戦いの後すぐに、白い龍は何事も無かったかのように、ユカの側に戻ってきた。
「つかれた」と、つぶやいたユカに、乗れとばかりにその大きな頭を下げている。そして当然のようにユカと女王は、悠々と浮遊して龍の頭に腰かけた。
「龍のケガは大丈夫なの?」
私の声に、女王は鼻で笑ってから答えてくれた。
「仮にも迷宮の主であった龍ぞ? あの程度、かすり傷に等しい」
「えぇ……?」
拍子抜けしたというか安心したというか、それとも、絶望したというか。
まずは、強くて頑丈で良かった。
この龍はユカのお気に入りに違いないし、龍もユカを大切に守ってくれているから。鱗が少し剥がれようと、多少の白い血をまき散らそうと、些事であるなら。
そして、それが偽りなく些事であるなら……人には勝ち目など無い。
この龍が地上に出て暴れ回るだけで、都市は壊滅する。
体を鞭のようにしならせ、火炎を吐き街を焦がせば、その日のうちに大都市くらいは簡単に灰塵に出来るだろう。
覚醒者の中でも、上位の強さを誇っていそうな直彦でも倒せないのなら、もはや誰にも倒せない。
私みたいなのが参戦しようとも、尻尾の一撃をどこかで喰らって、そこで終わっている。
「小娘」
「は、はい!」
畏怖の念が伝わってしまったのか、委縮した気持ちの最中に強く呼ばれて私は、飛び上がるように返事をしてしまった。
「ハハハ。して、理解したか? 我らがその気になれば、地上などすぐにでも壊滅出来てしまうと。……いやこれは、そこのうつけに言うべきか」
「わかってるわよ」と、言おうとした横から直彦が、不快感そのままに返した。
「そんなことは、許さないぞ!」
でも、それを嘲笑うように女王は吐き捨てた。
「どの口が言う。ただのサディスト風情が」
「ちょっと! ケンカしないで! 仲良くしろとは言わないけど、煽るみたいなことしないで!」
さっきまでの戦いが、また繰り返されるのかと思うとゾッとする。
特に彼は、一度、間違いなく死んでいるのだから。
「直彦。ケンカしないで。せっかく生き返ったんだから。わかってよ」
私の隣を歩き始めた直彦に、恨めしく伝えた。
あの大きな木の元に、龍が向かい出していたから私も続いて、彼も倣っていた。
直彦は傷など無かったかのように立ち上がったし、何ならショックを受けていた私なんかよりも、元気そうな足取りだ。
「ごめん。君に救ってもらったのにね」
「そうよ。キョエちゃんはまた消えちゃったし。ほんとにさ、いつでもフェニックスになってくれるとは限らないんだから」
自分では制御出来ない。
あの子が勝手に、たぶん私の気持ちを汲んでくれているとは思うけど、自在というわけではないから。
「肝に命じておく」
「もぅ……」
大袈裟なんだから。という言葉は、飲み込んだ。
「ほんとに、もう嫌だからね」
私を見ていてくれても、そうでなくても。
好きな人が死ぬ姿なんて、もう二度と見たくない。
「ああ。ごめん」
その言葉は、今は本気だとしても。
また別の時になったら、簡単に覆してしまうんじゃないかと不安になる。
そういう声に思えた。
「……ねぇ。甘えてもいい?」
「うん? まあ、僕に出来ることなら」
「抱っこして。お姫様抱っこがいい」
「……なんでまた?」
「体が辛いならいいの。言ってみただけ」
「いや……君のお陰で体はピンピンしてるよ。そら、おいで」
隣を歩く直彦を見上げると……その表情はまるで、小さな子に言うみたいな、慈悲みたいな笑顔だった。
――なんか、むかつく。
