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「ちょっと話してきます」という友人に、なかば腰砕けになりながらも追いすがる。
この状況で、独りになるのはさすがに心細い。
泣きそうな顔をしていたと思う。
そんな私の様子を確認し、呆れ調子で苦笑いをこぼした彼女は、私の身柄を半分ほど抱えるようにして、玄関を目指した。
「………………」
外に出ると、やはりあの男性がいた。
友人の肩越しに、恐る恐る覗き見たところによると、どうやら直垂と目される武家装束に身を包み、今は恭しく頭を垂れている。
身形も異なっているし、顔は確認しづらいが、映像で見た男性に間違いないと直感した。
「こんな遅くに何用ですか?」
友人が外向けの声色で訊ねた。
どことなく、冷淡なものを感じさせる語り口だ。
「はっ! 御目通り忝なく!」
これに対し、男性は全身から声を絞るようにして応じた。
まるで、時代劇の侍を見るような。
「ちょっと……! 近所迷惑なんで」
「は……っ、これは御無礼を!!」
「いや、だからね………」
慇懃無礼。
そんな言葉がふと脳裏を過ったが、恐らくこの男性には当てはまらない。
「某は、“御尾近侍”琴親と申し候えば───」
ひたすら懇切丁寧な、そしてどこまでも直向きな姿勢は、その裏に尊大な顔が潜んでいる可能性すら、微塵も感じさせない。
「というか、まずはお手を上げてください」
「滅相も御座りませぬ」
「いやいや………」
腰を屈めて持ちかける友人に対し、男性は“勿体無《もったいの》う御座ります”の一点張りで徹す。
決して卑屈という訳ではない。
ただ、彼は純粋に上手なのだ。
己を低く、他者を高く持ち上げて見せる手腕に、根っから長けているような印象だった。
「琴親、よい」
「御屋形さま………」
そうこうする内、すぐ側の暗がりから声が掛かった。
煌びやかな錦を装った童女が、いつの間にかそこに居た。
幼いながら、恐ろしいほどの美貌の持ち主だ。
玉藻の前の伝説が、脳裏にまざまざと蘇るのを感じた。
「そちらは?」
「はい。 金毛九尾が後裔、名は結桜と」
「九尾狐の、ご子孫ですか………」
「夜分に御無礼とは存じますが、本日は御貴殿の御父上、天國魂の大神さまに達てのお願いが御座いまして、こうして参上した次第です」
そのように事情を述べた彼女は、近侍の男性とは対照的に、堂々とした佇まいを崩さず、真っすぐにこちらを見据えていた。
敵意、では無いと思う。
何やら並々ならぬものが、悲壮な瞳の奥で燃えているように見えた。
「お願い……、願い事をしたいと? それはどのような?」
「………………」
童女は応じず、代わりに装いの片袖をゆったりと持ち上げてみせた。
「うわ………?」
思わず声が出た。
袖から無数に垂れ下がった糸が、蛭のようにうねり、蛇のようにのたくっている。
よく見れば、これが彼女の全身に絡みつくように及んでおり、まるで装い自体がヌラヌラと蠢いているようだった。
「………呪いですか?」
「然り」
眉を顰めて問う友人に、童女は平然とした様子で応えた。
さすがに九尾狐の末裔を名乗るだけあって、肝の据わり方が違う。
最初はそう思った。
「恐らくですけど、それは貴女の御先祖さまが受けた呪いですよね?」
「然り」
「……我らが御祖さまは、人間が説話として語るような残虐非道をなした事など、ただの一度としてありませなんだ」
詳述を買って出た男性は、静かな口振りで、しかし言葉の端々に憤りを滲ませて、淡々と語をついだ。
「そればかりか、人心に無用の恐怖を与えぬよう、深山に隠逸………。 慎ましやかな暮らしに徹しておりました」
もしそれが本当なら、今日語られる九尾譚とは、大きくかけ離れた実態だ。
いや、どちらが真実か、考えるまでもない。
得てして、人間の好奇心はあらぬ妄想と結びつく。
急に自分が恥ずかしく思えた。
「だと申すに! 噂の流布は止まることを知らず………ッ!」
人目を忍ばず、袖口を使って目元を乱暴に拭った男性は、次いでギリギリと歯牙を軋ませた。
いつしか、童女の頬が小さく震えていた。
「九尾を恐れる人々の心が……っ、恐怖心が! 御祖さまを雁字搦めに縛りつけたのです!」
それは、もはや咆哮に等しいものだった。
苦しい胸の内を、絶叫に乗せてぶち撒ける。
「琴親……」と、肩で息をする男性を、童女がやんわりと窘めた。
「ご覧の通り、やはり此方らは妖狐のようで……」
そう唱えた彼女の表情は、場面にそぐわず、一見して安らかなものに映った。
諦めの色と自嘲を織り交ぜた、せめてもの朗色。
この広い世の中に、これほど悲しい笑顔があるものかと思った。
震える頬を、涙がひと筋伝ってゆくのが見えた。