「何!?」
伸びてきた影は、暗闇の中でもはっきりと分かるぐらい人の形をしていた。小さな子供の影。
『許さない、許さない』
ゆらりゆらりと近付いてくる影に私が怯えていると、遥輝……リースが庇うように私を抱きしめ腰の剣を抜く。
「り、リース」
「動くな、エトワール」
と、少し切羽詰まったような声色で私に告げると、彼は私の前に立った。
私は、彼が私を護ってくれているということにドキドキしながらも、私も戦わなければと思い立ち上がろうとする。しかし、ギュッと抱きしめられて動くことが気でなかった。先ほどの愛情表現の抱きしめではなく、本当に守る為の抱き締めだと私は彼の腕の中で思った。
(でも、さっきクエストクリアって文字が……)
緊急クエストと、リースを助けたらそれでクエストが完了だと思っていた。現に先ほどクエストクリアの文字がウィンドウに書いてあった。だが、そのウィンドウもバグったように消えてしまったのだ。
(まだ何かあるって言うの!? この鬼畜ゲー)
文句はたくさん出てくる。でも、それを言えるような状況でもなければ、相手でもないことは分かっている。私はただ黙っていることしかできなかった。
すると、闇の中から幼い少年の声が聞こえてくる。
それは、恨みつらみの籠った声で、 恨めしい、憎らしいと呪う言葉ばかりを口にしていた。
『どうして? リース・グリューエン皇太子殿下』
と、影の少年はリースの名前を呼ぶ。影は声色にノイズがかかっているようで、少年にも老人にも聞える。また機械音も混じっているようで不気味だった。
私はリースを見上げ、何か関係があるのかと、目で訴える。彼の光の戻ったルビーの瞳は、その影をじっと見つめて苦々しく唇を噛んだ。
『リース・グリューエン皇太子殿下、リース・グリューエン皇太子殿下、貴方はエトワールが欲しかったんじゃないの?』
「黙れ、もう貴様の誘惑には惑わされないぞ」
そう言って、リースは剣を構え直す。
彼がそこまで強い口調で言うものだから、私は直感的にあれが混沌なのではないかと思った。混沌であり、ブライトの――――
「リース……」
「俺の欲しい言葉は、ものは手に入った。俺はもう彼女を傷つけたくない。お前の力など借りず、必ず彼女の心を掴んでみせる」
そう、リースは言う。
彼が暴走したのは混沌のせいであり、またその事をリースは悔いているのだろう。まだ完全に完璧から抜けきれていないからか、自分の失態について考えているのかも知れない。
私はそんな彼の顔を見ていた。
影はゆっくりと私達に近付いてくる。
『何で? なんで? なんで?』
影は繰り返す。
その声はおぞましく、感情の感じられないものになっていき、淡々と繰り返される「なんで?」の意味を私は理解できずにいた。
『彼女が欲しかったんでしょ? 自分のものにしたかったんでしょ? それを手放すの?』
「力尽くで彼女を自分のものにしても虚しいだけだ」
『でも、ここからでたら辛いことばかりだよ?』
と、影は言う。
だが、リースは一瞬の揺らぎもないように、大丈夫だ。と強く言う。
吹っ切れた彼に、遥輝にはきっとそんな呪文のような言葉は聞かないのだろう。相変わらず強いなあと思いつつ、影に目を戻せば、目などないのに目が合ったような感覚におそわれた。
『エトワールは幸せになれないんだよ?』
「わた、し?」
影は今度は私に問いかける。
幸せになれないとは何なのか? と疑問符を浮かべていると、リースが私を庇うように前に立つ。
「エトワール、耳を貸すな」
『リース・グリューエン皇太子殿下、ここをでたらまたエトワールは辛い思いをするんだよ。ここからでても、貴方を救い出せても彼女の評価は変わらない。彼女は永遠に偽物呼ばわりされ、忌み嫌われる。そんな彼女を見ていられるの?』
「俺が、皇帝になって、この国を変えていけば良い。それだけだ」
『エトワールは嫌だよね?』
そう、影は問いかけてくる。
影の言うことは最もなのだ。
ここからでたとしても、リースを救い出せたとしても、私は偽物呼ばわりされるだろう。自作自演だとか、皇太子を誑かした悪女とか。きっと、人の考えは変わらないと思う。それに、トワイライトがいるんじゃ私が偽物だって言われ続けても仕方がないことで。
『エトワール、幸せになりたいんじゃない?』
「わた、し、は……」
私は、リースの背中を見つめながら思う。
言葉が詰まってしまう。そんな脅迫みたいな言葉を呟かれたら。あれが、あの影が混沌だと分かっていても、あの影の言葉に耳を貸しちゃいけないと分かっていても、私は、これまで受けてきた差別や罵倒の言葉を忘れることができなかった。
リースは救われた。
でも、私は?
