コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
鏡花をタクシーで送り出してホッと一息ついて。
そのまま部屋に戻るのが何となく照れ臭かった実篤は、当初一人で行こうと思っていた最上階のバーにくるみを連れて来た。
左隣のくるみがあんまりにも綺麗で直視出来なくて。
街並みを見下ろせる、窓際にずらりと並んだスツールに腰掛けて、見るとはなしに窓外の夜景に目を向ける。
二人して部屋が取ってあるのをいいことに、しっかりアルコールを嗜んでいた。
(ここ、ノンアル……じゃのぉーて、えっと何ちゅうんじゃったっけ。まあソレも結構充実しちょったんじゃな)
このホテルに入ってすぐに調べた〝モクテル〟という言葉は、既にすっかり頭の外に追い出されている実篤だ。
メニュー表の中、写真付きで色鮮やかなカクテルがズラリと並んだ中、全体の約五分の一くらいのスペースを割いて〝ノンアルコール〟と表記された一群が目についた。
オシャレに〝モクテル〟と記されていなかったから、結局覚えたて(?)の言葉を思い出せなかった実篤だったけれど、それよりもメニュー表にカクテルの説明とともに「カクテル言葉」が書かれているのが面白いなと思って。
てっきり「うち、今日はお酒はやめておきます」と言うかと思っていたくるみが、そんなカクテル一覧の中から、しっかりちゃっかりアルコール入りの普通のカクテル――カルーアミルクを頼んで、まるで不安を追い払うみたいにグイーッと一気に煽ってしまったから。
「くるみちゃん、そんな飲み方して大丈夫なんっ⁉︎」
実篤は思わず聞かずにはいられない。
カルーアミルクはアルコール度数五パーセント程度と、ビールとそんなには変わらないし、言うほど強いお酒ではない。
でも、過去にビールで小悪魔度に拍車をかけたくるみに、初エッチの主導権を握られかけた実篤としては、非常に不安なのだ。
今くるみが飲み干したカルーアミルクのカクテル言葉が「臆病・いたずら好き」だというのも、より一層実篤をソワつかせた。
何となく天然無自覚小悪魔なくるみにピッタリだと思いながら、自分は「いつもあなたと」というカクテル言葉を持つ、ウィスキーベースのマミーテイラーを飲んでいる。
***
「実篤さん。鬼塚くんに言うてくれた言葉、どこまで本気なん?」
二人ともほろ酔い気分で手を繋いで部屋まで戻って来て。
背後でオートロックのドアが閉じると同時、くるみは我慢出来ずに実篤にそう問い掛けていた。
本当は言われた直後からすっごくすっごく気になっていたけれど、なかなか口に出せるタイミングに見舞われなくて。
時間が経てば経つほど今更な感じがして言い出しにくくなってしまった。
(実篤さん、うちのことどう思うちょるんじゃろ。好いてくれちょるんは分かるんじゃけど……ホンマに結婚も視野に入れてくれちょる? それともあの場を切り抜けるための嘘も方便的なもんじゃった……?)
そんな事を悶々と考えるくるみに、実篤は彼女が何を言っているのか分からないみたいに「ん?」と間の抜けた声を返してくる。
「……ほら、鬼塚くんから救うてくれた時に実篤さん、言うてくれたじゃ? うちのこと……その、……」
そこでゴニョゴニョと言葉を濁したら、実篤がますます戸惑ったようにキョトンとするから。
基本的にいつも何でもズケズケと言えてしまえるくるみだったけれど、さすがに「あのプロポーズみたいな言葉は本気ですか?」と聞くのは恥ずかしくなってしまう。
それでだろうか。珍しく言葉尻がモニョリと揺れた。
だけどくるみはずっとずっとあの時の実篤の本心が聞いてみたくて堪らなかったから。
鏡花の無事を確認するまではと抑えていた気持ちが、彼女を無事に送り出した途端、歯止めがきかなくなってしまったのだ。
こんなこと、さすがに素面で聞ける気がしなかったから、バーに連れて行ってくれるという実篤の言葉に甘えてわざとアルコールの力を借りたのだけれど。
不思議と今日はいつもみたいに酔えなくて、イマイチ歯切れ良く切り込めない。
「――俺は……くるみちゃんさえイヤじゃなかったらずーっとずーっと一緒に居れたら幸せじゃのーって思うちょるよ?」
ややしてポツンと。
実篤がそう言って。
その言葉に、くるみはパァッと瞳を輝かせて彼の顔を見上げた。
なのに、そんなくるみに実篤は慌てたように言葉を付け足すのだ。
「じゃけどっ。あん時の婚約者云々はあくまでもあの場を切り抜けるために言うただけじゃけ。その……あんまし真に受けんでもらえると助かります……」
と。
実篤のその言葉に、くるみは一瞬でしゅんとしてしまう。
(あれはやっぱりその場しのぎの方便じゃったんじゃ……)
別に「嫌い」だと告げられた訳でも何でもないのに、くるみは気持ちがどんよりと沈んでいくのを感じずにはいられなくて。
「くるみちゃん?」
実篤に恐る恐る呼びかけられて、慌てて顔を上げたらポロリと涙がこぼれ落ちた。
「あ、あのっ、これは……」
恋人になれてたかだか数ヶ月。
それで結婚を意識して欲しいと思う方が烏滸がましい話ではないか。
ましてや自分は実篤より七つも年下の二十四歳。
もしかしたら実篤にとって、くるみは結婚対象としては幼く見えているのかも知れない。
だけど――。
両親を失って、天涯孤独な身となってしまったくるみにとって、実篤が告げた「婚約者」の言葉はとても大きな意味を持っていたのだ。
(実篤さんと結婚出来たら、うちにもまた家族が出来る?)
