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荒れた手指
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12月になった。
冷たい空気が、服に覆われていない顔や首や耳をピリピリと痛めつける。
「ただいま」
『おかえり、ゆうくん 』
お姉ちゃんがキッチンからひょこっと顔を出す。
「あれ?お姉ちゃん今日バイトは?」
『一昨日勤務交代してあげた分、今日がお休みになったの』
「そうなんだ。今日寒いからよかったね」
手を洗ってうがいをしてキッチンに行くと、お姉ちゃんが俺のマグカップにココアを淹れてくれていた。
『外、冷えてたでしょ?これ飲んであったまってね』
「ありがとう。無一郎は?」
『お風呂掃除してくれてると思うよ』
「そっか」
12月のケーキ屋さんは1年でいちばん忙しい。
お姉ちゃんもバイトの日は朝早くから家を出て、日付が変わるくらいの遅い時間に帰ってくる。
最近ゆっくり話せなかったから、今日お姉ちゃんが家にいるのが堪らなく嬉しかった。
「ココア美味しい」
『よかった。ごはん食べた後ならおかわりして飲んでいいからね』
お姉ちゃんは夕食作りに戻る。
華奢な背中。1つにまとめた長い髪。エプロンを着けた、大好きなお姉ちゃんの後ろ姿。
「ごちそうさま。お姉ちゃん、俺も何か手伝うよ」
『ありがとう。じゃあ、コンソメスープ作ってくれる?』
「うん」
お姉ちゃんとキッチンに立つ時間が好きだ。
時々料理を手伝っているから慣れてきたし、一品まるごと任せてもらえたりもする。
あと少しで沸騰するお湯の入った鍋の前に立つ。湯気でほかほかと温まる。スープ作りをさせてくれたの、 身体の冷えた俺への配慮かな。
対照的にお姉ちゃんは、茹で卵を氷水にさらして殻を剥いている。少し荒れ気味の指先が赤くなっていた。
「…お姉ちゃん、俺がそっちしようか?手、冷たいでしょ?」
『ううん、平気よ。ありがとう。ゆうくんの味付けが好きだからスープ作りお願い』
「…わかった…」
沸騰したお湯の中で刻んだ玉葱が踊っている。
予め切ってあったベーコンを入れて、その後レタスとコーンを加える。
「お姉ちゃーん!お風呂掃除終わったよ。…あ、兄さんおかえり」
「ただいま」
『むいくんありがとう』
「僕も何かやりたい」
『助かるわ。そしたら、じゃがいもと人参を潰してくれる?』
「うん!」
キッチンにやって来た無一郎に、お姉ちゃんは茹でたじゃがいもと人参の入ったボウルと、マッシャーを手渡す。
こっちにも温かいほうを任せてる。
やっぱり俺たちが寒い思いをしないようにだろう。
『むいくん、これも一緒にお願い』
「わかった」
細かく刻まれたブロッコリーもボウルに追加され、マッシャーで潰され混ぜられていく。
お姉ちゃんの手、真っ赤だった……。
自分は手も指先も冷え切っているのに、俺たちには温かいほうをさせてくれるなんて。
どこまでも優しい。
なんでこんなに人に優しくできるの?