そう考えてしまう。私だって、幸せになりたい。自分を愛してくれる人達だけのことを見れば良いのに、つい周りの目を気にしてしまって。
そんなことを考えている内に影はだんだんと私達の方に近付いてくる。リースが洗脳できないから、次は私にと標的を定めたのだろうか。
「エトワール下がってろ」
「……う、うん」
リースは私の肩を掴んで後ろに下がらせる。
リースはそのまま駆けだし、影に向かって剣を振るう。しかし、影は剣の攻撃を受けると霧散し、また違う場所へその形を作った。まるで幻覚を斬っているような、そんな感覚だった。
「ッチ……」
舌打ちをし、リースは私の方を見た。影はいつの間にか、私の目の前まで来ており、私をじっと凝視する。そうして声色を変えずに言った。それは機械音混じりの不気味な声で、こう告げたのだ。
『貴方は、彼らと一緒にいたら一生幸せになれない』
「……あ、あ」
影が手を伸ばす。その手を取れとでも言うように。
私は首を振りつつ、自分の手が影に伸びていることに気がついた。ブライトがこれまで彼の弟の手を取らせなかったのはそのためだろう。
「エトワール、よせ!」
リースの叫ぶ声が聞える。
私は必死に手を引っ込めようとするけれど、操られているかのようにその力は強く、私は影の手を取ろうとしている。
影はニタリと笑った気がした。
影と手が触れそうになった時、衝撃的な痛みが頭の中を走った。
「……ああッ!」
それは、在りし日の事。
『貴方は、人の倍頑張らないといけないの。二人分頑張らないといけないのよ』
「お、かあ、さん?」
過去。本当に小さいときの私の記憶が頭の中をめぐる。
『そうだ、お前はあのこの分まで頑張らないといけないんだ。でなければ、あの子に顔を合わせられないだろう』
「あのこ……って?」
両親は私のいるときには、二人分、あの子と誰かのことを言った。そうして、私に頑張るよう無理を言う。
だが、両親の見ているあのことは誰なのか。私には分からなかった。
「あああッ!」
頭が割れるほど痛む。
頭を抱えてその場にしゃがみ込むと、影は満足げな表情をしたように見えた。
そして影の手が伸びてくる。
『何でこの子だけ……あの子は死んじゃったのよ』
「……ぅ」
『廻……』
(誰の、名前?)
お母さんとお父さんが口にした「廻」という名前。何処かで聞いたことがあるようで、ないようなその名前に、私は意識を手放そうとしていた。この痛みから解放されるなら混沌の手を取っても良いと。もう駄目だと思ったとき、何かが光るのが見えた。光が近づいてくる。それがリースだと分かった瞬間、リースが影を斬った。
影は、舌打ちをしながら、霧散し私達から離れていく。
「い、いや、いや……頭が……!」
「巡!」
私の名前を呼ぶリースの声が聞えたと同時に、腰を抱かれ、唇に温かいものが触れる。
口付けされていると理解するのに時間がかかったけど、その瞬間頭の中が晴れていくのが分かった。
「俺を見ろ、巡」
「あ、え、リー、遥輝……?」
彼が真剣な表情で私を見つめるので、顔が一気に赤くなるのを感じた。
先ほどのネガティブさと、痛みは何処かに行ってしまったように、あり得ないぐらいドキドキとしているのだ。
だが、またキスされたと理解し私は思わず、彼を突き飛ばそうとしてしまう。
「な、なな何をするの!?」
「すまない。でも、もう大丈夫だろ?」
「だ、大丈夫って……え、まあ……うん」
彼が、私が取り込まれそうになるのを止めるためにキスしたのは後々理解が追いついてきて分かったのだが、それにしてもやり方が、とリースを睨みつける。彼は私を抱きしめながら、ごめんと謝ってきたのだった。
『……リース・グリューエン皇太子殿下……!』
影が怒ったように叫ぶと、リースは顔色を変え、剣を構えなおした。
今度こそ、私を離さないとでも言うように抱きしめて。
『お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ。お前がいなければもう少しで……!』
「……怒りたいのはこっちの方だ。俺の大切な人を傷つけて、容赦はしない」
と、リースは握りしめた剣に何やらまばゆい光を集めていた。
それは目の眩む光魔法で、集まった光を纏った剣は影を切り裂くように一閃させた。
その光の一撃により、影の本体らしきものは霧散していく。
そうして、真っ暗闇が晴れていき、荒れ果てた皇宮の会場がだんだんと見えてくる。
『……く、ぅ……』
晴れた闇の中から出てきたのは、小さな子供だった。ブライトの弟の、ファウダー。
彼は、右腕を押さえており、肩からしたが切り落とされているようだった。しかし、血が流れているというわけではなく、斬られたところから黒いもやがでているようだった。
「……矢っ張り、ファウダーだったんだ」
ブライトが探していた弟。
私は、彼に近づこうとしたが、リースに制された。彼は、決着をつけると言わんばかりに剣を握りしめたまま彼に近付いていく。
『……はは、ははははは!』
「何が可笑しい」
『いやあ、リース・グリューエン皇太子殿下。これは、序章だ。災厄の始まりに過ぎない。お前の醜い感情のおかげで、我はここまで力を取り戻した。感謝する』
混沌は、嘲笑する。
リースは迷わず剣を振り上げたが、混沌はくくく……と笑うと、黒い影になって消えてしまった。
『災厄はすぐそこだ。お前達人間の醜い感情が此の世界を滅ぼす引き金となる。終焉へ向かうのだ』
そんな声が、最後に聞こえてきた気がした。
混沌が去ったことで、会場には朝日が差し込んできたが、しん……とした静寂だけが残った。
雨の音は聞えない。
私は、そう思っただけで張っていた気が一気に抜けてその場にへたり込んだ。
「エトワール!」
そう言いながら走ってきた彼は、心配そうに私の顔をのぞき込む。
私の目の前には改めて、ウィンドウが現われた。
【緊急クエスト:強欲の皇太子リース・グリューエン クリア 】
(……はは、これでやっとクリアね)
クリアの文字を見て、私は薄く微笑んだ。
長い夜が明けたこと知らせるそのクリアの文字は、爛々と輝いていた。
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