そう思ってしまったから。
ちょっと前にお食事にお呼ばれした時、栗野家はとても賑やかで楽しかった。
自分もその中の一員になれたらどんなにか幸せだろう。
そんなことを考えてしまった矢先だったから。
「目に、ゴミが入ってしもうただけ……じゃけぇ」
言ったら実篤にギュッと抱き締められた。
「ねぇくるみ。お願いじゃけ俺の話、最後まで聞いて? 俺、今はまだくるみちゃんにプロポーズとか全然出来んけど……それにはちゃんと理由があってね……」
「えっ、ええ、んですっ! あのっ、うち、ちゃんと……分かっちょりますけぇ……!」
くるみは実篤の言葉を聞くのが怖くて、彼の言葉を慌てて遮ると、実篤の首に手を伸ばした。
そうしてそのままグイッと彼を引き寄せて、自身も背伸びをして辿々しいキスをする。
「……っ! くるみ、ちゃんっ⁉︎」
唇を離すと同時、実篤が驚いたように目を白黒させてくるみの名前を呼んできたけれど、お構いなし。
「実篤さんも分かっちょったでしょう? うち、さっき実篤さんが来てくれんかったらきっと……鬼塚くんにいいように弄ばれちょりました。付き合うちょった時、彼に迫られたん、突き飛ばして逃げたことがあるけぇ……そのリベンジがしたかったらしいです」
理由はどうあれ、あの時くるみは実篤を裏切ろうとしていたのだ。
きっと実篤だってそれが分からなかったわけじゃないと思う。
そんな自分が、その日のうちに実篤から「本当の婚約者」として認められたいだなんて、虫が良すぎる話だったのだ。
「それでも信じて? うちが自分からキスしたい思うんも、抱いて欲しいって思うんも……実篤さんだけなん……」
***
くるみの告白に実篤は苦しくなるぐらい胸をぎゅっと締め付けられた。
無論、いくら実篤だって、いま彼女が告げたことに気付いていなかったわけじゃない。
だからこそ、鬼塚に抱き寄せられるような格好でくるみがエレベーターに乗り込んできたとき、思わず「婚約者」だと名乗ってあの男を牽制したのだ。
くるみは小悪魔だけど、身持ちの緩い女の子ではない。
そもそもあの男がいるからと、同窓会に行くのを渋っていたのを実篤は知っている。
その鬼塚と再会したからと言って、焼けぼっくいに火が付くはずなんてないのだ。
今こうして実篤のことを引き寄せて慣れない所作で口付けをくれたくるみを見ても、彼女がそういうことに不慣れなことは一目瞭然で。
そんなくるみが、現状実篤という彼氏がいる身の上で、自らの意思、一度は拒否したという元カレとどうこうなりたいと望むはずがない。
「そんなん、言われんでも分かっちょる」
震えながら自分にしがみついてくるくるみをじっと見つめ返すと、実篤は腕の中の小さな身体をギュッと抱き返した。
「俺がそうしたいって思うんも、くるみちゃんだけじゃけ。さっきの言葉の後で信じてっちゅうても難しいかも知れんけど……ホンマのことじゃけぇ、俺のこと信用して欲しい」
言いながら、矢張りどうしても先程の言葉の続きをくるみに言わねばと覚悟した実篤だ。
「それでね、さっきの話の続きじゃけど――」
実篤の言葉に、くるみがビクッと身体を震わせて、「今すぐ聞かんといけん? 後じゃダメ?」と問い掛けてくる。
(この期に及んでくるみちゃん、何をそんなに不安がっちょるんじゃろ?)