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「――っな!?」
だが――居た。
「そ、そんな……」
「な、何……で?」
僅かに漂っていた砂煙が完全に晴れた其処には、人影から露になる人物が。
把握出来ない現状に、誰もが混乱し、思考が覚束無い。
「時雨!?」「時人さん!!」「時雨お兄ちゃん!!」
時雨は――居た。だがそれは無事という意味ではない。
時雨は血みどろになりながら、襟首を掴まれている。
力無くうなだれている彼を掴んでいたのは――エンペラーだった。
「ば、馬鹿な……」
これには誰もが驚愕し、震撼せざるを得ない。
何故彼は無事で居るのか。その優雅な純白のロングコートこそ、衝撃と錆色の血にまみれて悲惨なものの、エンペラー自身は全くの無傷だった。
「……君の最後の魂の咆哮、見事だったよ。正直、私以外だったら誰だろうと倒せていただろうね」
エンペラーは掴みながら、動かない時雨を褒め称えた。
「ぐっ……ば、けもんが……」
時雨は息絶え絶えながらも呻いた。動かない事から、死さえも連想させたが、それでも彼は生きていた。
琉月は時雨が生きていた事に安堵するが、手放しで喜べるものでも無い。
状況は依然として変わらない処か、最悪な戦況以外の何物でも無いからだ。
「化け物とは失礼だな。君も充分に化け物だよ。それにしても――『ラスト・ブラッディ・アーク』水派最終奥義……。もの凄まじい技だったね」
エンペラーは時雨を掴んだまま、まるで他人事のように現場を見渡しながら驚嘆した。
「まさか上からとはね、フフフ……。威力、意外性、独創性、全てに於いて最高峰のものだった」
――それにしても、何故エンペラーは無事なのか。
“どういう事だ? 半端な技じゃなかった筈だ”
雫にさえ、彼がどうやってあの技を対処したのか解らなかった。否、直撃だった筈だ。ボロボロになったエンペラーのコートが、それを物語っている。
特異能による防御も、あの血界内では使用不可能。範囲内に逃げ場も無かった以上、まともに受けるしかなかった。
“レベル差?”
そもそも、あれだけの威力の技の前ではレベル差等、皆無に等しい。それはエンペラーだろうと、誰だろうとだ。如何にレベル差が在ろうが、絶対に無事では済まない。
“否、無事であってはならない――”
「本当に凄い事だよこれは。このコートは特別製でね。これは私の力を練り込んで造ったもの。あらゆる異能に耐性を持ち、耐熱性、防水性も備えた優れものさ。それをこうまで破損した事自体が、君の技の凄さを物語っている訳だ」
エンペラーは常に身に纏っている、そのかつての純白のコートに於ける秘密を、さも自慢気に語り始めた。そしてそれを打ち破った、時雨の技の凄まじさの程も。
つまりエンペラーが無事だったのは、そのコートが防御幕の役割を果たしていたからか。
否、それだとエンペラー自身が無傷の説明がつかない。それならコート自体も無傷でなければ。
「まあ何にせよ、君の最後の力も徒労に終わったという事」
エンペラーは言いながら、無造作に時雨を放り投げた。そしてボロボロになったコートも、同時に脱ぎ捨てる。彼はインナーまでもが純白だった。正に穢れ一つ無し。
放り投げられた時雨は、受身も取れぬまま力無く地を這う。
「時人さん!!」
その無惨な姿に、琉月が急ぎ駆け寄った。動作一つ毎に全身に痛覚が蝕むが、今はそんな泣き事は言っていられない。
自分を守ろうとしてくれた人が、力無く倒されたのだ。これをどう見過ごせるというのか。
必死の思いで横たわる時雨の下へ辿り着いた琉月は、彼を包み込むように抱き締めた。
「ご、ごめん琉月ちゃん……しくった。に、逃げて……」
時雨はエンペラーを仕留められなかった事を詫びた。
「何を言ってるんですか貴方という人は……。もっと、もっと自分の心配をしてください」
こんな時にまで、時雨は自分より琉月の身を案じていたのだ。それが彼女には――痛かった。
