミリも残っていない。
「ああ、小春ちゃん。おはよう。……荷物といっても、元々大したものは持ってきていないさ。都会の重苦しいプライドは、数日前にあのヒグマに抱きしめられた瞬間に、すべてここに置いてきてしまったからね」
黒岩監督は自嘲気味に、だが本当に晴れやかな笑みを浮かべて、ヒグマの大きな頭をそっと撫でた。
ヒグマは「グゥ……」と心地よさそうに鼻息を漏らし、黒岩の手に自分の大きな頭をすり寄せている。
そこへ、俺は完璧なトレイワークで、炊きたての玄米と、器から極上の湯気を立てる味噌汁、そして自家製の浅漬けだけを乗せた、極めてシンプルな朝食を運んできた。
「黒岩監督。これより、本日の陣地離脱(帰京)に向けた、最終エネルギー補給を開始する。特別なものは何もないが、これが俺たちの『日常』だ」
黒岩監督は、目の前に置かれたあまりにも質素で、しかし一分の隙もないほど美しく整えられた朝食を見つめ、静かに箸を取った。
「ありがとう、アキヤくん。……いただきます」
最強のYAMAHAルーターを通じて全世界へ生配信されている【日常チャンネル】の画面の向こうでは、一千万人を超えるリスナーたちが、この新章のフィナーレを固唾を呑んで見守っていた。
『監督、ついに帰っちゃうのか……寂しいな』
『突撃してきたアンチだったのに、今じゃ完全に家族の一員じゃん』
『主の作った玄米と味噌汁、シンプルだけど絶対に美味い拘りが詰まってる』
『シロ様が監督の足元にそっと寄り添ってるの、本当に聖域の優しさだわ』
チャット欄が温かいコメントで埋め尽くされる中、黒岩監督はまず、完璧な水加減で炊き上げられた玄米をひと口、ゆっくりと口に運んだ。
新鮮な大地のエネルギーが詰まった粒を噛み締め、静かに飲み込む。
続けて、十勝産の玉ねぎがたっぷりと入った味噌汁を、お椀から直接、ずずっと啜った。
その瞬間だった。
ピキィィィン……。
黒岩監督の手が、ピタリと止まった。
お椀を持ったまま、彼の身体が微かに震え始める。
「監督……? どうかしましたか? 味、薄かったですか?」
小春ちゃんが心配そうに覗き込んだ、次の瞬間。
ポロポロポロポロ……っ!!!
黒岩監督の、幾多の過酷な撮影現場をくぐり抜けてきた鋭い瞳から、大粒の涙が、堰を切ったように激しく溢れ出し、手元のトレイへとこぼれ落ちた。
「ーーーっっっ!!! う、ううあぁぁぁ……っ!!」
黒岩監督は、お椀をトレイに置くと、両手で顔を覆い、まるで小さな子供のように声を上げて、激しく号泣し始めたのだ。
「美味い……美味いよ、アキヤくん……っ! 身体の芯から、凍りついていた魂が、すべて溶けていくようだ……っ!」
彼は涙を拭おうともせず、しゃくり上げながら、狂ったように言葉を紡ぎ出す。
「都会では……毎日、何十万円もする高級な寿司やフレンチを食べていた。だが、そこにあったのは、常に利害関係と、他人の顔色と、終わらない激務のプレッシャーだけだった……! 舌は肥えても、心はいつも泥のように渇いていたんだ……っ!」
黒岩監督は、再び玄米を口に運び、涙まじりで噛み締める。
「それなのに……この玄米と味噌汁には、一切の虚飾がない! ただ完璧な技術と、十勝の大地の恵み、そして、生きるための純粋な力だけが詰まっている……! 私は、こういう本物の『リアル』を求めて、ドキュメンタリーを作っていたはずだったんだ……っ!」
長年の激務、東京のコンクリートジャングルでの出世競争、ネット上の果てしない叩き合い。
彼の脳と心をささくれ立たせていたすべての都会のストレスが、アキヤの作った「ただの完璧な朝食」によって完全に解放され、魂の奥底からデトックス(完全浄化)されていく。
一千万人を超える画面の向こうのリスナーたちも、このアンチ監督が魂を救われた歴史的瞬間に、全人類規模で大号泣していた。
『ダメだ、俺まで涙が止まらない……っっ!!』
『ただの玄米と味噌汁が、世界最高の救済メシになった瞬間だ』
『監督、本当にお疲れ様だったな。この村に来て救われてよかった』
