星光寮の廊下は、7月の月光に照らされ、ステンドグラスが青と金の光を投げかけていた。
セレスティア魔法学園の夜は静まり返り、
初夏の温もりを失ったかのようだった。
レクトは、部屋の前で倒れているヴェルを見つけた瞬間、心臓が締め付けられた。
茶色の髪が床に広がり、青白い顔に汗が光る。
「ヴェル! 起きろ!」
レクトが叫ぶが、彼女の唇は動かず、微かな息だけが聞こえる。
恐怖が胸を突き刺す。
パイオニアの黒い瞳が脳裏をよぎる。
「誰か!」
レクトは廊下を駆け、
ビータの部屋のドアを叩く。
返事はない。
ドアを開けると、ビータが机に突っ伏し、時間遡行の魔法書が床に落ちている。
「ビータ!?」
揺さぶっても反応がない。
カイザの部屋も同じだ。
ベッドに倒れた彼の指先で、電気魔法のスパークが弱く瞬く。
「カイザ、頼むよ……」
校長室へ走る。
ステンドグラスの光が廊下に不気味な影を落とし、足音だけが響く。
アルフォンス校長の部屋は静寂に包まれ、
記憶の鏡が机の上でかすかに光る。
アルフォンスは椅子に座ったまま、目を閉じて動かない。
「校長まで……っ!」
フロウナ先生もそうだった。
セレスティア魔法学園全体が、まるで時間が凍りついたように沈黙している。
第25話の食堂の果実混入――
服従・無限・禁断の果実の記憶が蘇る。
「まさかやっぱり……父さん?」
レクトは震える手で携帯電話を起動し、パイオニアに連絡する。
呼び出し音の後、低い声が響く。
「レクト、遅いぞ。」
パイオニアの声は冷たく、何か酔っ払っているかのように声が不安定だった。
「父さん、ヴェルたちが……学園が! 何をした!?」
パイオニアの笑い声が通信を震わせる。
「そんな……!」
レクトの声が震える。
第21話の毒林檎の告白、第23話の「苦悩の梨」の脅迫が頭を埋める。
ヴェルの青白い顔、
カイザの動かない姿、
ビータの開かれた魔法書――
仲間を失う恐怖が心を支配する。
「他に方法が……」
言葉は途切れ、絶望が広がる。
「時間はない、レクト。」
パイオニアの声が追い打ちをかける。
食堂は月光に沈み、テーブルの果実籠が不気味に光る。
そこには虹色の――禁断の果実そっくりな実が一つ。
レクトの手が汗で濡れる。
食べた。
レクトは、禁断の果実を食べた直後の冷たい瘴気に体を震わせ、膝をつく。
甘さと苦みが舌に残る。
ビーチでのスイカ割りで掴んだ感覚制御、
修行での形状変化も、今は無力だ。
パイオニア・サンダリオスが目の前に現れて、
黒い瞳でレクトを見下ろす。
「よしよしいい子だ。」
彼の手がレクトの頭を撫でるが、
その感触は氷のように冷たい。
父の温もりはない。
「父さん……?」
レクトの声は弱々しい。
パイオニアは笑みを深め、紫色の脈動する果実を取り出す。
「もっと食え、レクト。」
新たな果実――見ているだけで思わず吐き気すら出てしまいそうな気色の悪い果実たちを、次々と渡される。
レクトの体は意思に反し、果実を口に運ぶ。
甘い果汁が唇から溢れ、床に滴る。
意識が霞み、視界が揺れる。
バナナのねっとりした甘さのような味、リンゴの酸っぱいような味、ブドウの弾けるような果汁が喉を滑るが、レクトの目は虚ろだ。
「やめ……」言葉は途切れ、
手が勝手に次の果実を掴む。
パイオニアの背後に、
炎魔法の赤い光が揺らめく。
だが、その炎は不自然だ。
まるで別の意志を持つように渦巻き、
黒い瘴気が混じる。
「父さんじゃない……お前、何だ……っ!」
レクトは呟くが、体は動かない。
第26話でアルフォンスが見た自我を失う闇が、パイオニアを支配している。
炎魔法が人を操る? そんなはずはない。
だが、レクトの心は瘴気に縛られ、
無心で果実を食べ続ける。
食堂の床に果汁が広がり、
月光に濡れて不気味に光る。
ステンドグラスの窓から差し込む青い光が、
パイオニアの顔を異様に照らす。
まるで彼が父ではなく、別の存在に変わったかのようだ。
パイオニアは食堂の中央に立ち、手を掲げる。
床に赤黒い魔法陣が浮かび、奪った記憶の鏡がその中心で脈動する。
鏡の表面に黒い光が走り、まるで生き物のように蠢く。
「グランドランドよ、聞け。」
パイオニアの声は低く、食堂を越えて世界に響く。
炎が地面を伝って、彼の言葉が大陸全土に届く。
「!!?!!?!!」
彼の笑い声が食堂に反響し、
炎が一瞬大きく燃え上がる。
鏡から放たれる黒い光が、学園の外へと広がっていく。
「この子は私の傑作だ。フルーツ魔法で、世界中を焼き尽くしてもらう!!!!」
レクトの意識は果実の瘴気に沈み、
パイオニアの言葉が遠く聞こえる。
第21話での「道具」扱いの記憶が、断片的に浮かぶ。
しかし言っていることはまるで変わっていた。
過去21話では、
「レクトの魔法が国の希望」と言っていた。
✧• ─────────── •✧
✧• ─────────── •✧
しかし今は違う。
戦争に向けて、国を守るための道具ですらなくなり、
国をレクトに滅ばしてもらうという、意味不明な考えにまとまっていた。
体は動かず、ただ果実を食べ続ける。
ブドウのような何かが口の中で弾け、リンゴのような何かが果皮が歯に当たる。
果汁が喉を流れ、胸に冷たい重さが溜まる。
パイオニアの黒い瞳が、まるで底なしの闇のようにレクトを飲み込む。
「お前は私のものだ、レクト。」
その声は、父のものではない。
思考はすぐに果実の甘さに塗り潰される。
パイオニアが記憶の鏡に手を翳すと、
黒い光が一層強まる。
魔法陣が食堂の床を覆い、
ステンドグラスの光が歪む。
「セレスティア魔法学園の記憶を、私が塗り替える。」
鏡から迸る光が学園全体を包み、
ヴェル、ビータ、カイザ、アルフォンスの意識を侵す。
鏡に映るのは、彼らの日常――
食堂で朝食を食べるヴェル、
魔法書を読むビータ、
庭で電気魔法を放つカイザ、
校長室で微笑むアルフォンス
生徒と笑い合うフロウナ。
だが、そこにレクトの姿はない。
レクトの体は果実を食べ続け、意識は闇に沈む。
果汁が床に溜まり、食堂の空気を甘く重くする。
パイオニアの炎が揺らめき、
黒い瘴気が彼を包む。
「これでいい。」
彼の声は低く、まるで別人のものだ。
月光が食堂を照らし、記憶の鏡の光が消える。
セレスティア魔法学園から、レクト・サンダリオスという存在は削除されたのだ。
次話 11月1日更新!
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