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第2話 三百円の人生
朝の電車は静かで、誰も名前を呼ばない。
座席に腰を下ろし、端末を起こす。
画面が点き、いつもの通知が並ぶ。
SNSを開く。
投稿欄に触れる前に、画面が切り替わる。
端末を顔の高さに持ち上げる。
小さな枠が動き、まばたきを待つ。
次に、指先を画面へ。
一瞬の振動。
最後に、短い音声。
喉を鳴らさず、低く息を出す。
画面が戻る。
投稿できる状態になっている。
それだけで、少し時間を使った気がした。
表示されている名前は、短く、装飾もない。
値段を思い出す。
三百円。
安い、と言われたことがある。
便利だ、とも。
投稿欄に文字を打つ。
消す。
また打つ。
電車が揺れ、文字がずれる。
誰かの視線を感じて、端末を少し伏せる。
投稿する。
反応はない。
次の駅。
端末を閉じ、立ち上がる。
改札を抜けるとき、端末が軽く震える。
また本人確認の画面。
顔を向け、指を置き、息を出す。
通過音が鳴る。
歩きながら、思う。
この名前で、今日も一日が進む。
高くもなく、
特別でもなく、
それでも、ここにある。
三百円で買った名前が、
靴音と一緒に、街へ溶けていった。
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