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◻︎歳をとるということ
キッチンに立った恵が、お皿やお箸を出してくれる。
いろんな所に分けてしまってあるらしい食器は、なかなか一発では出せないようだ。
あちこちの扉を開けたり閉めたりしている。
「ねぇ、取り皿ってこれかな?こっちもいる?」
「片付けを簡単にしたいから、大きめの皿を1人一つずつにしようよ」
「そっか、じゃあこっちかな?」
お皿選びに時間がかかっている。
テーブルには、配達してもらったお寿司とフライドチキン、それからサラダにポテトフライが並んだ。
「お箸はどうしよう?」
「普段使ってるものでいいよ、気にしないで」
「うん、じゃあ、これ?」
_____収納がたくさんあって、食器がたくさんあるのも考えものだなぁ
私は自分のキッチンを思い浮かべていた。
高価な食器やお洒落な食器はない。
丼も大皿も、見た目より軽く作られている物を主に使っている。
重い食器は、取り扱いも大変で洗い物をしてて割ってしまったりするからだ。
ドジな性分のせいもあるが。
「手伝おうか?って言っても、どこに何があるかわからないけど」
「美和ちゃん、俺がやるから、座ってて」
慎太郎が立ち上がった。
じゃ、と私はソファに戻ってビールを飲む。
隣で飲んでいた夫の隆一が、ポケットをまさぐって立ち上がった。手には電子タバコがあった。
「あの、喫煙はどこで?」
さすがにこんなに真っ白なリビングでは、タバコは吸えないと思ったのだろう。
「あ、テラスでよろしく」
そういえば、と思い出した。
恵もご主人の慎太郎も、タバコを吸ってたはず。
せっかく真っ白なリビングにしても、また黄ばんでくるんじゃないのだろうか。
「ね、そういえば、恵もタバコ吸ってたよね?やめたの?」
「んー、やめたというか、吸えなくなった?みたいな。ある日突然、タバコの煙で気分が悪くなって」
「あら、でも禁煙の苦労はなかったってことでしょ?」
「うん、あっ、きゃー!!」
がちゃん!とお皿が割れた音がした。
「あーあーあー、もう、しっかりしてよ、恵ちゃん」
仕方ないなぁと言いたげな、慎太郎の声。
「ほんっと、危なっかしいんだよね、どう思う?美和ちゃん」
慎太郎の、いきなりの問いかけの意味がわからなかった。
「どうって?」
「美和ちゃんだから言うんだけどさ…」
「なんのこと?」
「うちの恵ちゃん、ちょっとヤバいでしょ?昔と比べると違和感ない?」
そう言われてみれば、昔はもっとテキパキしてたし、グイグイ押してくるイメージがあったと思う。
「違和感というか、それは年をとったということじゃないの?私もよくやるよ、まだスマホを冷蔵庫に入れて探しまくったりとかはないけど。似たようなもんよ」
探し物をしていて、何を探すんだったか忘れたり、鍵の置き場所がわからなかったり、駐車場でどこに停めたかわからなくなったり。
若い頃はなんでもなかったことが、最近はできなくなってきているという自覚がある。
「だよね?だよね?私だけじゃないよね?」
「うん、私もよくやらかして、娘にも呆れられるから」
誰だって思い当たることだと、恵と言い合った。
「それだけじゃないんだよなぁ…」
ポツリと慎太郎。
「あ!」
恵が何かを思い出したかのように、リビングから出て行った。
すぐに降りてきて、今度はあちこちの窓を開けていった。
暖房がきいていた室内に、冷たい空気が入り込んでくる。
そしてすぐに寒くなった。
「少しだけ、ごめんね」
と恵が言う。
「いいけど、どうした?」
「もうさ、暑くて暑くて、のぼせるかと思って服も脱いできたんだけど。部屋も暑かったから冷やさせて」
見たら、恵は半袖Tシャツだった。
「もしかして、ホットフラッシュってやつ?」
「そうみたい、もうこれが一番イヤ!」
パタパタとうちわであおいでいるのは、恵だけ。
「寒い、寒いぞ!冷え切ったぞ!って、なんで中も寒いんだよぉ?」
テラスでタバコを吸っていた隆一が戻ってきた。
「ごめーん、もうちょっとしたら閉めるから」
「…てかさ、これ結構迷惑だよね?ごめんね、恵ちゃんのわがままで」
10分ほどして、部屋の温度が外とあまり変わらなくなった頃、やっと窓を閉めた。今度は暖房を強くしている。
「これ、しょっちゅう?」
慎太郎に聞いた。
「うん、もう慣れたけどね。お客さんには迷惑でしかないよね?」
「恵、それ更年期障害ってやつ?いつから?」
「もう10年くらいかな?」
「そんなに?でも、それくらいで落ち着いてくるって聞いたことあるから、もうすぐ終わるんじゃない?」
「だといいんだけど…」
ホットフラッシュの他に、原因不明の症状がいくつかあって、結局は更年期障害だと片づけられたらしい。
「タバコの煙がダメになって、そしたら焼肉の煙もおでんとかの一気に出る湯気も気持ち悪いって。真っ青になって吐き気がするらしいんだよ。で、部屋の壁も2人でタバコ吸ってたからヤニで黄色いじゃん?それが今度は気になってこの部屋にいられない!とか言い出して」
「それでリフォーム?」
「もちろん、それだけじゃないけどね、キッカケはそれ」
「そうなんだ。じゃあ今は慎太郎君も禁煙したの?」
「そりゃ、やるなら2人がやらないとね。それにタバコの煙を異様に嫌がるようになったし」
そう言いながら恵を見た。
「だって仕方ないじゃん?本当に気持ち悪くなるんだから。それでさ、どんどん体調も悪くなって、私、このまま死ぬんじゃないかと思ったの。なんていうか、自分の体が自分のものではない感じがするようになって。頭痛や動悸や吐き気、眠れない、なのに昼間は病的に眠くなったり。とにかく、今までに経験したことがないくらいの体調不良。でもね、検査してもどこにも異常や原因らしきものがなくて。外に出たくても、どこで体調が悪くなるかわからないから、出たくなくなってね。ずっと正社員だったけど、そこを辞めてアルバイトにしたんだ」
「そんなこともあってさ、元気でいられて働けるうちは、好きなことをしようって話し合ったんだ。もちろん、破産しない程度にね」
_____そうか、そんな価値観もあるんだなぁ
価値観に何が正解かなんて、ないのかもしれないと思った。
「俺はリフォームより、コンテナハウスが欲しいけどね」
夫は少しズレたことを言い出したけど、それはうちの価値観ということだ。