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一ヶ月が過ぎ、陽太と美月の関係は深まっていった。書店での出会いを重ねるごとに、二人は強く惹かれ合っていた。しかし同時に、時間の壁を越えられないもどかしさも感じていた。
「書店の外でも会えないか試してみようか」ある日、陽太が提案した。「君の世界で何か印を残して、僕の世界でそれを確認できるかもしれない」
「どうやって?」美月の瞳に期待の光が灯った。
「君は2022年、つまり過去にいる。過去から未来への情報は流れやすいはずだ」陽太は考えながら言った。「例えば、君が特定の場所に何か印を残す。そして僕がその一年後、同じ場所でそれを確認する」
美月は頷いた。「理にかなってますね。じゃあどうしましょう?」
二人は実験を始めることにした。最初は公園のベンチに美月が刻む印。彼女は陽太と決めた特別な記号を、東京の中心にある公園のベンチの裏側に彫り込んだ。
翌週、書店で会った際、陽太はがっかりした表情で報告した。「見つからなかった。そのベンチ自体が修理されたらしく、新しいものに交換されていた」
次に彼らは別の試みをした。美月が図書館の特定の本の特定のページに、微かな印を付ける。それは目立たないものの、知っていれば確実に見つけられるはずだった。
しかし、この試みも失敗した。「その本は一年の間に別の場所に移動されていた」と陽太は報告した。
彼らは他にもいくつかの方法を試みたが、すべて失敗に終わった。一年という時間は、彼らが考えるより多くの変化をもたらしたのだ。
「やはり時間は簡単には超えられないのか…」陽太は肩を落とした。
美月も落胆していたが、すぐに気持ちを切り替えた。「でも、諦めたくはありません。他に方法があるはずです」
その日の帰り際、二人が重い足取りで店を出ようとしたとき、店主が声をかけた。
「お二人は本当に面白い実験をしていますね」
振り返ると、店主は古い革張りの椅子に座り、一冊の本を膝の上に置いていた。
「どうして知っているんですか?」美月が尋ねた。
店主は微笑んだ。「この書店は時間の隙間にあります。ここからは、様々な時間の流れが見えるのです」
陽太は店主に近づいた。「私たちが外の世界で会う方法はないのでしょうか?」
店主は立ち上がり、奥の書棚へと二人を案内した。「時間は物理的なものだけではなく、感情にも反応します。強い思いが時間を曲げることもあるのです」
彼は一冊の古い写真集を取り出した。その中には、様々な時代の人々の写真が収められていた。
「これらの人々も、あなたたちと同じように時間の隙間で出会いました」店主は写真をめくりながら説明した。「彼らの中には、時間の壁を越えて一つの時間軸で生きることを選んだ人たちもいます」
一枚の写真には、明治時代の服装をした男性と、大正時代の装いをした女性が映っていた。その隣のページには、同じ二人が昭和初期の東京で撮影された写真があった。
「どうやって…?」美月は驚きを隠せなかった。
「量子物理学では、粒子が観測によって状態を決定するという概念があります」店主は静かに語り始めた。「同様に、強い意識と感情は、時間という織物にも影響を与えることができるのです」
陽太は写真を見つめながら考え込んだ。「それは科学的に説明できることなのですか?」
「科学と魔法の境界は、理解の深さによって変わるもの」店主は哲学者のように答えた。「昔から世界中の伝説には、時間を超える愛の物語があります。これは単なる空想ではなく、時間の本質についての直感的な理解なのかもしれません」
店主は別の棚から古い日記帳を取り出した。「これは私自身の記録です。私もかつて、異なる時間から来た人と出会いました」
彼はその日記を開き、美しい筆跡で書かれたページを二人に見せた。そこには店主自身の若かりし頃の物語が記されていた。彼もまた、時間の隙間で誰かと出会い、選択を迫られたのだ。
「時間の隙間で出会った魂には、二つの選択肢があります」店主は日記の最後のページを示した。「永遠に隙間で会い続けるか、または一方が時間を超えて相手の世界へ渡るか」
「それがどうして可能なのですか?」美月が尋ねた。「書店の中で出会うことはできても、片方が相手の時間軸に完全に移ることは、また別の次元の話ではないですか?」
店主は暖かな微笑みを浮かべた。「書店は時間の隙間という、いわば『狭間』にあります。ここでは二つの時間が交差するだけです。しかし、古来より、魂には時間を完全に超える力があると信じられてきました。東洋では『縁』と呼ばれるものです。二つの魂が本当に結びつくとき、その絆は時間の流れそのものを変えることさえできるのです」