お姉ちゃんは茹で卵を挽き肉に包んで、パン粉をまぶし、油で揚げ始めた。
ジュワジュワ…パチパチ……
今まで捲り上げていたエプロンの袖を下ろしているのは、跳ねた油で火傷しないようにだろう。
「お姉ちゃん、潰したよ」
『ありがとう。じゃあ、お皿に盛りつけてくれる?ワンプレートにするから平たい白いお皿にお願い』
「うん!」
無一郎がいそいそとお皿を取りに行く。
俺はコンソメスープの味を整えて、くるくると鍋を掻き回す。
「無一郎。ついでにスープのお皿も取って」
「わかったー!」
『むいくん、ポテトサラダはアイスクリームディッシャーで丸く盛りつけてほしいな』
「あれ使っていいの?やった!」
無一郎は楽しそうにアイスクリームディッシャーにポテトサラダを詰め、お皿にポコンと盛りつける。
お姉ちゃんは揚がったスコッチエッグを菜箸で抑えながら包丁で2つに切っている。
それをポテトサラダの鎮座したお皿に乗せ、ごはんもお子様ランチのように丸く盛りつける。
「わあ〜可愛い!美味しそう!」
目を輝かせる無一郎。
俺もスープをよそって、ダイニングへと運ぶ。
「ただいま〜」
「ただいま」
タイミングよく父さんと母さんが帰ってきた。
『おかえりなさい。ちょうどごはんできたところだよ。今日はね、ゆうくんとむいくんも手伝ってくれたの』
「いい匂いだな〜!」
「3人とも、ありがとう」
手を洗ってきた両親も一緒に食卓に座る。
いただきます、と家族5人で声を揃える。
「おいしーい!スープは誰が作ったの?」
『ゆうくんが作ってくれたのよ』
「…材料はお姉ちゃんが切ってくれてたけどね」
『でもそれ以降は全部1人でしてくれたの。ゆうくん、ありがとう。とっても美味しい』
右隣に座るお姉ちゃんが優しい笑顔を向けてくれた。
『ポテトサラダはむいくんが潰してくれたの』
「そうか~!無一郎も料理を手伝うようになったんだな!」
「マッシャーで潰すの面白かった!」
俺の反対側で、無一郎も満足そうに笑っている。
幸せだ。父さんがいて母さんがいて、弟がいて、お姉ちゃんがいる。みんなで食卓を囲める幸せ。
ゴム手袋を着けて食器を洗うお姉ちゃん。
「お姉ちゃん、替わるよ」
『ゆうくん宿題は?』
「まだ」
『あら。じゃあ宿題しておいで。こっちは大丈夫だから』
「…でもお姉ちゃん…手が荒れてるから……」
『手袋着けてるから平気よ。心配してくれてありがとう』
にこっと優しく笑うお姉ちゃん。
胸の中がふわっと温かくなる。
「急いで宿題してくるから、何かあったら呼んでね」
『うん。ありがとう、ゆうくん』
コンコンコン
自室に戻って宿題をしていると、誰かがドアをノックした。
「兄さん、入っていい?」
「いいぞ」
無一郎が部屋に入ってくる。
「どうした? 」
「あのさ、お姉ちゃんへのクリスマスプレゼントだけど」
ああ、もうそういう話題が出る時期だよな。
「いつもみたいに可愛いお菓子とかアクセサリーもいいと思うんだけど、ハンドクリームってどうかな?いい匂いのやつ」
「ハンドクリーム?」
「うん。お姉ちゃん手が荒れてて痛そうだから。一昨年みたいにぱっくり割れしちゃったら可哀想でしょ?」
無一郎、お姉ちゃんが手荒れしてることにちゃんと気が付いてたんだな。
「ハンドクリームいいと思う。今度の日曜に買いに行くか」
「うん!」
宿題を終えてキッチンに戻ると、お姉ちゃんは既に片付けを終えて、何かを飲みながら本を読んでいた。
『あ、ゆうくん。宿題終わった?』
「うん。ごめんね、片付け手伝えなくて」
『いいのよ。ありがとう。…ゆうくんもココア飲む?』
「うん」
お姉ちゃんがまだあつあつのココアをマグカップに注いでくれる。
息を数回吹きかけ、少しずつココアを啜る。
お姉ちゃんのココアは牛乳を入れたら完成する調整ココアじゃなくて、純ココアを砂糖と少しの水で練ってから温めた牛乳と混ぜて作ってくれるから濃くて甘くて美味しい。
