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「12人!」
ツトムは思わず大声をあげた。
「くらいだと思うよ。で、そのうちビッタを公開してるのは……ええっと、7、8人てとこかな」
百瀬が指を折って数えている。
「半分以上にもなるのか」
自分とおなじ能力者が12人もいる。
ツトムの心は、いつか会うであろうおなじ境遇の仲間たちを想像して高く弾んだ。
「あかねはビッタを公開してるの?」
「わたしのビッタ知りたい?」
「うん。とても興味がある」
「それも緑茶ハイぜんぶ飲んでからね」
ツトムは一向に減らない緑茶ハイのジョッキを、エサを待つ飼い犬のように眺めた。
ジョッキから百瀬の体内へと移ったのは、まだ3割にも満たない。
「ツトムくんはビッタを公開するつもり?」
百瀬は「ぷはーっ」と声をあげたあと言った。
「もしシェアハウスに住んだとしても、たぶん言わないと思う」
大垣と百瀬に自分が能力者であることを告げただけでも、激しい倦怠感が伴った。
そのうえ能力の内容まで公開するなど、現段階では想像におよばない。
となりで酒を酌み交わすサラリーマン3人組は上司の悪口に夢中で、聞き慣れない用語にはまるで無関心だった。
「さて、そろそろわたしのビッタ教えてあげよっかな」
百瀬はそう言って、残り半分の緑茶ハイを一気に飲んでいく。
みるみるうちに中身は消え、ジョッキはすぐに空になった。
「……ふつうに飲めるのか」
「生理前で体調わるいから、つまんない駆け引きはもうやめる」
ツトムは百瀬のストレートな表現に驚き、目を逸らし無為に七味を眺めた。
「南海ツトムさん。『ツトむる』って言葉、聞いたことあるでしょ?」
「ああ、関わりたくない言葉だ」
ツトムはその言葉の意味も、具体的な用法もわかっていた。
「なんだ、そのツトむるってのは?」
大垣が興味なさそうに言った。
「数年前に一部の人たちのあいだで流行ったネットスラングです。ネットスラングってのは、インターネット上で使われる俗語のことです。
ツトむるってのは、南海ツトムさんのツトムからとった言葉で、要するに気を失うほどの大きな感情って意味です」
「ワインを飲むとツトむるぜ!」
大垣が視線を泳がせながら言った。
「オーナー……急におじいちゃんみたい」
「けっ」
気を悪くした大垣は、そっぽをむいてしいたけ串を口に運んだ。
「それで? そのツトむるって言葉がどうしたの」
ツトムは苛立ちを隠せないまま、吐き捨てるように言った。
「わたしがなんで南海ツトムさんを知ってるかっていうと、そのツトむるって言葉に出会ったからなんだ。わたし、毎月生理痛がひどくて悩んでたじゃない? 最近はすこしだけマシになったんだけど、昔はほんとにひどかったの。
高校を卒業してフリーターになったころかな。でね、あまりに痛みがひどいからいつも鎮痛剤を飲んでたんだけど、もうそれでも我慢できなくて、ずっとネットを調べてて、そしたら見つけたの」
大垣とツトムは互いに目をしばたたかせてからジョッキを合わせた。
百瀬は怪訝そうな顔を浮かべている。
「アホめ、要点を削ぎ落としすぎだ。痛みがひどくてネットを調べて、どうやって、ツトむるにつながるんだ」
「あ、そういうことか。えっとね。わたしの生理痛って、ほんとに気絶しそうなくらい痛いからいろいろ調べたのね。『生理痛 気絶レベル 痛い』とか、『生理痛 失神級』とか、『生理痛 気を失いかけ』とかってね。
そしたら検索結果の一覧に、しょっちゅう『ツトむる』って言葉がついて回ったの。最初はもちろん気にしなかったけど、あまりによく見かけるもんからだんだん気になってきて、そうなるとけっきょくツトむるの紹介ページに入るしかなくなるわけじゃん。
そこで南海ツトムっていう野球選手にたどり着いて、しかもその南海ツトムがけっこうかっこよかったから、そうなるともうプロフィールチェックしたり、試合で失神する動画とかもチェックするしかなくなるでしょ? だからわたしツトムくんを知ってるんだよ」
「そういうことか」
ツトムは不快感を抑えて、一定の理解を示した。
「ちなみに、ツトむるってのは一部のあいだで流行っただけで、いまとなってはもう死語です……。あぁ……ツトムくん、なんかごめんなさい」
百瀬は目を逸らしながら言った。
「最初、画像を見せながらヘラヘラ笑ってたから、すこしムッとしたんだよね」
「ほんとにごめんなさい」
「いや、謝るようなことじゃないよ。俺が勝手に誤解してただけだし。現に俺の名前を検索したら、やっぱり上位は失神画像ばかりだからね」
ツトムはテーブルに届いた百瀬のジョッキに、自分のジョッキを軽く当てた。
「でも画像で見るより、やっぱり実物のほうがだんぜんかっこいいね」
「ありがとう……。ただそれよりも、そろそろあかねのビッタについて聞かせてくれないか。気になりすぎて日本酒にほとんど味がしないんだ」
「うん、いいよー。でもわたしのビッタは目に見えるようなわかりやすいものじゃないから、直接体験するしかないよ」
「ぜひ体験させてほしい」
ツトムは即答し、凛とした姿勢でかまえた。