夏休みの思い出
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夏休みになった。
平日の朝はラジオ体操に行ってハンコをもらう。
帰ってきてからは母さんかお姉ちゃんの作ってくれる朝ごはんを食べて、比較的涼しい午前中のうちに宿題に取り組む。
昼食は前の日の晩ごはんや今朝の残りを温め直したりして適当に済ませる。
午後は学校のプールへ泳ぎに行く。帰宅するとお姉ちゃんがおやつを作ってくれているのでそれを食べてまったりする。
お姉ちゃんは朝ごはんを食べた後、バイトに向かう。
高校生の時もお姉ちゃんは学校から許可をもらってスーパーでバイトをしていた。バックヤードにいたから表には出てこなかったけれど。
高校を卒業後も、お姉ちゃんは進学せずすぐに働き始めた。
近所のケーキ屋さんで働くお姉ちゃんは、制服姿も可愛くて愛想もよくて接客も上手で、看板娘と呼ばれるくらいだった。
ケーキ屋さんの厨房を手伝うことはないけれど、焼き菓子のラッピングやレジ、お店の前に出すブラックボード描きはお姉ちゃんの役目だったみたい。
お姉ちゃんのラッピングはすごくセンスがいい。
その月のお誕生日ケーキを注文した人の名前が書かれたブラックボードも、毎月季節感のある可愛いデザインだ。
お姉ちゃんが勤務するようになってから、そのケーキ屋さんの売り上げはそれまでの3倍になったんだって、ケーキ屋さんの店主のおじさんが言っていた。
『ゆうくん、むいくん。今年のお誕生日は何が欲しい?』
8月のある日、3人で晩ごはんの後片付けをしていたらお姉ちゃんが聞いてきた。
僕と有一郎は顔を見合わせる。
「今年も文房具がいいな」
「うん、僕も」
ゲームや流行りの玩具は両親が誕生日の時だけ買ってくれる。
お姉ちゃんからは毎年、学校で使う文房具を買ってもらっていた。
『…文房具でいいならいいけど、違うのでもいいよ?去年までとは違ってバイトしてる時間も長いし、お金のことは心配しないで。洋服とかでもいいのよ?』
眉をハの字に下げるお姉ちゃん。
僕たちが気を遣ったと思ったのかな。
「ううん、僕たち文房具がいい。苺歌姉ちゃんが買ってくれる、便利でお洒落な文房具が好きなんだ」
『そうなの?』
「うん。洋服よりそっちがいい。クラスの友達もいつも俺のペンケース触りにくるんだ。みんな、いいなーって」
時々電車に乗って買いに行く、文房具の専門店。
普通のスーパーとかコンビニにはない文房具がいっぱいあってすごく楽しいんだ。
『2人がいいならいいけど…。他に欲しいものあったら遠慮しないで言ってね?』
「うん!…あ、ケーキは今年もお姉ちゃんの手作りがいい!」
「僕も!」
『ありがとう。もちろん、ケーキは作るつもりだったよ』
「「やったー!」」
僕たちの反応に、お姉ちゃんが安心したように笑った。
8月8日。
朝起きてリビングに行くと、エプロン姿のお姉ちゃんが朝ごはんを食卓に並べていた。
「おはよう」
「お姉ちゃんおはよう」
『おはよう。2人とも、お誕生日おめでとう』
「「ありがとう」 」
父さんと母さんも仕事着でリビングにやって来た。
「無一郎、有一郎。お誕生日おめでとう」
「はい、これプレゼントな」
「「ありがとう」」
両親からプレゼントを受け取る。
有一郎は1巻から12巻までの完結した漫画の1セット。僕は自由研究に役立ちそうな本と、簡単な料理のレシピ本。
「…お前料理なんてするのかよ」
「これからするもん。“初心者でも安心!”って書いてあるから僕にも作れると思って」
「俺にはそのレシピ本が鍋敷きにされてる未来が見えるぞ」
『ゆうくんったら。フリー●ンじゃないんだから』
お姉ちゃんの言葉に、家族みんなが笑った。
朝ごはんを食べて、両親は出勤準備をする。
「ごめんなあ、2人とも。誕生日なのに仕事入っちゃって」
「夕方には帰ってくるからね。みんなで焼き肉行くわよ」
「大丈夫だよ、父さん、母さん 」
「焼き肉楽しみにしてるね」
『お父さん、お母さん、行ってらっしゃい。はい、お弁当』
「苺歌もありがとうなあ。今日のお弁当も楽しみだ!」
「いつもありがとう。2人をよろしくね」
『うん。任せといて。気をつけてね』
3人で両親を見送る。
『…さ、私たちも準備してお出掛けしよ!』
「「うん!」」
誕生日に両親が仕事に不在でもちっとも寂しくなんかない。
だって僕たちにはお姉ちゃんがいるから。
それぞれの部屋で身仕度をして玄関に向かう。
『2人とも準備できた?』