私の気持ちも知ったはずなのに、扱いを、子どもにするものと同じだなんて。
「やっぱり、いい」
「なんだよ。大丈夫だって」
「いらない」
「どうしたのさ。リクエストにお応えするよ。おいで」
「それが嫌なの。自分で歩く」
生きてさえいてくれれば、それでいい。
なんて、あの間際の一瞬しか、思えなかった。
やっぱり、私を意識してほしい。
だから今は……私を見てくれない鈍感男なんて、コケてしまえと思う。
「優香。急に怒らないでよ。何か変なこと言った? 謝るから」
優しいのが、余計に腹が立つ。
「ハハハハハハ! 小娘、もう諦めよ。フハハハハハ!」
「もう~! 女王は黙ってて! しかも未だに、あなたの名前知らないし!」
女王は他人事だと思って、本気で笑っている。
「名など無いが? 余は余だ。必要無い」
「はぁ~……。こんな人ばっかりなの?」
呆れてもう、何も言い返す気力がなくなった。
「お姉ちゃんも、乗る?」
そこに龍の頭の上から、ユカが呑気に、欠伸をしながら言う。
「上手く乗れる気がしないから、いい」
龍が大きいと言っても、すでに二人乗った状態では狭い。
あまり揺れないように動いてそうでも、三人乗るとどうだろうかと思う。
そうこうしているうちに、大きな木の側まで来てしまったし。
……何も無いおうち。
木陰の届く範囲が、ユカと女王の家なのだという。
虫も居なければ他の動物も居ない。
ただ草原が広がっていて、その草の絨毯が床。広く横に伸びた枝葉が、屋根。
何も居ないから、壁は必要ないのだそうだ。
食事が必要なら、白い龍がとってくる。もしくは地上に出れば良い。
でも、不思議とこの最下層とやらでは、お腹が減らないしトイレも催さない。
まるで、体の中の時間が止まっているように、何も感じないのだ。
「今日は、ここでみんなで寝るの?」
私の問いに、ユカが答えた。
「うん。気持ちいいよ」
女王はいつの間にか、姿を消していた。
「直彦も、泊まっていくでしょ?」
というか、肝心の女王が居なければたぶん、ここから出られない。
「そうなるね」
「川の字で寝る?」
こんなに広いのに、揃って眠る必要もないのだけれど。
「わたし、お姉ちゃんの隣がいい。なおひこは嫌」
「じゃ、必然的に私が真ん中ね」
「ハハ。嫌われちゃったな」
「そりゃそうでしょ。不意打ちで狙ったんだから」
「ごめん。もうしない……と思う」
「と思う? しないでよ。もう」
まだ、いつか戦うつもりなのだろう。諦めの悪いことだ。
「だからなおひこは、嫌い」
「ほら~」
完全に嫌われてしまった直彦を隣に、私はユカと手を繋いで眠った。
ユカはあっという間に寝入ったし、私も緊張と疲れで、そして意外にも草の絨毯がふかふかでひんやりと気持ち良くて、同じくすぐに眠ってしまった。
だから、直彦が私の隣で眠ったのかは分からない。
なぜなら目覚めたら、直彦はすでに起きていて、少し離れたところで座っていたから。
声を掛けに、まだ少し眠い目をこすりながら側に行くと、直彦は目の下にクマを作っていた。
「寝なかったの?」
あの絨毯で、寝入らないわけがない。だとすれば、自らの意志で起きていたのだ。
「ああ。目が覚めてね」
どうやら、眠りはしたらしい。
「また眠ればいいじゃない」
「いや、ちょっと……起きていたくて」
ここは、地平線以外に見えるものなんて、何もないのに?
「この景色……好きなの?」
「ハハ。いや、別に好きでも嫌いでもないけどね」
なら、何か意味があるはずだけど。
私を夜這いしたかったとか?
