車を向かわせてもらうと、すでに戦闘が始まっていた。
魔物は真っ赤な毛並みの……見た目はほとんどオオカミ。
だけど、その前足は不釣り合いとまではいかないけれど、随分と太い。
三匹いるうちの後ろの二匹は、後ろ足だけで二足立ちしていて、その胴は逆三角形をしていて逞しい狼男のように見える。
それだけではなくて、大きさが常識外れしている。
「なにこれ……」
それぞれ、勇者たちの十倍は大きい。
「思っているよりも大きいですね」
シェナも意表を突かれる巨大さだったらしい。
「なんだよ聖女ちゃん! あぶねぇから来るなって!」
「もっと下がってろ。魔法の邪魔だ」
軽薄な勇者も黒い人も、今はまだ無傷に見えるけど。
「補助魔法をかけます! 五割増しくらいにしかできないけど!」
歴々の聖女達の一人が使えたという、特有の魔法のひとつ。
身体能力を上昇させて、普段以上の――火事場の馬鹿力のような――実力を発揮させることができる。
ゲーム好きな私にとってはお馴染みの魔法だけど……いざ使うと地味だ。
「いいねえ!」
軽薄な勇者は、ノリだけは良くて合いの手を入れてくれた。
「……黒い人も、魔力を底上げしてるから!」
彼の使っていた炎の魔法が、私が見ても分かるくらいに大きな火柱を立ち昇らせている。
「へぇ、やるじゃないか!」
黒い人の機嫌が良くなった。
――でも、赤いオオカミどもは全く怯んでいない。
そして、勇者たちが無傷で済んでいるのは……今戦っているのが、まだ一匹だけだからだ。
オオカミが振るう前足の一振りで、二人は大きく距離を取らされる。
けれどすぐさま飛びこまれて、大きな口を開いての噛みつきが連続で襲ってくる。
勇者たちは……ほとんど何もさせてもらえない。
逃げるように躱すだけで精一杯だ。
さらに、オオカミが身を翻すだけで大きな石が弾き飛ばされる。それも攻撃になることを理解して、地を爪で深くえぐり飛ばしてくる。
「わっ。あぶな……」
早く仕留めてくれないと、離れている私とシェナまで岩に当たりそう。
「だから、下がってろって!」
思い通りに――というか、攻撃ひとつままならない勇者が、八つ当たり気味に叫ぶ。
黒い人の炎も、当たらなければ焦げ目ひとつ作れない。すべて発動を読まれて避けられている。
「見ていられないわね。どうする? 手伝う?」
隣のシェナに聞くと、ニヤニヤと、少し悪い笑みをこぼしていた。
「こ~ら、そんな顔しないの。そういうお顔になっちゃうんだから」
「むぅ……お姉様に嫌われたくないので、やめにします」
「うんうん。いい子ねぇ」
魔物……とは、一体何なのだろうか。王国の……人の用いる基準や呼称をまだ知らない。
見る限りでは、赤いオオカミは魔核を持っていそうな強さだ。
つまりは魔獣。魔力を操り、再生を持つ。傷を負ったところで、致命傷さえ一瞬で癒えてしまう。
……あの人達、やっぱり勝ち目がないのでは?
「あの~! 手伝いましょうか!」
二人は必死な表情を浮かべていて、返事も出来ない状況らしい。
「シェナ、手伝ってあげよ? さすがに見殺しは……。それに二人が死んで私たちが倒しちゃうと、殿下や陛下のメンツが潰れることになっちゃうから」
「…………分かりました」
シェナはだいぶ考えて、自分の思いを我慢することにしたらしい。
「ごめんね?」
「あとで、いっぱい撫でてください」
そう言うとシェナはメイド服のスカートをぶわっと捲ると、次の瞬間には両手に、ガードのない短剣を持っていた。
いつも着替えの時にあの短剣を見ていて、どうやって抜くんだろうと思っていたけど……想像よりも早すぎて、どう抜いたかは見えなかった。
――おパンツは、白。
見えたのはそれだけ。
(今度、見えないように抜く練習をしないとね)
なんて思っているうちに、勇者たちの間を抜けて、シェナがオオカミの懐に入って行った。
一瞬、スカートがまたふわりと広がったかと思うと、瞬時に姿が消えた。
消えたように見えた。
探すと、オオカミの上の方まで飛んでいて……その下では、大きな頭がずるりと落ちて行く。
――傷が癒える様子はない。
(魔獣じゃなかったんだ)
ビシャビシャと、首から勢いよく血が噴き出している。
「な……なんだ。何が起きた」
「一太刀……だと?」
勇者と黒い人は、動きを止めて唖然としている。
一匹目のオオカミの側に着地したシェナは、「こんな雑魚相手に、みっともない」と言った。
いや、離れていて聞こえる距離ではないのだけど……絶対にそんなようなことを言った。
「まぁ、魔獣でもないのなら、大きいだけだったものね」
竜王さんや魔王さまの地獄の訓練に比べれば、全員が遅い。遅すぎる。
だから、勇者たちは最初、遊びたいのかと思っていた。
狩りに時間を掛けたがるのは、良い気がしないなと見ていたけれど。
本気でやって、あの程度だったらしい。
じゃあ、やっぱり陛下の方が強いのかな。
でも、騎士団一行が騎士団長程度だとすると……勇者たちよりもさらに弱い。
レベルは、陛下のほうが高いのに。
(……頭が煙ふきそう)
難しい比較は、私には無理ね。
そんな感じで、私が難問に苦しんでいる間にもう、全て片付いてしまっていた。
シェナは返り血を浴びることなく、傷ひとつ負わず、息も切らせず。
悠々と歩いて私のところまで戻ってきた。
「おかえり。えらかったわね、シェナ」
ついでに、私に無礼だったという理由で、歩きながら勇者たちもアレしちゃうかもとハラハラしたけど。
ちゃんと我慢して、何もしなかったのが本当に偉い。
「お姉様っ! シェナ、ものすごくえらかったですよね?」
私はうんうんと頷いて、とにかくひとしきり抱きしめた。
この可愛い妹を、心から褒めてあげたくてずっと抱いていると、勇者たちも戻ってきた。
「あ……あのさ。そのメイドちゃん……めっちゃ強くね? 何のチート貰ったんだよ」
「何の魔法を使ったんだ? あんなに早い浮遊魔法、賢者の俺でも知らないのに」
シェナの身体能力がすごいだけで、たぶん普通にジャンプしただけだし、魔法は今回、一切使っていないはず。
オオカミの大きな首を刎ねるのに、短剣に魔力を添えたかもしれないけど。
「近寄るな。汗臭い」
シェナは、無礼な人達には、敬語を使わないというスキルを身に付けている。
「お、おう……ごめんな」
「き……きついな俺達には」
でも、街の人には穏やかで照れ屋さんで、可愛い丁寧語を話すのに。
そればかりか、無礼でも私が我慢してと念じている時は、ちゃんとしている。
この子は……空気を読む天才ね!
「それじゃ、帰ります?」
もしかしたら、他に群れが隠れているかとも思ったけど、シェナが何も言わないところを見ると、もう近くには居ないのだろう。
「ちくしょう。いいとこ見せれなかったな」
「……思っていたより、強かったな」
勇者たちは二人で反省会でもするのか、来る時とは比べ物にならないくらいに声のトーンが低かったし、私にも話しかけてこなかった。
……最初の二時間くらいは。
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