「うん!」
「ばっちり」
お姉ちゃんは普段より少しお洒落な服を着て、メイクもしていた。首にはネックレスも。
「それ、俺たちが去年あげたやつ?」
『うん。むいくんが選んでくれた口紅と、ゆうくんがくれたネックレス。気に入ってるの』
「似合ってるよ」
「すごく可愛い!」
『ありがとう』
にっこり笑ったお姉ちゃんは、とても綺麗だった。
電車で3駅のところにある文房具の専門店に着く。
「うわあ〜!」
「すげえ!また新しいの出てる!」
『2人とも好きなの選んでね』
お姉ちゃんの影響で文房具が大好きになった僕たち。
じっくり見て回る為に1時間自由行動ということになって解散する。
楽しい。
どれもすごく魅力的で迷ってしまう。
ペンケース、鉛筆、消しゴム、色ペン、定規、ノート、下敷き、ファイル、糊、ハサミ、ホッチキス。僕たちは毎年誕生日にこのお店に来て、学校や家で使う文房具を一式揃え直すんだ。
ペンはテスターを使って試し書きして、書き心地や軽さをじっくり吟味する。
約束の時間になって、レジのところに集合する。
『はい、お買い物カゴ貸して』
「うん」
「お願いします 」
お姉ちゃんがまとめてお会計してくれる。
でも買ったものはちゃんと分けておいてくれるんだ。
『はい。こっちがゆうくん、こっちがむいくんの分ね』
「ありがとう!」
「お姉ちゃんありがとう!」
買ってもらった文房具の袋をぎゅっと抱き締める。
「お姉ちゃんは今年はまだ“手帳欲しい病”発症してないの?」
有一郎がお姉ちゃんにたずねる。
そうなのだ。お姉ちゃんは毎年8月か9月あたりから、来年の手帳を求めて色んなお店を見て回るんだ。
それを自分で“手帳欲しい病”と言っていたのが面白くて、僕も有一郎もそのワードを気に入って、この時期になると使い始める。
『ああ、もう発症しかけてるんだけどね。まだあんまりときめくのがなくて』
ちょっぴり残念そうに微笑むお姉ちゃん。
『まだ8月だもんね。9月くらいから来年の手帳がお店に並び始めるから、その時にまた見に来ようかな』
「僕たちもその時にまた一緒に来ていい?」
『うん、もちろん』
お昼ごはんはお洒落なカフェで食べた。正直言って、そのお店の料理より普段お姉ちゃんが作ってくれるごはんのほうが美味しかった。
電車に乗って地元に帰り、いつも行くスーパーへ。
誕生日ケーキの材料を買って帰る。
スポンジ台はお姉ちゃんが昨日のうちに作っておいてくれたから、生クリームを泡立てるところから始める。
お姉ちゃんは一緒に作る?って聞いてくれたけど、僕も有一郎もお姉ちゃんがケーキを作るところを眺めてたくてそう伝えた。
フルーツを切るのも、チョコを湯煎するのも、クリームを泡立てるのも、全部手際がよくて見ていてすごく面白い。
スポンジにクリームを塗って、フルーツを並べて、スポンジを重ねて、またクリームを塗り拡げる。
テレビのケーキ屋さんの特集で観るような回転台も使って、生クリームでスポンジ台を覆っていく。みるみるうちにケーキの表面が滑らかになって、魔法みたい。
ケーキ屋さんでバイトしてるから、時々厨房の様子を見て覚えたんだって。
ケーキの上に飾り用のフルーツを乗せて、生クリームも絞って、ピンク色の苺チョコをふわふわに削って振りかける。
小さなチョコプレートに、チョコペンでメッセージを書く。その時だけ、お姉ちゃんは真剣な顔で眉を寄せて細いペン先からチョコを絞り出していた。
『よし!できた!』
「うわあ〜!すごい!」
「お姉ちゃんありがとう!!」
完成したバースデーケーキ。
チョコペンで書かれたメッセージ。
“HAPPY BIRTHDAY♡有一郎・無一郎”
こんな文字数も多くて、しかも画数も多い漢字を一発書きでチョコプレートに書いてくれたお姉ちゃん。すごすぎる。
冷蔵庫に入れると固くなっちゃうから、と、ラップを掛けて低めに温度設定した部屋にケーキを安置する。
父さんと母さんが帰宅して、家族5人で焼き肉屋さんへ行く。
お腹いっぱい焼き肉を食べたけれど、ケーキは別腹。
帰ってきてからお姉ちゃん特製のバースデーケーキを食べる。
父さんも母さんも、ケーキのクオリティの高さにびっくりしていた。
ひとしきりケーキの写真を撮りまくった後、 ろうそくに火をつけて、電気を消して部屋を暗くする。
リビングのアップライトピアノでお姉ちゃんが前奏を弾いて、“ハッピーバースデートゥーユー”をみんなで歌い、僕と有一郎の2人でろうそくの火を吹き消す。
「有一郎、無一郎。誕生日おめでとう」