……自分で思い付いて、ありえなくて悲しくなった。
「病み上がりなんだから、休まないとダメよ」
「そうだね。少し眠ろうかな」
「子守歌。歌ってあげようか」
「……いや。でも……しばらく、側に居てくれないか」
「いいけど」
奇妙な会話だと思った。
一体何の目的で私を側に置きたいのか、意味が分からない。
だって、そういうことならさっきの場所で、三人隣りで眠れば良かったのに。
「少ししたら、起こしてくれないか」
そう言って直彦は、すぐに寝落ちしてしまった。
よっぽど眠かったんじゃないかと、その目のクマを疑問に思っていると……五分もしないうちに、苦しそうにもがき始めた。
「う……うぅぅ」
悪い夢でも見ているらしい。
「直彦。うなされてるわ。起きて?」
「……うぁぁ。うぅぅ」
「直彦ってば。起きて。ほんとに苦しそうじゃない」
声を掛ける程度では起きず、体を揺すっても苦しむばかりで目が覚めない。
頬でも叩いて起こした方が良いだろうかと悩んでいると、女王がいつの間にか、すぐ側まで近寄って来ていた。相変わらずの全裸で。
「やけに苦しんでおるな」
直彦を冷淡に見下ろし、その素足で、直彦の頭を撫でるようにぐりぐりと転がしている。
「ちょっと、やめてあげてよ。でも、悪夢でも見てるらしいんだけど、起こしても起きなくって」
「こんなものはな、このくらいすれば良いのだ」
そう言って女王は、足の裏で直彦の頭をゲシゲシと蹴り出した。
「ダメだってば!」
だけど、その衝撃で目が覚めたらしく、飛び起きた。
「はっ! はぁ、はぁ、はぁ……ふう」
唐突に起こされたせいか悪夢のせいか、やたらと息が荒い。
「ありがとう。起こしてくれて。嫌な夢を見ていた」
「そうなんだ。でも、起こしてくれたのは女王。私じゃ起こせなかったの」
直彦の後ろに立っていた女王を、彼は振り返らずに見上げてお礼を言った。
「その足で起こしてくれたのか。まぁ、助かったよ」
女王が裸なのを気にしたらしく、直彦はすぐに前を向いた。
私も胸チラくらいしておけば、そういう意識の仕方をしてくれるだろうか。
――いや。それは何だか、違う気がする。
「うつけが見ているのは、迷宮の夢だろうな」
「迷宮の夢って?」
女王の言葉に、私の方が先に反応した。
「迷宮の記憶を見たのだろう。このうつけを蘇生する時に、フェニックスは迷宮の一部を使っていたからな。迷宮の、その記憶ごと取り込んでしまったのだろう」
「じゃあ、直彦はずっと眠れないの? ずっと悪夢を見ちゃうの?」
違う。それは悪夢ではなくて、誰かの記憶なんだ。そう思い直した時に、女王は直彦に冷たく言った。
「それがこの迷宮の、怨念たちの経験した事だ。うつけよ。少しは理解したはずだ。我らの恨みは、消える事がないと」
「…………あれが、迷宮を作り出しているというのか」
「いくつ見た?」
「……七つ……いや、八つか」
「その程度で済んで良かったな。見過ぎれば、精神を破壊されるところだ」
「優香、君もあれを見たのか」
そういう辛い夢は、何も見ていない。
ユカに胸を吸われて、妙な気持ちになる夢なら見たけれど。
「ううん。私は見たことない」
「そうか。君が見ていないならいいんだ」
「フッフッフ。お優しいことだなぁ?」
女王は直彦の心を逆撫でするように煽ったけれど、彼は無視して質問をした。
「この怨念達は、どのくらい居るんだ」
「は? ハハハハハハハ! 数えられるものか! 何千年を重ねてきたと思っている!」
女王は笑った。けれどその声はとても冷たく、少しの嘲笑の後は、凍てついた怒りだった。
「人類の歴史の中で凌辱され、惨殺されてきた人々の、全ての人の分だとでも?」
「そういう事だろうな」
女王の返答の後、直彦はしばらく考え込むように黙り込んだ。
そして、体ごと向き直って、女王の顔を見上げて言った。
「……今の人類に、勝ち目は無いということか」
「人はなぜ、人を貶めて嬲り殺すのだろうな?」
「知らないよ。でもそんなの、ごく一部のはずだ」
「そのごく一部を、なぜ野放しにする? そのせいで生まれたのだ。我々は」
「……僕は、一体何のために――」
「悔い改めれば良いだけの事。その小娘と共に、余に尽くせ」
女王の言葉に、感情は無かった。
終始、淡々と答え、そして問いかけていた。
その言葉も、同じように。
せめて優しく聞けば、直彦の答えも変わったかもしれないなと、私は思った。
「承服しかねる」
彼の声に迷いはない。
私なら、こんな誘いなんて無いままに、ユカの側に居ようと思ってしまっているのに。
地上の人類よりも、ユカや、迷宮の魔物たちに同情というか……心が傾いたのだ。もちろん、お父さんお母さんは、魔物に襲われないはずだからという前置きあっての、そういうことだけど。
