「え?! 誤送信??」
晃は会社のデスクに座って打ち込みしていたノートパソコンのふたを閉じた。
「はい。すいません、私、何を見ていたか、取引先の社長の名前の選択を間違えて、小笠原社長に送らなければならないのを五十嵐社長に送ってしまいました。そして、五十嵐社長のものを小笠原社長に……。本当に申し訳ありません」
小松果歩は、何度も頭を下げて、課長である晃に謝った。
「ちょ、ちょっと、確認なんだけど、その小笠原社長ってS会社で合ってる? メールの内容って日程のお伺い
文章だよね? ってことは日付間違えて送信したってことかな?」
「そ、そんな感じになります。どうしたらいいでしょうか……」
がっくりとうなだれる。
(マジか。完全にメール送信相手間違えるってあるかもしれないけど、マズイ人に送ってくれたなぁ。五十嵐社長は穏やかで優しい方だったからすぐ許してくれそうだけど、小笠原社長は態度でかいし怒らせたら手に負えない人だった気がするけども……)
体を椅子の背もたれに預けて、手で顔を覆った。
「あー……どうっすかなぁ」
「課長、謝罪メール送った方がいいですよね。私、今作ってみますから」
「ちょっと待て、小松。そしたら、五十嵐社長宛の文面考えてくれないかな? 小笠原社長は、俺、直接会社に行ってくるわ。そうだなぁ、西條!!」
「はい。何すか?」
近くのデスクに座っていた西條に声をかける。
「悪いんだけど、今から取引先の小笠原社長のところ行ってくるから、代わりに俺がやってた作業の続きやっててくれないか。西條の進捗状況教えて」
「えっと、俺は、あと2件こなしたら、終わりっすね」
「了解。それ終わってからでいいや。えっとね、これとこれが……」
「課長、ごめんなさい。何だか仕事増やしてしまって……」
「あ、いいよ。仕方ない。上司の責任でもあるから気にするな。あ、あと、これな。西條、頼むぞ」
自分のデスク周りにあったまとめた書類を西條に渡した。
後輩の指導は苦手だが、仕事のそのものは西條は早くて正確だ。
「うっす。了解しました」
書類を受け取ると、やることが増えた西條は逆にやる気を見せていた。
晃は必要な書類をバックに詰め込んで、行動予定表に「取引先とランチ」と記入した。
「小松、俺、そのまま外で食べてくるからな。もし、俺がいない間にさっきの2つの会社から問い合わせあったら
対応してくれよ」
「あ、はい。わかりました。よろしくお願いします」
「行ってきます」
ネクタイとジャケットを着直して、晃は会社を後にした。
「課長って本当大変な役回りだよな。部下のミス、尻拭いしなきゃないなんて俺、絶対なりたくないな」
西條は隣にいる小松を見ながら鼻の下にシャープペンをはさみ、頭の後ろに両手を乗せた。
「……西條くんは、絶対ミス、しないんだもんね」
「ドラマの見過ぎじゃね? 俺、失敗しないので…じゃねえよ。失敗しないで生きてきたことはないよ。失敗してきたから、今仕事が楽しくなってきたってことだって」
「ねぇ、それ、励ましてんの?」
「別にぃ。コーヒー飲もうっと」
西條は立ち上がって、コーヒーを淹れに行った。
(また、課長に迷惑かけちゃった。ぼんやりメール送信なんてするから。自分、ダメなやつだ)
小松は、課長との接点を作れると思って、ミスが多い時がある。飲み会以来、晃はよそよそしい態度を見せたかと思えば、大丈夫かと体調を時々心配したりする。それは期待していいのかとドキドキしていたら何もない。怒られるだろうと思ってミスを伝えるが、課長は優しい。怒りもしないで、どうやって次の対処をするかを的確に判断してくれる。
パワハラで訴えられることを考えてからなのか。
その些細な優しさが尚更嬉しかった。
「小松ー、電話。ほら、出て。五十嵐社長からだよ」
「あー、はい。今代わる」
「お電話代わりました。大変お世話になっております。担当の小松と申します。この度は、メールの誤送信
大変ご迷惑をおかけしました」
『君があのメールを送ったんだね。びっくりしたよ。五十嵐なのに小笠原って名前なってて1文字も合ってないから逆に笑ってしまったよ。笑いを届けてくれてありがとう。でも、正確な日程ではないんだよね?』