『主のポーカーフェイスの裏にある、需品科の圧倒的な優しさが五臓六腑に染み渡るわ』
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)=”Wonderful! The true luxury is not money, but this ultimate peace! Safe travels, Director!“(素晴らしい! 真の贅沢とはカネではなく、この究極の平和だ! 良い旅を、監督!)』
『(スイスの銀行家からの¥50,000MeTubeギフト)=”A breakfast that satisfies the soul. This is a five-star asset that no bank can manage!“(魂を満たす朝食。これはいかなる銀行も管理できない五つ星の資産だ!)』
世界中のVIPたちも大絶賛のスパチャを祝祭の花火のように連発し、画面が極彩色の祝福で埋め尽くされていく。
そんな、世界最高峰のドキュメンタリー監督が縁側で「ううう……っ」と大号泣し、小春ちゃんがもらい泣きしてハンカチを濡らしている感動的なフィナーレのど真ん中で。
俺は一人、静かに折りたたみチェアに座り、自分の分の『玄米』と『大豆ミートの納豆和え』を手に取った。
正式に出荷される前のクリーンな領域で仕込んでおいた、俺だけのストイックな糧食だ。
そして、一切の表情を崩すことなく、完璧な速度でストイックに咀嚼を開始した。
(……ふむ。今日のプロテインと食物繊維の補給も、極めて順調だな)
脳内で、十勝の秋の味覚が銀河規模のハーモニーを奏でていたが、俺は需品科としての『どんな極上メシにも動じない鋼のポーカーフェイス』を維持し、淡々と喉へと滑り込ませた。
「お、お兄さぁぁぁん!!! 都会のストレスから完全に解放された監督さんが、人生で一番綺麗な涙を流して大号泣してるこの奇跡の瞬間に、なんで一人だけ真顔で『大豆ミート納豆』をストイックに噛み締められるんですか!?」
小春ちゃんが、感動の涙をボロボロと流しながら、今回の配信用に彼女が夜なべして進行を書き込んでいた『巨大な紙の台本(丸めて棒状にしたもの)』を両手で構え、凄まじいジト目でツッコミを入れてくる。
だが、俺は玄米の咀嚼を止めない。
「小春ちゃん、取り乱すな。部隊の撤収(監督の旅立ち)を前に、管理者が感情に流されて兵站(ロジスティクス)の管理を疎かにしてはならない。俺は冷徹に、日常のルーティンを執行しているだけだ」
俺は熱いほうじ茶で喉を潤すと、一千万人を突破したカメラの前にキリッとした真顔で立ち、いつもの『限界言い訳タイム』を発動した。
「世界中の皆さま。画面の向こうで、シニカルな映画監督が人の温もりと完璧な食事によって都会のストレスから救われ、感動の涙を流していると思われているかもしれませんが、冷静になってください」
『出たァァァァァ!!!』
『第4章の感動的な大団円で、まだ言い訳する気かこの男は!!!』
『主の限界言い訳タイム・映画監督の旅立ち編ww』
『さあ、この魂の完全救済をどう科学的に論破するつもりだww』
俺は淀みない口調で、極めてフラットに言い放った。
「これは、彼の心が純粋な感動で救われたわけでも、俺の料理に魔法がかかっているわけでもありません。先ほど味噌汁に投入した十勝産の玉ねぎに含まれる『硫化アリル(アリルプロピルジスルフィド)』という揮発性成分が、熱風に乗って彼の眼球の粘膜を刺激し、突発的な涙腺の防御反応(反射性の涙)を引き起こしただけです。彼が都会の激務を語って泣いているのも、ただの玉ねぎの成分が目に染みたタイミングが偶然重なっただけの、生理学的な結末です。ええ、すべてはただの『調理に伴う揮発成分の拡散』と『玉ねぎの成分による一時的な涙腺刺激』に過ぎませんね」
「監督さん、心のデトックス中ですから黙っててください!!!」
バコォォォォォンッ!!!!