店主は窓際に歩み寄り、夕暮れの光を浴びながら続けた。「しかし、すべての選択には代価が伴います。時間を超えるためには、自分の世界の記憶を手放す覚悟が必要です。それは自分自身の一部を失うことを意味します」
陽太と美月は互いを見つめた。それは大きな犠牲だった。
「でも、それでも越えた人たちがいるんですね」陽太が言った。
「真実の愛は時空をも曲げる力を持つのです」店主は微笑んだ。「それは科学では説明できないかもしれません。しかし、二つの魂が深く結びつくとき、それらは時間と空間を超えて影響し合うことができるのです」
その言葉に導かれ、二人は新たな試みを始めた。単に物理的な印を残すのではなく、互いに強く思いを寄せながら、同じ時間に同じ場所で何かをすること。
「明日の正午、東京タワーを見上げながら、お互いのことを思いましょう」美月が提案した。「心と心で繋がれば、物理的な時間を超えられるかもしれない」
翌日、陽太は仕事の合間を縫って東京タワーの下に立った。正午ちょうど、彼は空を見上げ、心の中で美月の名前を呼んだ。
同じ時刻、美月も東京タワーの下に立ち、陽太を思った。彼女の心は、一年先の未来へと思いを馳せた。
その夜、陽太は夢を見た。夢の中で彼は東京タワーの下にいた。そして目の前に美月が立っていた。彼女は手を伸ばし、彼の名を呼んでいた。
土曜日に書店で会った時、二人は興奮した様子でその経験を語り合った。
「見えましたか?」美月は目を輝かせて尋ねた。
「うん、夢で会えた気がする」陽太は頷いた。「東京タワーの下で、君は青いワンピースを着ていた」
美月は息を呑んだ。「私、その日は確かに青いワンピースを着ていました」
「これが時間を超える方法かもしれない」陽太は言った。「完全な同期と、強い感情の結びつき」
店主はそんな二人の会話を静かに聞いていた。「量子もつれという現象があります」彼は言った。「一度繋がった粒子は、どれだけ離れていても互いに影響し合う。あなたたちの魂も、そのように繋がり始めているのかもしれません」
それからというもの、二人は「同期」の実験を続けた。同じ時間に同じ場所で同じことをする。そして夜、夢の中で会う。徐々に、その夢はより鮮明になっていった。
ある夜、陽太は特別な夢を見た。夢の中で彼は美月の部屋にいた。机の上には彼女の翻訳中の原稿が置かれ、壁には彼女の好きな作家のポスターが貼られていた。すべてが鮮明で、匂いさえ感じるようだった。
目が覚めると、陽太はすべてを記憶していた。彼は急いでノートに詳細を書き留めた。
土曜日、彼は美月にその夢について語った。「君の部屋は白い壁で、窓際に小さな観葉植物があった。机の上には『星の航海士』という小説の原稿が置かれていて…」
美月は震える手で口を押さえた。「それは私が今翻訳している小説です。誰にも話していなかったのに…どうして?」
「僕たちの魂が本当に繋がり始めているんだ」陽太は言った。「時間を超えて」
その日、陽太は書店で美月にプレゼントを渡した。それは彼がデザインしたオリジナルのブックマークだった。
「これを使って、僕たちの物語をマークしよう」
美月はそれを大切そうに受け取った。「ありがとう。私も何か…」
彼女は鞄から一冊の本を取り出した。「これは私が翻訳した詩集です。まだ出版されていません。あなたの世界では既に出ているかもしれませんが、私の心を込めました」
陽太はその本を受け取り、ページをめくった。そこには美月の筆跡で書かれた献辞があった。
「時間を超えて出会えたあなたへ」
二人が見つめ合っていると、店主がそっと近づいてきた。彼の姿は夕暮れの光の中で、一瞬若い男性のように見えた。
「二人の絆が強まっているのを感じます」店主は優しく言った。「夢の中の出会いは現実より真実かもしれません。そこでは魂がそのままの姿で触れ合うのですから」
彼は古い懐中時計を取り出し、二人に見せた。「時間は円環のようなもの。始まりと終わりが繋がっています。だから時には、異なる地点にいる人々が出会うこともあるのです」
「もうすぐ答えが見つかるでしょう」店主は意味深に言った。「選択の時が近づいています」
「どういう意味ですか?」陽太が尋ねた。
店主は神秘的な微笑みを浮かべた。「もう一度伝えますが、時間の隙間で出会った魂には、二つの選択肢があります。永遠に隙間で会い続けるか、または一方が時間を超えて相手の世界へ渡るか」
「そのためには何が必要ですか?」美月が問いかけた。
「それは愛の力です」店主は星空を見るように遠くを見つめた。「真実の愛は時空をも曲げる力を持つのです。しかし、それには代価が伴います。自分の時間を手放す決意と、新しい時間に適応する勇気が」
陽太と美月は手を取り合った。彼らの指が絡まる瞬間、店内の古い時計が一斉に鳴り始めた。店主は静かに頷き、本棚の間に消えていった。
二人の前には、まだ見ぬ選択の道が広がっていた。