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チャイムが鳴る直前。教室の窓際の席に、遥は無言で腰を下ろしていた。
髪は乾いているが、どこか湿気を残していた。
目の下には、薄く影。
眠れていないことは、一目でわかる。
──けれど、誰もそれを指摘しない。
してはいけないと、知っているからだ。
静かだった。
昨日の蓮司の言葉も、日下部の沈黙も、夢の中の叫びも、
すべて遥の中で混ざりあい、重く淀んでいた。
(……夢のくせに、残りすぎだろ)
顔を伏せ、指先で机の端をなぞる。
視界の隅で、日下部の姿が見えた。
いつもと同じように席につき、
教科書を出して、何気ない会話に相づちを打っている。
……いつもと同じ。
それが、遥には少しだけ遠く見えた。
(“あんなこと”思ってるくせに──)
(俺のほうが、よっぽど気持ち悪いのに)
(なのに、まだ……近づきたいって思ってる)
ぞっとした。
夢のなかで叫んだ欲望が、現実にも輪郭を持って浮かびはじめている。
──「抱かれたい」
──「壊したい」
──「終わらせたい」
そんなもの、誰に知られていいはずがない。
日下部にだけは、絶対に。
「……遥」
隣の席から、小さな声。
顔を上げると、そこには日下部がいた。
その目は、昨日よりも、さらに近くにあった。
けれど、遥は一歩も動けなかった。
「……なに」
語気が強くなったのは、自分でもわかっていた。
でも、止められなかった。
「……その、なんか……ごめん。俺、またなんかした?」
「してねぇよ」
即答だった。
自分でも驚くほどの速さで。
「なんか……顔、赤くて。目も腫れてたから……」
「寝不足だよ。べつに、おまえのせいじゃない」
その言葉は、日下部を傷つけるつもりだったわけじゃなかった。
でも、遥の声には、とげがあった。
日下部は少し黙ったあと、小さく言った。
「……じゃあ、俺のせいでもいい」
遥は一瞬、息が止まった。
(──は?)
「俺が勝手に、おまえのこと気にして、勝手に……近づこうとしてるだけだから」
「迷惑だったら、ちゃんと……そう言えよ」
その声は、不器用なまま、真っ直ぐで。
だからこそ──遥の胸の奥が、また音を立てて、ひび割れた。
(なんで、おまえが……そんな顔すんだよ)
(俺の方が、よっぽど汚いのに)
「……迷惑とかじゃ、ない」
遥の声はかすれていた。
でも、それでも、なんとか続けた。
「ただ……“俺のこと”、見んのやめてほしいだけ」
「見たら──たぶん、……おまえも壊れる」
ほんとうは、
壊してしまいたいほど、触れたくて仕方ない。
でも、それを言えば、すべてが終わる。
遥は、ゆっくりと顔を伏せた。
机の木目が、滲んで揺れていた。
日下部は、それ以上、何も言わなかった。
けれど、その沈黙の中に、遥は確かに感じていた。
「ここにいる」という気配だけは、変わらずにあった。
──それが、いちばん怖かった。
(……このままじゃ、“言いそうになる”)
(“望んでる”ってことまで、口にしそうになる)
(そんなこと……言えるわけ、ねぇだろ)
チャイムが鳴る。
誰かが窓を閉める音。
先生の足音。教室に満ちるざわめき。
なのに、遥の中では、まだ“夢の続き”が、どこかで燃え続けていた。