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【side:千景】
俺は、ツキが居なくなった部屋で、閉まった扉を見つめたまま動けずにいた。
勢いよく閉まるドアの音が、まだ耳の奥に残っている。
小さな子どものように泣きじゃくるツキの泣き顔が、目の奥に強く焼き付いていた。
何か一つでも正しいことができたなら──そう思っても、後悔ばかりが胸を締め付けた。
──もっと時間をかけて近づいていたら
──少しでも、優しくできていたら
──都希くんを理解していたら
それなのに”都希くん”と再会したあの日から、欲望をどこで止めればいいのか……俺は分からなくなっていた。
──都希くんを追いかける資格なんて、俺には無い。
◇
無理矢理関係を持った日を境に、何かが壊れた。
タガが外れたように、ツキを抱いた。
けれど、喉が乾くように、何度抱いても俺の身体は満たされることはなかった。
男を抱いた経験なんて無い。
いや、それ以前に──セックスすらしたことがなかった。
女に言い寄られても”可愛い”と思うだけで「恋愛」にはならなかった。
気が付いた時にはすでに自分のセクシャリティにモヤがかかっていて……そんな感情を持つ自分を気持ち悪いとさえ思っていた。
外回り中、ツキを見かけたのは本当に偶然だった。
「まさか……何でここに?」
本人だと確信をもったのは、子ども達へ笑いかけたツキの笑顔が、あの頃のままだったから……
始めは──ツキの驚く顔が見たかった。
そして”俺の存在”に気づいて欲しかった。
会えたのに……俺はずっと忘れていなかったのに、気づいてもらえないことがたまらなく悔しくて……寂しかった。
それなのに、「俺の相手もしてよ……」なんて、口をついて出てしまった言葉を収めることができなかった。
ツキと、この先の関係を続ける為に、過去の記憶を自分の言い訳にした。
今なら冷静に考えられる。
俺は全てを間違えた……。
俺に抱かれながら腕の中で泣いていた都希くんの姿と、苦しそうに泣いていた過去の兄貴の姿が、重なって見えた──。
無計画で独りよがりな欲望をぶつける俺を、苦しそうに受け入れている。
都希くんの外側の表情とは裏腹に、内側は温かくて……気持ち良くて……たまらなかった。
拒絶されて──やっとわかった。
感情のコントロールができないくらい、どうしようも無く「好き」だったんだ……。
◇
初めて関係を持った夜、無理やり連絡先を交換した。
「また呼ぶから、連絡先教えて」
「……うん」
そう言って、ツキは素直にスマホを手渡して来た。
──本当は、少しだけためらった……
連絡の手段を手に入れたところで、一回きりの行為で、切られてしまって、本当はもう呼んでも来てくれないんだと思っていた。
何でも良いから、都希くんの中に、”俺”を植え付けたかった。
──二度目。
日を開けずに、一か八かで俺の部屋にツキを呼んだ。
《今日は、○○まで来て》
《わかった》
──返ってきた返事に少し動揺した。
──ツキが何を考えているのかわからない。
部屋に入ってすぐから、視線は合わない。
「脱いで」
シャワーをしたあと、俺に言われるままに身につけていた物を脱いでいく……
見るからに不機嫌だった。
繋がり合う時は、前よりスムーズに入った。けれど、俺を睨みつけながら苦しそうに受け入れていた。
一度作ってしまった仮面を外すタイミングを失ってしまい、また今夜も目の前のツキを乱暴に抱くことしか出来なかった。
(──嫌なヤツに抱かれてまで守りたいのかよ)
そう思いながらも、ツキの肌と触れ合う度に、苛立ちと快楽に支配されながら──何度も抱いた。
──その後も呼ぶとツキは必ず来た。
いつまでも本当のことが言えず、気づいてもらえない苛立ちが募っていった。
その時の俺は、「大切な場所を守ろうとする」そんなツキの真っ直ぐな気持ちを汲んでやる余裕なんて一ミリも無かった。
──抵抗されても力で押さえ付けた。
それでも攻め続けると、少しずつ声色が変わってくる。
それに気づいて、無理やりイかせた。
ツキはどんなに俺がしつこく抱いても必ず帰った。
なんでかわからない。
何も言わずに部屋から出て行くツキの背中を見送ることしか出来ない。
──本当は……俺の隣で眠って欲しかった。
◇
「兄貴を泣かせた都希くんに復讐をする」
初めはこれで良いと思っていた。
けれど……本当に兄貴の復讐だけしたかったのか?
