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鬱蒼とした山の中は薄暗くどこか不気味で、顔を覗かせる太い木の根に足元を取られつつ、私はヒサギさんの後ろを走り続けていた。
参道へと続く石段に背を向けるように、私たちは逃げるジャッカロープを追い駆け続ける。
本来であれば右手側の斜面を降れば住宅地、左側の斜面を登れば神社に続いているのだけれど、辺りは次第に紺色の薄暗い色とどこかひんやりとした空気に包まれていった。
おかしい。こんなに走り続けているのに、全然山の端まで辿り着けない。
小さな町の、小さな神社の建つ、小さな山のはずなのに、行けども行けども終わりはなく、見知らぬ風景が広がっていく。
「ま、待って、ヒサギさん! なんだかおかしい! おかしいよ!」
私はたまらず数メートル先を走るヒサギさんに声を大にして叫んだけれど、彼女はまったく聞こえていないのか、必死にジャッカロープを追い続けていた。
そろそろ体力の限界にも近づいてきて、息も荒くなってきた。
走っているうちに草葉で切ってしまったのだろう、すねの辺りにはいくつもの小さな切り傷ができていてヒリヒリ痛む。
買ったばかりで白かった靴も、ズボンの裾も、土や泥に汚れてすっかり黒くなっていた。
もう! なんでこんなことになっちゃったの?
私は心の底から後悔していた。
ヒサギさんに関わりさえしなければ、こんなことにはならなかったのに!
今からでも引き返した方が良い。どう考えたって今の状況は何かがおかしい。
現実的に考えれば、山の周囲に沿って走り続けているだけのはずなのに、辺りは見たこともない景色に覆われている。
うすぼんやりと光っているシダの葉。ざわめく木々の枝葉はまるで大きな人の手だ。
ふつふつと明滅する蛍?が宙を飛んでいるのかと思えば、羽の生えた小さな人型の――これは、妖精?
絶対にヤバいって! これ、ヒサギさんが言ってた“あっちの世界”なんじゃないの?
『昔からあっち側に調査に行く魔法使いは何人もいたみたいなんだけど――誰ひとり、戻ってくることはなかったんだって』
その言葉を思い出して、私は背筋が凍るような思いになった。
私たち、帰れるんだよね……?
ここはまだ入り口にしか過ぎなくて、ここから引き返せばまだ帰ることができるんだよね……?
「ヒサギさん! ヒサギさん! ヒサギさん! 待って! お願いだから待って!」
何度も何度も大きな声で叫んで、ようやくヒサギさんは走る速度をゆるめて、こちらに振り向く。
「もう! なに、ミハルちゃん! ジャッカロープが逃げちゃうじゃん!」
「ま、周りを見て! おかしいって! ここどこなのっ!」
「どこって、ここは――」
その途端、ヒサギさんはぱたりと走るのをやめてしまった。
走り去っていくジャッカロープからも視線を逸らし、辺りを見回して。
「あ、あぁっ――」
ヒサギさんもようやくそのことに気が付いたのだろう、目を大きく見張り、立ち尽くす。
「ここって、もしかして――あっちの世界なんじゃないの?」
私が訊ねると、ヒサギさんはあと退るようにふらりと身体を揺らし、
「でも、だって、私――」
と明らかにうろたえ始める。
そんなヒサギさんの腕を私は掴んで、
「ねえ、戻ろう! 今だったら、まだ間に合うかもしれない! 帰れるかもしれない!」
「で、でも、だって、ジャッカロープが……!」
ヒサギさんは、それでもなおジャッカロープの去っていった薄暗い闇の方に視線を向ける。
私はたまらずヒサギさんの腕を強く引っ張って、
「そんなのどうでもいいでしょ! 帰れなくなっちゃうかもしれないんだよっ?」
「――っ!」
ヒサギさんは大きく息を飲んで、私の顔をじっと見つめた。
それから「うん、うん」と小刻みに頷いて、
「そ、そうだね。わかった。帰ろう――」
「行くよ! ヒサギさん!」
「う、うん!」
私はヒサギさんの腕を強く掴んだまま、もと来た道を、走り出した。
どこまでも続くように見える、薄暗い、森の中を――