小春ちゃんが、持っていた丸めた特大台本を全力で振りかぶり、俺の背中に向かってパーフェクトな満塁ホームラン級・スマッシュを見舞った。
緊張感ゼロの乾いた紙の爆音が、静かな限界集落の朝空に心地よく響き渡る。
「玉ねぎの成分で大の大人が過去のトラウマまで語って号泣するわけないでしょうが!! 反射性の涙だったら、なんでこんなにスッキリした仏様みたいな笑顔になってるんですか!! お兄さんの作った完璧な水加減の玄米と味噌汁が、監督さんの傷ついた心を完璧に包み込んで救ってあげたんでしょうが!! 素直に『俺の飯で一人救ってやったぜ』って認めなさいよ!!」
『小春ちゃんの丸めた台本スマッシュキタァァァァ!!!(いい音)』
『硫化アリルの揮発成分(ただの完璧な救済味噌汁)』
『一時的な涙腺刺激(都会のストレスからの完全解放)』
『適応力バグおじさん、ついに人間の魂の完全救済まで玉ねぎのせいにしやがったww』
『言い訳が冷徹すぎて、監督の涙が引っ込んで大爆笑になったわww 最高!!』
俺の理不尽極まりない有機化学的な限界言い訳と、小春ちゃんのキレキレの台本ツッコミに、一千万人を超える視聴者たちは、黒岩監督のすっかり浄化された晴れやかな笑顔を横目に、腹がよじれるほどの大爆笑の渦へと叩き落とされた。
『ミャウ(ほんと、最後までカットのかからない屁理屈な下僕ね)』
シロ様が、黒岩監督の足元から俺の膝の上へとトコトコと移動し、呆れたように尻尾を揺らしながら、嬉しそうに喉を鳴らした。
黒岩監督は、涙を拭うと、俺に向かって深々と頭を下げた。
「ふふっ……、ありがとう、アキヤくん。玉ねぎのせいでも何でもいいさ。私は、この村で最高のドキュメンタリーを……いや、人生の本当の『リアル』を撮ることができた。東京に戻ったら、今までの古い欺瞞をすべて捨てて、新しい映画を作るよ」
彼はそう言うと、いつもの業務用カメラをしっかりと抱え、小春ちゃんや村のおばあちゃん達、そしてモフモフたちに爽やかな笑顔で手を振りながら、ロケ車へと乗り込んでいった。
去りゆくロケ車の後ろ姿を見送りながら、俺は温かいほうじ茶をゆっくりと啜った。
「……まぁ、理由はどうあれ。不審者が完全な大ファンへと変化し、陣地の平和が永久に維持されたなら、ロジスティクスとしては大成功だ」
俺は竹箒ならぬ台本の衝撃をさすりながら苦笑し、十勝のどこまでも広大で、美しい秋の青空を見上げた。
激務に潰されて逃げ込んできた、この限界集落。
最初は一人で静かに暮らすつもりだったが、今では世界一尊いモフモフたちと、騒がしい女子高生、開拓を支援してくれる世界中の大富豪、そして一千万人のリスナーたちに囲まれた、世界一強固で、世界一温かい『絶対の聖域』になってしまった。
世界一バグっていて、世界一優しい元社畜の最強スローライフは、疑う者(アンチ)すらも笑顔の渦へと巻き込みながら、さらに強固になった絆と共に、明日からの新しい『バグった日常』へと、どこまでも力強く続いていくのだった。
コメント
1件
先週読んだばかりの話ってこれか〜。監督が完全に毒抜かれて、玄米と味噌汁で魂ごと救われちゃうシーン、グッときすぎて何度も読み返したよ…。あそこから「玉ねぎの揮発成分」って言い訳する主(アキヤ)の顔真面目すぎて笑ったけど、最後のポーカーフェイスでちゃんと見送るのはやっぱり「推せる男」だな。ほんわ🧡 寂しいけど、それだけ居場所があって良かったって思えるラストだった。