「何読んでたの?」
『むいくんがお誕生日にもらってたレシピ本よ』
「面白い?」
『うん。自分の料理の常識と違うことが書いてあって面白いよ。火を使わずにレンチンだけ、とか、包丁を使わずにキッチンバサミで、とか。なるほどって思う』
「へえ〜」
パラ…パラ…
確かに面白い。
俺も今度ちょっとだけ拝借して作ってみようかな。
「…お姉ちゃん、手荒れしてるの痛くない?」
『少しね。でも一昨年のに比べたら全然。あの時は大分しんどかった』
ぱっくり割れした時のことを言っているのだろう。
あの時はお姉ちゃんはまだ高校生で、スーパーのバックヤードでバイトしていて。冷凍した魚や肉のパック詰めをしていたからあんなに酷いことになっていた。
ああなる前にちゃんとケアしないとね、とお姉ちゃんが笑う。
そして、ポケットからハンドクリームを取り出して手に塗り始める。
「あっ……」
『ん?』
さっき無一郎と話してお姉ちゃんへのクリスマスプレゼントはハンドクリームにしようってなったのに、お姉ちゃんハンドクリーム持ってるじゃん……。
「…そ、そのハンドクリーム……」
『ん?これ?お友達からもらったの。やっぱり保湿って大事だね。皹がマシなのはこれ塗ってるおかげかも』
金木犀の優しい香りが広がる。
「……ハンドクリームって1個あったらもう要らない…?」
『ううん、そんなことないよ。結構頻繁に塗るから減るの速いし、何個か持っててバイト用とか家用とかで使い分けられたらいいなーって思う。お守りみたいに、鞄とかポケットに入ってると安心するの』
「そっか…」
よかった。じゃあ、クリスマスプレゼントは予定通りハンドクリームにしよう。
『ゆうくんも少し塗ってみる? 』
「うん!」
『じゃあ、手貸して』
もう大分使ったのだろう。真ん中辺りがぺちゃんこになったチューブから中身を絞り出し、それをお姉ちゃんが自分の手で少し温めてから俺の手に塗り拡げる。ついでにマッサージするように手を揉んでくれる。
「いい匂い。気持ちいい」
『ふふ。よかった』
お姉ちゃんが微笑む。
ついでにお姉ちゃんの好みをリサーチしよう。
「お姉ちゃんは花の香りだったら何でも好き?」
『んー、ラベンダーは苦手かも。あと薔薇も強すぎるかなあ』
「桜は?」
『桜も香りにはそこまで執着ないかな。モチーフとしては好きだけど』
「これもだけど金木犀は好き?」
『うん、金木犀は好きよ』
なるほど。花の香りのハンドクリームを選ぶなら金木犀だな。でも今持ってるのと同じになるな。
「他に好きな香りは?」
『フルーツ系はわりと何でも好きかな』
「柑橘とか?」
『そうね。柑橘系はハズレないかも。あと桃とか苺もいい香りよね』
「俺も苺の匂い、好きだよ。お姉ちゃんがジャム作ってくれた時、玄関開けた瞬間いい匂いで最高だった」
今年も苺ジャム作ってくれるかな。
「あと、お姉ちゃんの名前にも“苺”が入ってるし」
『そうだね。…だから苺の香りが好きってわけじゃないけどね』
苺に歌、って可愛いよなあ。
「逆に苦手な香りってラベンダーとか薔薇の他にもある?」
『うん、あるよ。ハーブ系は苦手なんだよね。イランイランとかセージとか。あとハーブじゃないけどムスクは甘すぎて頭が痛くなっちゃうの』
そっか。今のでかなりプレゼント選びのヒントがもらえたぞ。
「お姉ちゃんありがとう。大事なハンドクリーム塗ってくれて。ココアも美味しかった」
『どういたしまして』
優しく笑いかけてくれるお姉ちゃん。
俺は自分が使ったマグカップを洗って食器乾燥機に入れる。
「じゃ、そろそろ俺、部屋に戻るね」
『うん。おやすみ』
「おやすみなさい」
軽くハグをしてキッチンを後にする。
今聞いたことを忘れないうちにメモしておかなくちゃ。
俺は少し速足で階段を登り、自室に戻っていった。
つづく