「カッコ悪ぃなぁ……俺。最期くらいビシッと決めるつもりが、この様でさ……」
時雨は力無く自虐する。この傷では死海血を以てしても、きっと助からない。だからこそ、最期を決められなかった事に歯軋りした。
そして自分がエンペラーを倒せなかった事は、そのまま琉月に危険が及ぶ事を意味する。
「そんな事無いです。カッコいいですよ、貴方はとても……」
「琉月ちゃん……」
御互い、自然と涙が溢れだした。それは御互いの心が通じ合って尚、訪れるだろう終幕に。
この状況で止めを刺すのは、最早赤子の手を捻るよりも容易い事。
「さあ、これで全てが終わりだね」
二人の下へエンペラーが歩み寄る。訪れる終幕の刻。
「――と言いたい所だけど、どうだろう?」
だが――エンペラーは止めを躊躇した。
「君達には既に闘う術は無い。だが此方もカレンとライカを失い、莫大な損害を被った……。それなら君達には無駄に死ぬより、代わりに私の力になって欲しいのだが?」
そして今一度、当初の提案を投げ掛けた。
このまま始末するのは簡単だ。だがそれでは意味を為さない。出来る事なら生きたまま、此方へ引き入れたい。
エンペラーの申し出に対し、彼等の答えは――
「ざ……けんな。言った筈だぜ? 俺は死んでも服従する気は無い……と」
「それは私もです。ここまできて……ここまで失って、何故今更戻る道が在りましょうか?」
――変わらなかった。一度否定した道を違えるつもりは毛頭無い。例え死んだとしても。
「だが……死ぬのは俺一人でいい。琉月ちゃん達は、見逃してやってくれ……」
それでも時雨は、琉月の命乞いをした。それは琉月を向こう側へと言う意味では無く、この一件自体から手を退かせてくれと。その為なら、自分はどうなってもいい。
「と、時人さん!? 何を言ってるんですか、そんな……」
これには琉月も声を荒らげた。自己犠牲で救われたいとは思わない。
「俺は……琉月ちゃんだけには死んで欲しくは無いんだ。好きだから……好きな人がこのまま死ぬのを、黙って見てらんねぇんだよ」
それは時雨が取りうる、現状での精一杯の想い。
“好きな人には生きて欲しい”
「それは私もです! 貴方の居ない世界なんて……私は要らない」
そしてそれは琉月も同じ想いだった。
「……随分と勝手に話を進めるんだねぇ。私の下へは来ない。だが代わりに命は助けて欲しいとは実に虫の良い話だ。私は別に君達の命が欲しい訳ではないけど、従わぬなら消えて貰うだけだ」
エンペラーは時雨の提案も、彼等の想いにも耳を貸す事無く、鞘より刀をゆっくりと抜いていく。それは交渉決裂を意味していた。
「くっ!」
琉月は振り上げられた刃を前に、より一層と時雨を抱き締めた。決して放さないようにと。
「琉月ちゃん……駄目、逃げて」
その行為に時雨は抗おうとするも、最早その力さえ残っていない。
「貴方一人だけ逝かせたりはしないから……。私はずっと傍に居るから――」
“地獄まで共に――”
「琉月ちゃん……」
時雨は抗うのを止め、その身を委ねた。琉月の想いを受け取ったから。
「琉月ちゃんの胸の中で死ねるなんて、これ以上無い死に様だけど……くそぉ!」
それでも悔いは残る。この道を――裏の道を選んだ時から、行き先と末路は一つしか無いとはいえ。
ならせめて最期は、共に赴こう――冥府へと。
覚悟を決めた二人。
「私も出来れば、貴方と一緒にもっと生きたかったですよ……」
「それは嬉しいな……。実は俺、この闘いが終わったらプロポーズするつもりだったんだよ、琉月ちゃんに……」
「本当? 嬉しい……ありがとう時人さん。式は向こうで挙げる事になりますけど……」
「だね。でも、もし生まれ変わったら……次こそは――」
「ええ――」
来世での邂逅を胸に。
「さようなら……時雨、そして琉月。強き魂を持った君達の事を、私は決して忘れないだろう――」
そして二人へと降り下ろされる刃――。