「ま、すぐに折れろとは言わぬさ。好きにするがいい」
やっぱり女王は、直彦を仲間にしたいなどと、微塵も期待していない。特に必要としていないし、もっと強い龍をも従えているのだから。
それゆえの、好きにするがいい、という言葉なのだろう。
でも、私はそれでは、納得できない。
「直彦、ダメよ。せっかく生き返れたんだから。もういいでしょ? 直彦の別荘でさ、また三人で暮らそうよ。ユカも一緒に。ね?」
私は直彦の隣に座り直して、少しだけ肩を寄せた。
「君は……それでいいのか」
「お母さんもお父さんも、悪人じゃないから殺さないって。そういうことでしょ? それなら、ほとんどの人は殺されないはずだよ? だって、悪人なんてごく一部でしょ?」
「…………ああ。そのはずだ」
「沢山居るにしても、私は……大切な人が、大丈夫ならそれでいいやって。そう思っちゃった。現に、お母さんも悪人に襲われたから、そういうのが居なくなる世界を見て見たい、っていうか」
「……そうか」
直彦の返事は重かった。
けれど、反論とかもなかった。今はそれが、大きな一歩だと思うことにする。
「地上の人達を、裏切ると思っちゃうの?」
「あぁ。そう思ってしまう」
「でも、私を裏切ったのは地上の人だったよ。お母さんを襲ったのも、魔物じゃなくて地上の人」
そこまで言って、直彦の大切な人は、魔物に殺されたのだったと思い出した。
「僕の時は……。ここに、迷宮に潜ってのことだから、気にしなくていい。魔物が地上に溢れ出して、人類を殺し回った時代とは全く別だ。家族も恋人も、仲間も、この迷宮で死んだんだ。もしかすると……恋人も、優香のように裏切られたのかもしれないね」
直彦が、こんなに自分の話をするのは初めてだ。
「彼女は、僕とは別の部隊だった。僕はその頃、まだ駆け出しでね。でも彼女には魔法の才が認められて、随分と深く潜っていたんだ。その部隊の隊員達は生還したのに……僕の彼女だけ、戻らなかった」
どこかで聞いたような話だ。
胸が、ぎゅっと締め付けられて苦しくなる。
「僕は、ずっと探していたんだ。彼女のタグを。戦死したなら、魔物に喰われたとしても、糞便に混じってでも、どこかに残っていないだろうかと」
「……見つからなかったの?」
「どこにもない。見つかる可能性も低いだろうけどね。でも、どこかにあると、信じていたかった。そうじゃなきゃ、僕は……」
直彦はそのまま、うなだれて黙ってしまった。
胡坐をかいたまま、まあるくなって、私よりも大きいはずなのに、とても小さく見える。
「小娘。慰めてやれ」
耳元で、女王が囁いて私の背を押した。
直彦に肩を寄せた時に、支えにしていた腕も足で払われた。
必然、直彦に覆いかぶさるように、体全体で倒れ込む。
うなだれて体幹の緩んだ直彦ごと、押し倒す形になって。
「あ。ご、ごめん」
咄嗟に謝りつつも、犯人は女王だから睨もうと後ろを見ると、もう姿を消していた。
こんな状況でどうしろと言うのかと、自分自身混乱していると私の胸の下では、直彦の顔がもごもごとしている。そしてそれが思いのほかこそばゆくて、だけどそれは、ユカにさせてあげる時のように、胸の奥がキュンとした。
直彦は、体が捻れて上手く力が入らないらしい。極力私に触れないようにという気配りか、手はパタパタさせるに留まっている。
「直彦。顔を動かしたら、くすぐったい」
直彦は今、全くそんな気など起きないに決まっているけれど。
落ち込み切った彼にしてあげられるのは精々、この胸を押し付けてあげるくらいだ。彼女さんの胸を思い出すにしろ、私の胸を意識するにしろ、やわらかいものは心に優しいはずだから。
そう思って私は、直彦の頭を抱きしめた。一応、頭の角度も見て、息は出来ているっぽいのも確認した上で。
「このまま眠るといいよ。そしたらきっと、悪い夢も見ないはずだから」
そう言ったら、手をパタパタする抵抗は、諦めたらしい。
「おやすみ、直彦」
しばらくは起きていたけれど、その呼吸はふと、寝息に変わっていった。
私は被さっていた体をそっと退けて、彼の横に添った。
そしてもう一度、彼の顔を胸にうずめるように、やさしく抱きしめ直した。
「辛かったね」
「忘れなくてもいいから。私と一緒に居よう?」
「私は、きっと側に居るからね」
そんな風に、色々な言葉をかけた。
言葉をかけているうちに、私も眠ってしまった。
ふさふさの草の絨毯が、ひんやりと心地良くて。
直彦の体温が、ほんわりと心地良くて。
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