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第191話:社長とローン審査〜「経費で落とす」の罠と、個人の背十字〜
「これと、これと、これもください! 会社(インフィニティ・ワン)の経費で落とすんで!!」
北海道・帯広駅前、とかちプラザ。
閉鎖空間のVIPブースのど真ん中で、俺——株式会社インフィニティ・ワン代表取締役社長、秋谷雪(40歳)は、高らかに300万円の版画のお買い上げ宣言をした。
『わぁぁぁぁっ!! 社長様!! 凄いです! 本当に、本当に凄いです!!』
俺の隣に座るタイトな黒スーツの美人営業スタッフ(エウリアン)が、感極まったように俺の腕にすがりつく。
フワリと香る高級な香水と、周囲の黒服スタッフたちからの割れんばかりの拍手喝采。
俺の脳内は、完全に『三億円を稼ぐ男』の幻影と、致死量の快楽物質(ドーパミン)によって支配されていた。
「ふっ……。ビジネスも芸術も、スピードが命だからね。一流のクリエイターを支援するための300万なんて、うちの会社にとっちゃ『はした金』さ」
俺は、ヨレヨレの黒ジャケットの襟を正し、アイスコーヒーのグラスを傾けながらドヤ顔をキメた。
『本当に、社長様のような素晴らしい感性を持った方に作品をお迎えいただいて、私も感無量です!』
お姉さんは、満面の笑みで3枚の【特別アートローン】の申込書をバインダーに挟んだ。
『では、こちらの法人名義の申込書を、信販会社の審査センターにFAXしてまいりますね。審査には15分ほどかかりますので、こちらのソファーでゆっくりとお待ちください』
「ああ、構わないよ。よろしく頼む」
俺は余裕たっぷりに頷き、ふかふかの革張りソファーに深く背中を預けた。
(ふふっ……。審査なんてただの形式上のものだ。うちの法人口座には、海外からのスパチャと書籍化の利益で数千万のキャッシュが眠っているんだからな。秒で審査通過して、VIP待遇で帰宅だぜ)
俺は、無料でもらった人気イラストレーターのクリアファイルを眺めながら、自分の社長としてのステータスに酔いしれていた。
だが。
15分後。
VIPブースに戻ってきたお姉さんの表情は、先ほどの満面の笑顔から一転、ひどく曇っていた。
「……ん? どうしたんだい? 審査部の奴ら、俺の会社の圧倒的な資本力に腰を抜かして返事が遅れてるのかな?」
俺が軽口を叩くと、お姉さんは申し訳なさそうに眉を下げ、バインダーを胸に抱いた。
『社長様……その、大変申し上げにくいのですが……』
「どうした?」
『信販会社から……【法人名義でのローン審査は通らない(否決)】との連絡がありまして……』
「…………は?」
俺の余裕の笑みが、ピシリと凍りついた。
「いやいや、ちょっと待ってくれ! 否決!? 俺の会社が!? なんでだよ! 法人口座にはうなるほど現金があるんだぞ!!」
『し、信販会社の方で調べたところ、御社は……その、まだ設立して一年未満の、出来立ての法人ということで……』
お姉さんが、気まずそうに目を逸らす。
『金融機関のシステム上、過去三期分の決算書や、長期的な事業実績がない【新設法人】に対しては、どれだけ口座に現金があっても、法人の信用だけで数百万円のローンを組むのは厳しいルールになっているそうで……』
「なっ……!」
俺は、ハンマーで後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
そうだ。俺の会社『株式会社インフィニティ・ワン』は、起業してまだ間もない。
社会的信用(クレジット)という観点から見れば、どんなに瞬間風速で海外からドルを稼いでいようが、金融機関からは「ポッと出の怪しいベンチャー」としか見なされないのだ。
『ごめんなさい、社長様……。私の確認不足でした。社長様のような一流の方の法人なら、無条件で審査が通ると思い込んでしまって……』
お姉さんが、今にも泣き出しそうな声で謝罪する。
(ヤバい……! このままだと、俺は『300万円のローンすら組めない底辺社長』として、この美女と黒服スタッフたちの前で恥をかくことになる……!)
