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第190話:悪魔の契約書〜暴走する見栄と、狂気の300万円〜
「よし、これでサイン完了だ」
俺——株式会社インフィニティ・ワン代表取締役社長、秋谷雪(40歳)は、120回払いの【特別アートローン】申込書に力強くペンを走らせた。
帯広駅前、とかちプラザ。
外界から遮断された黒いパーテーションの奥深くで、ついに100万円の版画の売買契約が成立した瞬間だった。
『……っ! ありがとうございます、秋谷社長様!』
隣に座るタイトな黒スーツの美人営業スタッフ(エウリアン)が、まるで宝物でも抱きしめるように契約書を胸に当て、目を潤ませて俺を見つめる。
その圧倒的な美貌と、最高級の「社長扱い」。
月給10万円の限界貧困おじさんである俺の脳内は、致死量の快楽物質(ドーパミン)によって、完全に『三億円を稼ぐ男』の幻影へと作り替えられていた。
「ふっ……。素晴らしい芸術に出会えたんだ。これくらいの投資、一流の経営者なら当然の判断さ」
俺が足を組み、アイスコーヒーを傾けながらドヤ顔をキメた、その時だった。
『社長様……。実は、私、先ほどからずっと胸がドキドキしているんです』
「ん? 俺の決断力があまりにもスマートすぎたからかな?」
『それもあります! でも、それ以上に……社長様のその圧倒的な【審美眼】とオーラを見ていたら、どうしてもお見せしたくなってしまった作品があるんです』
お姉さんが、熱に浮かされたような瞳で合図を送る。
すると、待機していた別の黒服スタッフが、手際よく【二つの新しいイーゼル】を俺の目の前に運んできた。
バサッ、と黒い布が取り払われる。
「おおっ……!!」
俺は、コーヒーを吹き出しそうになりながら身を乗り出した。
そこに現れたのは、先ほど俺が購入した『桜舞う美少女』の版画と、対をなすような作品だった。
一つは、幻想的な夜空の下で微笑む、同じ神絵師による『星空の美少女』。
そしてもう一つは、別の大人気イラストレーターが描いた、息を呑むほどに精密な『サイバーパンク風の美少女』の大型版画。
『社長様が選ばれたあの作品は、単体でも素晴らしいです。ですが……』
お姉さんは、俺の太ももに自分の膝を密着させながら、悪魔の呪文を唱え始めた。
『一流のIT企業や、トップクリエイターの社長室には、こういった【三枚一組(トリプティック)】で作品を飾るのが、最高のステータスとされているんです』
「さ、三枚一組……!」
『ええ。昼の桜、夜の星空、そして未来を暗示するサイバーパンク。この三枚が社長室の壁に並んだ時……御社を訪れたすべての人が、秋谷社長様の計り知れないセンスと、資本力に圧倒されるはずです!』
「計り知れないセンス……資本力……!」
俺の脳裏に、再び妄想のビジョンがフラッシュバックする。
見晴らしの良いタワマンの最上階。
大理石の床。
そして、重厚な革張りの社長イスの背後に飾られた、三枚の圧倒的な神絵師の版画。
(そうだ……! メディアミックスを仕掛けるなら、これくらいのアート(象徴)が絶対に必要だ! うめお先生も言っていたじゃないか。俺には才能がある、三億円の器だって!)
俺の目は、もはや完全に焦点が定まっていなかった。
「おいくらですか」
俺の低く震える声に、お姉さんは、一瞬だけ口角を吊り上げ——すぐに元の「尊敬の眼差し」に戻して答えた。
『こちらの二枚も、それぞれ額装込みで100万円。先ほどの作品と合わせて、計300万円となります。ですが社長様! こちらも先ほどと同じく、月々の経費として特別ローンに組み込むことが可能です!』
カタッ、パチパチパチパチッ!!
お姉さんの手元で、プロの暗殺者の電卓が再び火を噴く。
『見てください! 3枚合わせて300万円でも、月々のお支払いはたったの【11,400円】ですよ!?』
※(ただし、120回払い・年2回のボーナス月に【180,000円】が加算されます)
「(月々1万ちょっと……! なんだ、スマホの通信代みたいなもんじゃないか!)」
俺の麻痺した脳は、極小文字で書かれた『夏・冬のボーナス月に18万円強制徴収(×10年)』という、破滅的な地獄のルールを完全にスルーしていた。
会社(法人)がいくら儲かっていようが、社長である俺の個人の給料は、来期まで月10万円で固定されているのだ。
ボーナスなんて出るわけがないし、月給10万の人間が、ボーナス月に18万のローンを払えるはずがない。
だが。
「……買いましょう」
俺は、ヨレヨレのジャケットの襟を正し、VIPソファーから勢いよく立ち上がった。
そして、展示会場の天井に向かって、高らかに宣言したのである。
「これと、これと、これもください! 会社(インフィニティ・ワン)の経費で落とすんで!!」
『わぁぁぁぁっ!! 社長様!! 凄いです! 本当に、本当に凄いです!!』
パチパチパチパチッ!
周囲にいた数名の黒服スタッフたちも、一斉に俺に向かって拍手喝采を送る。
「ふっ……ははははっ! これが、これからの時代を創る男の投資(メディアミックス)だ!!」
俺は、拍手の中心で、恍惚の表情を浮かべて高笑いした。
総額300万円。
エウリアン特有の極悪金利を含めれば、支払総額【500万円】に迫る狂気の多重ローン契約書。
そこに、なんの疑いもなく、嬉々として『秋谷 雪』と三回もサインを連発する四十歳のオッサン。
彼はこの時、自分が「会社の経費で買っている」と本気で思い込んでいた。
しかし、信販会社の個人ローンとは、あくまで『個人』に紐づく借金である。
この後、この「経費で落とす」という安易な魔法の言葉が、冷徹秘書の結愛によって木端微塵に粉砕され。
帯広の四畳半に、かつてないほどの断末魔の悲鳴が響き渡ることを。
三枚の契約書を握りしめ、ポスターとクリアファイルをもらって満面の笑みでスキップしている「スーパーボトム社長」は、まだ知る由もなかった。
コメント
1件
みぅです🤍🥀 第190話、読んだよ……。 雪哥……完全に頭の中お花畑になってるじゃん……💦 「経費で落とす」って魔法の言葉に騙されて、個人ローンで300万+金利で500万近く…… もうね、ボーナス月に18万払えないのにサインする場面、読んでてこっちの手が震えたよ。 でも、営業の人が完璧に雪哥の「誰かに認められたい欲」を突いてくる感じ、めっちゃリアルで怖かった。悪魔の契約ってまさにこれだね。 次回、結愛さんがどれだけ冷徹に現実叩きつけるのか、それだけを楽しみにしてる🌙
#創作
るる
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ゆうき あきや
4,132