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「お、女!?」
いきなり何を言い出すのかと、思わず声が裏返る。
すると稲垣さんは堪え切れないというように吹き出した。
「あっはは! 兄さん、それすっごくいいけど、残念ながら違うんだよね~」
「いや、全然よくないでしょ! ……って…………兄さん?」
さらりと出てきたワードに、目をしばたかせる。
同僚ではなく、お兄さん。
ということは、兄弟でこのザ・紳士さんの部下としてついているのか、もしくは秘書のような役割を担っているのだろうか。
自分の置かれている状況も含めすべてがまったく見えてこず、私は目の前の3人を順番に見つめた。
「あの、稲垣さん……」
「ん?」
「……」
2人に同時に反応され、思わず焦る。
(あ、そうか。2人とも稲垣さんなんだ。この場合、どう呼ぶのが正解……? いきなり名前を呼ぶわけにもいかないし……)
だったらどう呼べばいいのかと数秒、頭をフル稼働して考えたけれど、いい呼び名が思いつかない。
私は絶対大笑いされるだろうと思いつつ、唯一浮かんだ呼び名を口にした。
「え、えっと、稲垣……弟さん?」
すると彼は一瞬ぽかんとした顔を見せたあと、案の定盛大に吹き出した。
「あっはははっ! ちょっ……稲垣弟って! なんでそのセレクト???」
「いやその、名前呼びするのはちょっと憚られて……」
「あはは、そっか。まあ君らしいといえば君らしいけど。けど、そんなことで遠慮しないで。オレのことは日向でいいよ」
「わかりました。では、日向さん、で……」
友達でもない人を名前呼びすることなんて幼稚園の時以来じゃないだろうか。
私はなんともいえない気恥ずかしさを感じながらモゴモゴと口を動かした。
「うん、よろしく♪ で、この人はさっき言ったけどオレの兄の久遠(くおん)ね」
「久遠……稲垣、久遠さん」
どこかで聞いたことのある名前に、記憶をたぐり寄せる。
(……どこだっけ……確か最近…………あっ!)
「昨日のテレビ!」
昨日、コンビニに行く前につけていたテレビに流れていたインタビュ―。
あのインタビューを受けていた彼と、今目の前にいるクールな彼とが重なる。
「あ、昨日のテレビ、観たんだ」
「はい、確かイナガキの社長の長男で、次期社長候補って言っていたような…………」
そこまで言って、あることに気づき、私は目を見開いて口をパクパクさせた。
「えっ! ちょっと待ってください? テレビの稲垣さんがお兄さんってことは、稲垣さ……日向さんもイナガキの社長の息子ってことですよね?」
「あはは、なんか言い方ややこしいけどそういうことになるね」
改めて、日向さんと久遠さんの顔を交互に見つめる。
昨日初めて会った時、お金持ちだとは思っていたけれど、まさかテレビに出るような、世情に疎い私でも知っているような大企業の息子だとは思わなかった。
(だったらこの人は誰だろう?)
これまで一言も言葉を発していないザ・紳士を見つめる。
はじめ、久遠さんと日向さんの上司か何かと思っていたけれど、どうやらそうではない雰囲気だ。
すると、そんな私の様子に気付いたのか、日向さんがザ・紳士の肩をポンと叩いた。
「彼は兄の秘書の笹倉浩一郎(ささくら こういちろう)。すっごく有能なんだよ」
「初めまして」
「は、初めまして……」
見かけ通りの綺麗な所作で頭を下げられ、私も慌ててお辞儀を返す。
先ほどまで2人の上司か何かだと思っていたのに、秘書と言われれば秘書にしか見えなくなってくるから不思議だ。
改めて、目の前の3人を見つめる。
久遠さんと日向さんはイナガキの社長の息子で、笹倉さんは久遠さんの秘書。
となると……
「あの、日向さん、私がお手伝いする人っていうのは……」
「もちろん、兄さんのことだよ」
「……はぁ、日向」
にこにこと笑顔で答える日向さんに、久遠さんが盛大なため息をつく。
「話がまったく見えない」
「だーかーら、ちゃんと説明しようと思って、朝早くからここに来たんじゃん。綾乃ちゃんにもまだきちんと説明できてないし?」
「なに?」
ここにきて、久遠さんはようやく私にきちんと視線を向けた。
「君は、ろくな説明もされずに、誰とも知らぬ家にほいほいやって来たのか?」
「お、大まかな説明しかされてはいませんけれど、どちらかといえば得意分野だと思ったので……」
「得意分野? 君の?」
涼し気な目が大きく見開かれ、私の頭のてっぺんから足の爪先までじろじろ見つめられる。
その視線に、高校時代の『零下100℃の鬼メガネ』と陰であだ名をつけられていた化学の先生を思い出し、私は思わずピンと背筋を伸ばした。
「……そ、そうは見えないかもしれませんが……」
「ああ、どちらかといえば苦手分野にしか見えない」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私、そんなにがさつに見えます???」
「は? この件への関与にがさつかどうかは関係ないだろう」
「この件がどの件かは、私にはまだちょっとわかりませんが……少なくとも、がさつさが前面に出ている人間をお手伝いさんとして雇えないですよね? それに……」
「……待て」
「っ……?」
久遠さんは私の言葉を手で制し、しばらく考え込んだ後、日向さんを一瞥した。
「日向、お前彼女になんと説明した?」
「え? 別にフツーに、ある人のサポートをしてほしいって。あ、あと身の回りの世話……みたいなことも言ったかも?」
「……それで家政婦の仕事だと思ったのか」
久遠さんは小さくため息をつくと、咎めるように日向さんを睨んだ。
「お前、わざと彼女が誤解するように仕向けたな?」
「えー……いやだって本当の目的話したら、絶対来てくれないって思ったし」
「あ、あの……?」
まったく話が見えていない私を、久遠さんは再び見据えた。
「……残念だが、こいつは君を家政婦として雇うためにここに来させたわけじゃない」