「おめでとう」
『おめでとう』
「「ありがとう」」
ケーキを切り分ける。
メッセージの書かれたチョコプレートは、綺麗に2つに割って、誕生日の主役のお皿に乗せられた。
お姉ちゃんの特製バースデーケーキは、今年もめちゃくちゃ美味しかった。
11歳の誕生日も、すごく幸せな思い出になった。
8月の半ばを過ぎた頃。
僕はお姉ちゃんの部屋を訪れる。
コンコンコン
『はーい』
「苺歌姉ちゃん、入っていい?」
『あ、むいくん。いいよ』
顔も声も瓜二つな僕と有一郎。両親でさえたまに僕たちを見間違えることがあるのに、お姉ちゃんはこの家に来てから一度も、僕たちの顔を見間違えたり声を聞き間違えたりしたことがない。
部屋に入ると、お姉ちゃんは本を読んでいた。
『どうしたの?』
「…あのね、家庭科の宿題で雑巾縫いがあって。授業で縫い方習ったけどあんまり覚えてなくて。教えてくれる?」
『そっか。懐かしいなあ。もちろんいいよ。お裁縫道具持っておいで』
「うん!ありがとう」
一旦自室に戻り、裁縫道具とくたびれたタオルを持って再びお姉ちゃんの部屋に行く。
お姉ちゃんは部屋の真ん中に小さいテーブルを出してくれていて、そこに道具を置かせてもらう。
『何枚縫わないといけないの?』
「2枚だって。1枚は並縫いで、もう1枚は返し縫いしないといけないんだって。練習になるように」
『そう。返し縫いの雑巾、相当丈夫なのが出来上がりそうね』
お姉ちゃんがくすくす笑う。
僕の大好きな優しい笑顔。
お姉ちゃんに教えてもらいながら、くたびれたタオルを折り畳んで、チョコペンで印しをつけ、まち針で留める。
縫い針に糸を通して、書いた線に沿って縫っていく。
『ミシンは使っちゃだめって?』
「うん。まだ習ってないし、手縫いでって言われた」
『そっか。ミシンが登場したら、また教えてあげるね』
「うん!」
僕たちの上履き入れとか体操着入れとか、お姉ちゃんがミシンを使って手作りしてくれたなあ。
すごく嬉しくて同級生に自慢した覚えがある。みんなも羨ましがってた。
やっとこさ、並縫いの雑巾が完成した。
玉留めも苦手だったので、ついでにコツを教えてもらってできるようになった。
返し縫いの雑巾も、少し苦戦しながらもなんとか仕上がった。
「できたー!お姉ちゃんありがとう」
『どういたしまして。頑張ったね』
そう言って頭を撫でてくれるお姉ちゃん。
急に甘えたくなって、僕はぎゅっとお姉ちゃんに抱きついた。
有一郎はプールに行ってるから、邪魔されることもない。
お姉ちゃんも僕を優しく抱き締め返してくれる。
「…お姉ちゃん」
『なあに?』
「僕がしょっちゅう宿題で分かんないとこ聞くの、嫌じゃない?」
『なんで?そんなこと1ミリも思ったことないよ』
「ほんと?」
『うん。むしろ頼ってくれて嬉しいよ』
よかった。
「…僕、兄さんみたいに何でも器用にこなせないし、覚えも悪いから。お姉ちゃんも忙しいのに毎回聞くの迷惑だろって兄さんに言われて」
『全然迷惑じゃないよ。…それにね、分からないところを素直に人に聞けるのは素敵なことだよ』
「そうなの?」
『うん。“知るは一時の恥、知らぬは一生の恥”って諺があるでしょ?… 世の中には知らないことを知った被って振る舞う人もたくさんいるの。でもむいくんみたいに分からないことを聞けるってすごく勇気が要るし、大事なことなのよ』
そっか。でもそれはお姉ちゃんだから聞けるんだよ。
『…それに、むいくんは教えたらちゃんと理解できるし、一生懸命考える力も持ってるからなんにも心配要らないわ』
「ほんと?」
『うん』
「よかった。……お姉ちゃん、大好き」
嬉しくてお姉ちゃんの身体にまわした腕に力を込める。
『私も、むいくん大好きだよ』
そう言って、お姉ちゃんも僕を更にぎゅっと抱き締めてくれた。
『…そろそろお夕飯の仕度しようかな。むいくん、何が食べたい?』
「カレーがいいな」
『じゃあ、それにしよう。一緒に作る?』
「うん、教えて!」
『…あ、せっかくなら、むいくんがお誕生日にもらったレシピ本に載ってるやり方で作ってみようか』
「うん!」
お姉ちゃんの部屋を出て、一旦自室に寄って雑巾と裁縫道具を置き、本棚からレシピ本を取って2人で階下に降りる。
エプロンを着けてキッチンに立つ。
有一郎が言っていたように鍋敷きにされることなく使ってもらえて、レシピ本もきっと喜んでいるだろう。
つづく
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