極限まで膨張していた俺の自尊心が、恐怖で音を立てて崩れ始める。
さっきまで「はした金だ」と豪語していた手前、今さら「審査に落ちたからやっぱり買わない」なんて、ダサすぎて絶対に言えない。
そんな、パニック状態に陥っている四十歳の見栄っ張りおじさんに。
百戦錬磨のエウリアンは、とどめの【悪魔の囁き】を投下した。
『社長様……あの、もしよろしければなのですが』
「な、なんだい……?」
『法人の信用がまだ構築中であるなら……【社長様個人の名義】でローンを組むのはいかがでしょうか?』
「……えっ?」
『もちろん、支払いは個人の口座から引き落とされますが、作品自体は会社に飾るわけですし、あとから税理士さんに相談して、会社から個人へお金を回す処理(経費精算)をすればいいだけですから!』
お姉さんは、パァッと顔を明るくして、俺の顔を覗き込んだ。
『社長様個人のクレジットヒストリー(信用情報)は非常にクリーンでした! 信販会社も、「秋谷雪様個人の名義であれば、300万円のフルローンでも今すぐ即決で審査を通せる」と言っているんです!』
「お、俺個人の名義なら……通る?」
俺は生唾を飲み込んだ。
かつて公務員として長年真面目に働き、クレジットカードの滞納も一度もない。
俺個人の『秋谷雪』という人間の社会的信用は、皮肉なことに、俺が立ち上げたばかりの会社よりも遥かに高かったのだ。
『はい! さすが社長様です! 個人としてこれだけの信用力をお持ちだからこそ、経営者としても大成されるんですね!』
お姉さんの、計算し尽くされた完璧な「持ち上げ」。
「会社の経費で落とす」という大前提が崩れかけているのに、俺の麻痺した脳は「あとで会社から個人にお金を回せばいい(※役員報酬のルール上、そんなことは不可能)」という彼女の適当な言葉を、完全に鵜呑みにしてしまった。
「……ふっ、なるほどね」
俺は、冷や汗を拭い、再び余裕の笑みを顔に貼り付けた。
「そういうことなら、最初から俺個人の信用(クレジット)を使ってやればよかった。いいだろう、個人名義でローンを組んでくれ」
『わぁっ!! ありがとうございます、社長様! やっぱり社長様は器が違います!!』
こうして。
月給10万円のスーパーボトム社長は、「美人の前で恥をかきたくない」というただそれだけの見栄のために。
法人(会社)の壁を越え、自分自身の背中に【300万円の個人ローン(120回払い・ボーナス18万円加算)】という、巨大な十字架を背負うことになってしまったのである。
タダでもらった人気絵師のポスターとクリアファイルを、まるで戦利品のように大事に小脇に抱えながら。
俺は、エウリアンたちの満面の笑みと深いお辞儀に見送られ、とかちプラザを後にした。
これから帰宅したのち、鬼畜秘書・結愛による【経費精算の絶対拒否】と【絶望の計算式】が突きつけられることなど、有頂天の四十歳はまだ1ミリも気づいていなかった。
コメント
1件
いや~~~、読んでて心臓がギュッてなったよ!!😭💦 「経費で落とす」って言ってたのに、まさかの法人ローン否決からの個人名義で背負う300万円の十字架…!社長の見栄とプライドがこうも脆く崩れる感じ、めっちゃ生々しくて笑ったけど最後は「あっ…(察し)」ってなった(泣) 結愛ちゃんの「経費精算の絶対拒否」が待ってるって分かってるこっちの胃も痛いよ…次回も楽しみにしてる!!
まう
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81
魚卵
75
ゆうき あきや
4,132