「そう言っていただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。以後、気をつけますね。すいません、日程は正確には
6月28日の午後2時となっております。よろしいでしょうか?」
『うん。そっか。その日なら大丈夫。榊原課長にもよろしく伝えててね。ありがとう、小松さん』
「いえ、お忙しい中、お電話いただきありがとうございました。それでは失礼いたします」
取引先会社の五十嵐は、機嫌よさそうに通話終了ボタンをおした。
「小松さーん。やばいっすよ。次の電話、例のお・が・さ・は・ら社長。めっちゃ、電話口で怒ってる。榊原課長、まだそっちの会社着いてないのかな」
西條は保留ボタンを押して、小松に電話を代わった。小松は緊張のあまり、唾を飲み込んだ。思いっきり怒られるんだろうと思った。
『もしもし?』
「お電話代わりました。メール担当の小松と申します。この度は、メール誤送信大変申し訳ありません」
声が震えてうまく言えなかったが、謝ったが、次の言葉は何かが気になった。
『あなたがメール送ったの? てかさ、女子だと思って許されると思ってないよね? てか、こっちは時間との勝負なわけなんだよね。そういう小さいミス何回もされるなら契約切ってもいいんだよ? 責任者って榊原って人じゃなかった?いないの? てか代わってくれる?』
「す、すいません。ただいま、榊原は外出中です」
『あ、そう……。やる気ないのね。ミスしたら普通、菓子折り持って謝罪が普通じゃないのかなぁ。若い人にはわからないよね、きっと。覚えておいて。あ、噂をすれば何とやらね。あなた、ちゃんと上司の話聞いておきなさいよ』
スマホを通話したまま、晃は小笠原社長の元に到着したようだ。今、話していた菓子折り持って謝りに行ってるようだ。
「小笠原社長、この度は、メール送信ミス大変申し訳ありませんでした。こちら少ないですが、お召し上がりください」
晃は途中買った菓子折りのあんこ入り最中を差し出した。謝罪は菓子折りだという小笠原社長はご不満を感じているようだ。
「あたし、あんこ苦手なのよね。嬉しくない。せっかく来ていただいたけどちょっとね」
「あんこ苦手かどうかなんて知ったこっちゃねぇよ」
「え? 今、あなた何て言ったの? 立場わきまえてる?」
「いえ、ぜんぜん」
「もう、分かったわ。契約は解除させていただくわよ。いい? あなたのとこの課長はろくでもない人よ。覚えておきなさい」
小笠原社長はお怒りのようで、スマホの通話終了ボタンを押した。
「あなた、榊原って言ったわね。もう、ここには出禁よ。もう、顔も見たくないから。絶対来ないで」
小笠原社長はご機嫌ななめのようで後ろに椅子を回転させた。
***
ランチの時間を取ることもせずに会社に戻った晃は、部長、その後に社長に一連の流れを説明した。
「榊原、なんで大手会社の取引の契約を切るんだよ。簡単にはい、終わりですって問題じゃないだろ?」
部長の|齋藤 悟《さいとうさとる》が言う。
「ちょっと、腹が立ってしまって……すいません、私情をはさみました。申し訳ありません」
「君ねぇ。契約って簡単なことじゃないんだよ。俺が行って、再度契約するよう頼むから。出禁とか言われたのなら、
榊原は異動した方いいな。大丈夫、ちょうど福島の支社で今月で定年退職になる人いたからそのポストについてくれない?」
「急ですよね。いいんですか? 俺は気分転換になりますからどこに行っても問題ないですけど」
「いいじゃない? ちょうど君の部下たちも成長してきてて、教えることないだろうし、大丈夫でしょう。来月から異動しちゃうか」
「……はぁ」
晃は複雑な心境のまま、部署に戻った。デスクに荷物を置いてすぐに喫煙所でタバコをふかす。フレーバーの匂いが漂った。
窓の外を見ると空は青く、雲はふわふわと真っ白く浮かんでいた。
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