どれくらい走ったのだろうか。ただただ吸い付けられるように前だけを進む。前を向いても後ろを振り返っても知らない場所、知らない景色。唯一の救いはイザナくんの姿が見えないことだろうか。
裸足で走っているせいで小石やガラスの小さな破片がチクリと足の裏を刺す。痛覚がバグってしまうほどの痛みについ走っている足を止めてしまう。
腹に力を入れて我慢しても我慢しきれないほどの痛みに、顔を歪ませながらチラリと足の裏を覗いてみると案の定血の海で、一目見るや私は言葉を失った。所々刺さったままのガラスや小石を抜く余裕なんて今の私には無く、地獄絵図と化した自分の足から視線を切り、ただひらすら痛みを堪えて走り続ける。
空は曇っているのか星1つ無く、辺りは驚くほど真っ暗。人気も少なく、凛とした重い夜の静けさが体に伸し掛かり、余計に私の不安心を煽っていく。
『……あれ、ここ』
そんななか、引きつったような声が口元から零れ落ち視線の先にある建物に釘付けになる。
真っ暗な景色に浮かび上がる建物の影には深く見覚えがあり、心に小さな希望の光が灯る。
『い、え…家…?』
これといって特徴のないごく普通の一軒家。16年間、私が過ごした思い出が溢れる家。
それが今、目の前にある。
『うそ、うそ……なんで……』
いきなりの展開に狂ったように何度もそう繰り返す。目の前に映る現実の奇跡に悪夢から目覚めたようにホッと体全体から力が抜け、あまりの安堵に目尻に涙が込み上げてくる。
固い縄に縛り付けられているような緊張感から解放され、私は溶けてしまいそうなほどの強い安堵感の中に落ちていった。
──なんでこんなに都合がいいことばかり起きるのかなんて知らず。
『…ふぅ』
幸福感と安堵に膨れ上がるような心臓を押さえる様に一呼吸すると、私はようやく待ち望んだ場所の地を踏んだ。もう足の痛みはさっぱりと薄れ、時折の鈍い疼きだけへと変わっている。
少し前まで毎日のように感じていた空気を吸う。離れた時間の長さよりもやっと彼から逃げられたという幸福感のほうが圧倒的に強く、懐かしいと思う隙すらも無かった。
感傷に浸る間もなく、急いで扉の丸いドアノブを手で包み込み家の中にいるであろう両親に気づいてもらおうと私はガチャガチャと規則的な金属音をたてる。
『おかあ……え?』
掠れた声で母の名を呼ぶ私の手に予想とは違う扉が開く軽い衝撃が伝わり、カチャリという鋼のような硬い澄んだ音と共に部屋の中があらわになる。
今まで用心深い両親が家の鍵を閉め忘れた事なんて一度もなかった。なのに、どうして。
自分の内にふつふつと湧く疑問の泡を無理やり押し潰し私は部屋の中へと足を踏み入れる。
その瞬間、見慣れた景色と暖かい匂いが私を優しく迎え入れ、胸につかえていた疑問の雲が下がっていく。それと同時に体の奥へと下がっていく不安を生唾と共に飲みこみ、きっと特に意味なんてない、大丈夫だと勝手に納得へと思考を繋ぐ。
『お母さん、お父さん!』
喉が裂けんばかりにそう叫び、足に力を込める。
玄関、廊下、リビング。それだけの短い距離なのに今日は何倍も長い距離を進んでいるような感覚が纏わりつき、手を振り回して夢中で一直線に駆ける。
やっと、やっと───
「……あ?」
『…え』
体が震えるあの低い声と嫌な姿に、悪い夢の続きを見ているような衝撃が走り部屋の空気がビリビリと震える。
目の前には会いたくて仕方が無かった両親の姿。だが、何故か石像のようにごろりと床へ横たわる両親の頭の周囲に小さな血の池が出来ていた。そこだけではない。家具にも床にも、見える範囲だけでもあちこちに飛びかかっているのが分かる。
誰の血かなんて考えたくなかった。
『ぇ、イザ…ナくん…?』
なんでここに居るの。
疑惑が胸に色濃く貼りつき、喉がカサカサしてひび割れたような嫌な声になる。
「あー…やっぱ来ちゃったか」
この場に似合わない口軽い言いぶりで穏やかにこちらへ喋りかけてくる彼の姿に一瞬、ヒュッと息が止まる。私を視界に入れる紫色の瞳は嬉しそうに、それでいてどこか悲しみを滲ませたような色に染まっていた。カラン、カランと彼が動くたびに耳元に飾られている花札の耳飾りが楽しそうに揺れ踊る。
彼の綺麗な白髪の髪に良く映える褐色の肌には、赤い花びらを撒いたような鮮血が飛び散っていた。まさに全身血塗れという無残な姿にも関わらずいつものあの嫌なほど甘く歪んだ笑みを絶やさずこちらを愛しそうに見つめてくるイザナくんの姿に嫌な予感が背筋を冷たく流れる。
『お母さん!!!お父さん!!!』
バネにはねられたように勢いよく2人に駆け寄り、壊れないようにと優しく両親の体を揺する。だが頭がぐらりと力が抜けた様に転がるだけで私が望む反応は来ない。
全身血塗れで、傷だらけ、痣だらけ。顔も原型を留めないほどグチャグチャと肉の抉れた跡が残っている。その触れた肌の冷たさとべとりと両手にくっついてくる血の量に嫌な予感が一気に現実へと変わる。あまりの無残さに背中を氷柱で撫でられたように悪寒が走る。
「…なぁオレ、「逃げんな」って言ったよな。」
そんななか、最愛の肉親を殺した手で強く握られ血の気が引くのがわかる。彼の手に付着している濁った水溜りのような血液が私の手首にも引っ付き、むせるような血の臭いに思わず顔を歪ませイザナくんの手を振り払ってしまう。
『…や、めて。近づかないで』
海を閉じ込めるあの砂利のようにガラガラとしゃがれた声が零れる。そんな私を面白そうに見つめ、彼が歩みを進めるたびにペタン、ペタンと乾いた足音が低く地を這う。イザナくんは私の顔を両手で包む様に掴み、無理やり視線を合わせてくる。ぽったりと手に張り付いていた大きな血が私の顔のまん中に落ち、飛沫がその周囲に霧のように飛び散った。
「ホントバカだなオマエ」
「都合良すぎねぇかとか考えなかったわけ?」
冷ややかな意地の悪い微笑みを口元に浮かべてこちらを見下ろすイザナくんを、絶望に染まった顔で見上げる。
確かにそうだ。
足枷が外れたのも、家がこんなにも近い場所にあったということも、全て偶然だなんて不自然だったんだ。気づけなかったことの後悔や親を殺害されたショック、もう逃げられない恐怖に涙がぐっとこみ上げ声を詰まらせる。
「そういうところも可愛くて大好きだけどさァ」
そもそも彼の好意に気づけなかった私が悪いんじゃないのだろうか。
ふと空っぽになった脳裏にそんな考えが鋭く貫く。
もう少し早く違和感に気づけていたら。きちんと彼と向き合えていたら。そんな暗い後悔が胸を噛み、今度こそ逃がさないようにと歯型を植え付ける。
そうだ、きっと
「……な、オマエもこれで孤独だろ?」
全部、私が悪いんだ。
やっべくそ時間なさ過ぎて適当😶
書き直すかもしれないです❕❕
続きます→♡1000
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