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翌日、貴時といとは貴保に謝罪に行った。
ふたりとも頭を下げると、貴保は苦笑した。
「いいよいいよ。あそこに置いていた私にも非がある」
いとは怒鳴られなかったことに内心安堵した。
「ところでいとさん。生活で何か不自由はないかい?貴時に意地悪されてないかい?」
「……父上」
貴時は呆れるような目をした。
いとは首を横に振った。
「とんでもございません。貴時様には大変良くしていただいております。不自由も特にございません」
貴保はやわらかく笑む。
「それならいいのだけれど。困ったことがあれば遠慮なく言いなさい。貴時に虐められたら、いつでも相談しておくれ 」
「…………父上」
いとは貴保の言葉に素直に嬉しく思った。
「はい、ありがとうございます」
いとは心からの笑みを浮かべる。
貴保は満足そうに頷いた。
貴時といとが結婚してから半年が経ったとある休日。
「若旦那様、若奥様、こちらお茶でございます」
「ありがとう」
いとは使用人の男に笑みを向けた。
綾前天介。貴時とは同い年で、幼なじみの男だ。
天介も高身長で、美しい顔立ちをしている。
「とんでもございません。失礼致します」
天介は一礼し、部屋を出ていった。
いとは茶をすすりながら、向かいに座る貴時に視線を向ける。
貴時はどこか不機嫌そうな表情をしていた。
貴時のこんな顔を見るのは初めてで、いとは驚く。
「貴時様?どうしましたか?」
いとは首を傾げて尋ねた。
貴時はかぶりを振る。
「……何でもない」
いつもよりもずっと低い声。
いとは疑問に思いながらも、それ以上は聞かないことにした。
一刻ほどして、貴時が急に立ち上がる。
「厠へ行ってくる」
そう言って貴時は部屋を出ていった。
すぐに天介が入ってきた。
「器お下げ致します」
天介はそう言って盆に空になった二つの器を乗せる。
「あの、綾前さん」
「はい」
天介は顔を上げた。
「貴時様とは幼馴染なのよね。その、差し支えなければ、貴時様のことを教えてほしいのだけれど。なんでもいいから。貴時様はあまり自分のことをお話にならないの」
天介は少し目を見開く。
そして、話し始めようとした時。
「天介」
貴時が天介の後ろに立っていた。
天介はすぐに後ろへ下がり、頭を下げる。
全く足音がなかったのでいとは驚いた。
貴時は先程よりももっと不機嫌そうな表情をしていた。
「申し訳ございません」
貴時はいとの傍まで来ると、屈み、いとを抱き上げる。
「?!」
「今から朝まで寝室には近づくな」
貴時はそれだけ吐き捨て、部屋を後にした。
貴時は廊下をずかずか歩く。
いとは驚いて声も出せなかった。
彼はなぜこんなに怒っているのだろう。
あの台詞はどういう意味なのだろうか。
寝室に着き、貴時は襖を開け部屋に入り、襖を閉めた。
貴時はいとを布団に横たわらせ、いとに覆い被さる。
いとは貴時の顔を見た。
そしていとの背筋が凍った。
顔には何の表情もなく、黒い目には強い怒りが宿っていた。
不機嫌になった雅経と同じ目だった。
いとは恐怖を思い出した。
と、貴時に口づけられる。
荒くて激しい、淫らな口づけだ。
いとは、貴時は怒っているのだと実感が湧いてきた。
……こわ、い。
いとの目から涙があふれた。
と、貴時は口づけをやめた。
いとの涙に目を見開く。
「ひ、……ぐ、……ぅ……」
「……すまなかった、いと」
貴時はいとの滑らかな頬に手を添えた。
目の中の怒りはもう消えていた。
いとは安堵する。
「……俺は、お前を泣かせてばかりだな」
貴時は自嘲気味にそう言い、いとの止まらない涙を親指で拭い、舌で掬い取り、瞼に口付けた。
涙が落ち着いてきて、いとは口を開く。
「……どうして、怒ったのですか?」
貴時はどこか申し訳なさそうな顔をした。
「……怒ったと言うか、嫉妬した。天介に」
「…………え?」
いとの思考が停止した。
しっと?しっととは何だ。
言葉は知っているはずなのに理解できない。
数秒して理解が追いついてくる。
「……え?」
「お前を愛しているんだ、いと」
はっきり言われ、いとは驚いた。
そんなまさか。
彼が私を?
貴時はいとをじっと優しい目で見ていた。
……本気だ。
いとの中で何かがこみ上げてくる。
強い感情だ。
いとは嬉しいのだ。
どれほど希ったことかわからない願いが叶うのは、こんなに嬉しいことなのか。
「どうした?」
微動だにしないいとを心配して貴時は尋ねる。
いとは夢心地で答えた。
「嬉しすぎて今なら空も飛べそうです」
貴時は一瞬目を丸くして、途端に吹き出す。
「ふはっ、何だそれは」
くっくっくっと楽しそうに笑う貴時に、いとは見惚れた。
いつも微笑みは向けられていたが、冗談に対してこんな風に笑うのを初めて見たのだ。
……ああ、すてき。
これが愛しいという感情なのだろうか。
なんて甘いのだろう。
胸が少し苦しくて、でも彼に対する気持ちがあふれて。
いとは貴時の両頬を両手で包み、貴時の薄い唇に一瞬だけ軽い口づけをした。
貴時は目を見開く。
「私も愛しています、貴時様」
いとは貴時にとびきりの笑みを向けた。
貴時は嬉しそうに笑い、いとの華奢な身体を抱きしめる。
いとは貴時の大きな体躯を抱きしめ返した。
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