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「幽霊がいるとしよう」
彼女は右手の人差し指をピンと立て、そう話し始めた。僕は何も言わない。並んで歩く海沿いの道には、僕ら以外に人はいない。
「幽霊っていうのは、未練に囚われているんだよ。お金持ちになりたかった、可愛い女の子になりたかった、あの人と付き合いたかった、殺されたくなかった。未練がなかったら、そのままスウッと消えていく。
そして、幽霊にはふたつの選択肢があって、どちらかひとつを選ばなきゃいけないんだ」
彼女はそう言って、右手に持っていたミルクティーをひと口飲む。吐いた息は、初雪みたいに白かった。
「ひとつ目は、自分の未練をなくして、成仏すること。病気で死んだ野球が好きな少年なら、誰かに取り憑いて家族からの声援を受けながら、ホームランを打てばいい。強姦されて死んだ女性なら、包丁でも動かして殺せばいい。素っ裸にして、窓から落とせばいい。過労で死んだ会社員なら、理不尽なブラック企業のデータを片っ端から削除して、倒産さしていけばいい。やりたかったことを、やりたいことを、やればいい」
はぁ、と彼女は息を吐く。ただ息を吐いただけなのに、僕にはとても悲しく聞こえた。なぜだか僕は上を向く。月はなく、小さく輝く星たちが、ここにいるんだと、全身を使って表現している。
彼女は、そんな冬の空の星に似ていた。
そして、
「ふたつ目は、」
その続きを彼女は言わなかった。
今なら分かる。彼女が何を言おうとしていたのかは。けれど、その時の僕はあまりにも馬鹿で、愚かで、優しくて、そのことを知らなかった。知ろうとしなかった。
彼女は、金属音を立てて回る。
彼女は、風を切りながら落ちる。
彼女は、なんの音も立てずに歩く。
そしてこの物語は、彼女を殺すための物語だ。