でもこの方法以外、近づくきっかけなんて思いつかなかった。
──何やってんだ俺……
日に日に、後悔ばかりが募っていった……
◇
ツキが俺を拒絶して、泣きながら部屋を飛び出した日から数日が経ち……
──俺はツキを呼んだ。
《今夜、俺の部屋に来てよ。話しがある》
送ったメッセージは、既読になってはいるけど返信は無かった。
(さすがにもう来ないだろ。これで終わりか……)
──今更、胸の奥がツキへの罪悪感で痛んだ。
少しすると、部屋の呼び鈴が鳴った。
ドアを開けると、帽子を深く被って立っているツキがそこにいた。
◇
部屋へ入ったあとも、目深に被っている帽子のせいで表情が見えない。
(何で来たんだ?あんなに泣いてたのにどうして……)
自分で呼び出しといて、本当に来てくれたことが嬉しかった。
ツキは俺を押し除けて部屋へ入ると
「ドア閉めて。早くシよ」
そう言って、帽子を脱いだ。
疲れた顔をしている……
ツキは、肩に掛けていたカバンを置いて、上着を脱ぎ始めた。
ツキがシャツのボタンの2個目に手をかけたタイミングで……
「──いや、今日はしなくて良い」
ボタンを外す手元がピタっと止まった。
「……そう。……じゃあ、帰るね」
すぐに脱いだ洋服を着始めた。
「ごめん……」
ツキに向かって頭を下げた。
「何のこと?……あー、やっと飽きてくれたの?毎回毎回、あんだけやりまくったし、満足したなら良かった。じゃあ、もう終わりね」
ツキは淡々と言う。
「違う!そうじゃなくて……本当に悪かった。あんな抱き方も……最低だった。もう保育園にバラしたりしないから。本当にごめん」
ツキは、怒るというよりも、戸惑っているような……そんな表情に見えた。
「どんな理由があるのか知りたくも無いけど、あんだけ僕を好きに抱きまくっておいて、急に態度変わりすぎなんだけど……」
「自分勝手なのはわかってる……でも、もう一度だけチャンスが欲しい!」
「……チャンスって何?」
「あと一回だけ、ホテルとかじゃなくて、普通に外で会って欲しいんだ。今までのことを謝罪させて欲しい」
「……分かった。じゃ、そういう事で」
どうでも良いと言うように、すぐ部屋から出て行こうとするツキを、後ろから抱きしめた。
「何?!離して!」
「少しだけ……」
「……本当、お前なんなの」
俺よりも小さなツキの肩に顔を埋めていると、ツキがため息をついているのが分かった。
正直、抱き付いたら殴られるかと思っていた。それも仕方ないと思う。
──でも、違った。
呆れながらも、受け入れてくれている。
──都希くんは優しい。
俺は一体、ツキの何を見ていたんだろう……。
昔感じていた、都希くんの優しさを思い出せたような気がした。
いつも見送ることしか出来なかったツキの背中……早くこうやって引き止めて抱きしめれば良かった……
きっとツキは、謝罪する機会をくれる。
だから……これが最後だってことなんだ……。
終わりだから最後に会ってくれるんだ。
欲や感情に負けてあんなことしなきゃ良かった……。
終わってしまう……
終わるのは嫌だ──
嫌われてても良い。
むしろぶん殴ってくれても良いから、終わりにしたく無い。
やっと、自分の気持ちに向き合うことができた。
俺は──今のツキを、どうしようもなく愛しいと思った。
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