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   9

 そこは見知らぬ森の中だった。

 木々の合間に見える空はすっかり闇の帳に覆われていたけれど、にも関わらず森の中はうっすらと明るく、見たこともないような植物が至る所から枝葉や蔦を伸ばし、虫|(或いは妖精?)がポツポツと明滅しながら飛び回っていた。

 私とヒサギさんは、全速力でそんな森の中を走り続けていた。

 時折目の前を見たこともない猿のような丸い動物が横切って行ったり、どこからともなくギャーギャーと鳥の鳴き声が聞こえてきて身を震わすような思いをした。

 来た道を戻っているつもりだったけれど、これだけ鬱蒼とした森の中では、方向なんてまるでわからなかった。

 自分たちが本当にもと来た道を戻っているのか、今はもうまったく自信がない。

「どうしよう、どうしよう……!」

 思わずそんな声を繰り返す。

「ご、ごめん……ごめんなさい、私……!」

 私の後ろでは、ヒサギさんが泣きそうな声を漏らしていた。

 それは、これまで見てきたヒサギさんからは、想像もつかないような小さな声で。

 けど、謝られたところで現状が変わるわけじゃない。

 今、謝られたって、私も困る。

 今はただ、ここから抜け出すのが最優先だ。

 謝ってもらうのは、その後でいい。

 私はそのヒサギさんの謝罪の言葉に返答することなく、ただ黙ってヒサギさんの腕を掴んで走り続けた。

 どこまでも、どこまでも森は続いていた。

 けれど、どこにも道なんて存在しなかった。

 私たちは腕や足に切り傷をいくつも作りながら、それでもなお走り続けることしかできなかった。

 もうすっかり息は切れていたし、走ることにも疲れ果ててきたころだった。

 ――ザザザッ

 周囲から、何かが並走しているような、葉っぱのこすれるような音が聞こえてきたのだ。

 それはひとつやふたつなんかじゃなくて、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ――だんだんと数を増やしていった。

「な、なにっ、この音! なにかいる!」

 辺りを見回しながら叫んだ時、

『グルルルルルルゥウッ!』

 目の前に、突然黒い物体が飛び出してきたのである。

 思わず走る足を止めると、

「――あっ!」

 後ろからヒサギさんが背中に突っ込んできて、わたしたちは地面に前のめりに倒れてしまった。

「いったたた……、大丈夫? ヒサギさん」

「……う、うん」

 ヒサギさんはゆっくりと上体を起こして、それから辺りを見回して、顔面蒼白になる。

 その姿に、私も同じく辺りを見回した。

「――っ!」

 息を飲む。

 私たちの周りを、沢山の真っ黒い犬が取り囲んでいた。

 ……いや、犬じゃない。

 こんな首の長い犬なんて、私は今まで一度たりとも見たことはない。

 その犬のような四足歩行の真っ黒い獣たちは、異様に長い首を伸ばしたり縮めたりしながら、私やヒサギさんの様子を、遠巻きに窺っている。唸り声を漏らす大きな顎には大きな牙がずらりと並び、今にも襲い掛かってきそうな恐ろしい真っ黒な瞳をこちらに向けていた。

「――バンダースナッチ」

 ヒサギさんが、大きく目を見張りながら、小さくそう口にする。

「ば、バンダースナッチ?」

 うん、とヒサギさんは頷いて、

いぶり狂えるバンダースナッチには、寄るべからず……」

 私の眼を、怯える表情で見つめてくる。

 そんな表情で私を見つめられたって、私だって――

 私たちを取り囲み、じりじりと近づいてくるバンダースナッチたちは、やがてケラケラと笑うような声を喉の奥から発して、大きく口を開いて――一気に私たちに飛び掛かった。

 私は思わず身を守ろうと両腕で顔を隠して、けれどバンダースナッチが噛みついてくるような気配はまるでなかった。

「……?」

 恐る恐る腕の間から覗いてみれば。

「ひ、ヒサギさん!」

 ヒサギさんが、あの風の魔法を用いて、たくさんのバンダースナッチを宙に浮かせていたのである。

 バンダースナッチたちは身を捩り、首を伸ばし、或いは唸り声を漏らしたり大きく吠えたりしながら、ヒサギさんのことを睨みつけていた。

「ミハルちゃん、逃げて!」

「え、あ、あぁぅ――」

「はやくっ!」

 ヒサギさんの鬼気迫る表情に、私は震える足に精一杯の力を込めて、駆け出した。

 何かを考えるほどの余裕なんてなかった。

 ただただ走り続けることしかできなかった。

 ヒサギさんをその場に残して、私はとにかく走り続けた。

 バンダースナッチたちの鳴き声が、だんだん後ろに離れていく。

 辺りには、再び静寂が広がっていった。

 聞こえてくるのは、ただ私の走る音だけ。

 その足が、土を踏み、根っこを蹴り飛ばし、草葉をかき分ける音だけだった。

 いったい、どれほど走り続けていたのだろうか。

 だんだんと周囲が明るくなっていくのが私にはわかった。

 地面が斜めに歪んでいき、空にはオレンジ色の光が満たされていった。

 左手側の斜面の下には、よく見知った住宅地。

 右手側の斜面に目を向ければ、そこには神社の参道に向かう石段が見える。

 それでも私は走り続けた。必死になって走り続けた。

 やがて私は、転がるようにして山を抜け出し、砂利と歩道の間でバランスを崩して前のめりに倒れた。

 鼻が痛かった。おでこが痛かった。膝が擦れて痛かった。

 私はその痛みに耐えながら、何とか身体を起こして、山の方へ振り向いた。

 そこには山に入る前と同じような光景が広がっていて、ヒサギさんが持ってきたマンドラゴラの鉢植えが、ジャッカロープに葉や花を食べられた状態で転がっていた。

 太陽が傾いて辺りをオレンジ色に照らし出していることを除けば、普段と何も変わらない世界がそこにはあった。

「――帰って、来られた」

 私は安堵のため息を漏らして、まだバクバクと音を鳴らしている胸に手を当てた。

 良かった。本当に良かった――

 けれど、そこで私はハッと我に返る。

「……ヒサギさん」

 ヒサギさんは、どうなったの?

 私を逃がしてくれてから、ヒサギさんはどうしたんだろう。

 あのバンダースナッチの群れを――ヒサギさんは。

「ひ、ヒサギさん!」

 私は立ち上がり、山の中に向かって叫んだ。

 けれど、返事はない。

 そこから聞こえてきたのは、風に吹かれてざわめく、木々の葉の音だけだった。

「ヒサギさん! ヒサギさん! ヒサギさん!」

 私は、繰り返しその名を呼んだ。

 返事は、なかった。

白い魔女と小さな魔女

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