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昼休みの終わりかけ。
総務フロアの隅にある休憩室は、午後の会議を前にした人の気配だけが残っている。
長机の上に、段ボール箱が二つ置かれていた。
片方にはマジックで「廃棄候補」と書かれている。
桐島は立ったまま、箱の中身を一つずつ確認していた。
欠けたマグカップ、電池の切れた置き時計、ロゴの古いクリアファイル。
日高は椅子に腰掛け、腕を組んだまま、それを見ている。
桐島
「この時計、要らないな」
日高
「止まってるだけですよ。電池替えれば動くかもしれない」
桐島
「“かもしれない”で三年ここにある」
日高
「三年、ですか」
桐島
「使われてない時間の方が、もう本体より長い」
日高
「でも、壊れてないですよね」
桐島
「壊れてないと、要るは別」
日高は少しだけ口を開き、また閉じた。
その様子を、隅の椅子に座っていた佐伯がちらりと見る。
佐伯
「あの……質問してもいいですか」
桐島
「どうぞ」
佐伯
「“要らない”って、決める基準って何ですか」
桐島は時計を箱に戻し、段ボールの縁を指で叩いた。
桐島
「使ってない。
使う予定がない。
使わなくても困らない」
佐伯
「……すごく、明確ですね」
日高
「でも、冷たくないですか」
桐島
「冷たい?」
日高
「物にじゃなくて、人にです」
桐島
「人?」
日高
「だって、それ、人が使ってたものじゃないですか。
誰かの机にあった。誰かの時間が乗ってる」
桐島
「時間が乗ってることと、今要るかは別だろ」
日高
「でも……」
桐島
「日高は、要る派だよな」
日高
「……はい。たぶん」
桐島
「要る派は、価値に温度を求める」
日高
「温度?」
桐島
「思い出とか、気持ちとか。
“捨てたら悪い気がする”とか」
日高
「それ、悪いことですか」
桐島
「否定はしない」
日高
「……肯定もしないんですね」
桐島
「事実として見るだけだ」
佐伯
「事実として?」
桐島
「人は要ると思って生きる。
人は欲しいと思って動く。
それ自体は、そういう現象だ」
日高
「現象、って……」
桐島
「雨が降るのと同じ」
日高
「同じじゃないですよ」
桐島
「同じだよ。
止められないし、責めるものでもない」
一瞬、休憩室に空調の音だけが残る。
日高
「じゃあ、“要る”って言ってる人を、どう思ってるんですか」
桐島
「生きてるな、って思う」
日高
「それだけ?」
桐島
「それ以上でも、それ以下でもない」
日高は、どこか拒むように視線を逸らした。
日高
「それ、やっぱり冷たいです」
桐島
「そう見えるのは知ってる」
日高
「じゃあ、どうしてそんな考え方になるんですか」
桐島
「……」
桐島は一度、段ボール箱の中を見下ろす。
桐島
「要らないって言えるとき、
だいたいのものは、もう足りてる」
佐伯
「足りてる……」
桐島
「欲しいって言い続けてる間は、整理できない」
日高
「欲しいって、悪いことじゃないですよね」
桐島
「悪くない。
ただ、トラブルの源泉になりやすい」
日高
「それは……」
桐島
「欲しい、認めてほしい、必要とされたい。
全部、同じ線上にある」
佐伯
「“要らない”は?」
桐島
「線の外だ」
日高
「外?」
桐島
「だから強い」
日高は、少し考えてから、壊れた時計を手に取る。
日高
「じゃあ、これも……要らないですか」
桐島
「君にとっては?」
日高
「……正直、要らない」
桐島
「なら、いい」
日高
「でも、誰かにとっては要るかもしれない」
桐島
「その誰かが現れたら、渡せばいい」
日高
「現れなかったら?」
桐島
「それが事実だ」
日高は時計を見つめたまま、動かない。
佐伯
「“要らない”って、言われる側は、どうなるんですか」
桐島
「傷つく人もいる」
佐伯
「それでも?」
桐島
「それでも、事実は変わらない」
日高
「……私は、言えないです」
桐島
「無理に言わなくていい」
日高
「桐島さんは、平気なんですか」
桐島
「平気じゃないこともある」
日高
「でも言う」
桐島
「言う」
佐伯
「どうしてですか」
桐島
「言わない方が、残酷なことが多い」
チャイムが鳴る。
午後の業務開始を告げる音。
桐島は箱の蓋を閉め、「廃棄候補」と書かれた文字を見直す。
桐島
「要らないって言葉は、使う側の責任だ」
日高
「……強い言葉ですね」
桐島
「強いから、乱用しない」
三人はそれぞれ立ち上がる。
誰も、時計を箱から出さない。
休憩室に残されたのは、止まった針と、静かな事実だけだった。
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