テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第174話:主の限界言い訳(寄生虫リスクと熱処理の外注)
庭に設営されたドラム缶の特大鉄板から、パチパチと薪が爆ぜる心地よい音と、濃厚な味噌バターの芳醇な香りが爆発的に立ち込めていた。
おばあちゃんたちが熟練の給食兵站(ロジスティクス)技術で捌き、豪快に蒸し焼きにした最高級の銀毛鮭のちゃんちゃん焼き。
アルミホイルが開けられた瞬間、黄金色のバターの海に浸かったピンク色の身がジュージューと音を立て、限界集落の夜空へ向かって極上の湯気を噴き上げた。
「美味いべさ! こんなに脂の乗った鮭、人生で初めてだべ!」
村長やおばあちゃんたちが、熱々の鮭の身をハフハフと言いながら口に運び、至福の表情で涙ぐんでいる。
その調理陣地のド真ん中では、今回の「大漁劇」の主役である巨大ヒグマが、おばあちゃんから特大の平皿に分けてもらった鮭のちゃんちゃん焼きを、実に器用に前足で持ちながらハフハフと貪り食っていた。
自分で命懸けで捕獲した鮭であるにもかかわらず、人間に調理してもらい、こうして全員に分配されてから初めて口にするその健気な姿。
熱々の味噌バター鮭を一口食べるごとに、「グゥゥ〜〜……♪」と、これ以上ないほど幸せそうに巨体を揺らして目を細めるその姿は、あまりにも純粋で、あまりにも愛らしかった。
その光景を目撃した村人たち、そしてジンバルに固定されたスマホの画面の向こうにいる数千万人のリスナーたちは、完全に感動の極限に達していた。
『うわあああああん!!! クマさん、自分で捕ったのにちゃんと分けてもらうまで待ってたんだね……っ!』
『なんて……なんて礼儀正しくて優しい世界なんだよ、ここは!!!』
『猛獣が人間と一緒に火を囲んで、同じちゃんちゃん焼きを美味そうに食ってる。奇跡以外の何物でもねえ!!!』
『同接が……おい、同接が3000万人を突破して、世界の配信プラットフォームの回線が悲鳴を上げてるぞ!!!』
チャット欄が全人類の感動の涙で完全に埋め尽くされ、文字通り画面が涙で滲むような大洪水を引き起こす中、世界の経済を裏から牛耳る超弩級VIPたちもまた、その熱い涙と共に財布の紐を限界突破で引きちぎった。
ピコーン! ピコーン! ピコーン!
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)五百連発』
『”This is the apex of peaceful coexistence! I am weeping in my palace! Akiya! I will invest 100 billion yen to build a global sanctuary for this bear! He deserves the ultimate culinary respect!“(これこそが平和共存の頂点だ! 私は宮殿で泣いている! アキヤ! 私はこのクマのために世界規模の聖域を建設すべく1000億円を投資する! 彼は最高の料理的敬意に値する!)』
『(スイスの銀行家からの¥50,000MeTubeギフト)五百五十連発』
『”A historic merger of wildlife and human culture! The trust score of this house has reached infinity! I bid 120 billion yen to fund a permanent retirement estate for this gentlemanly bear!“(野生動物と人間文化の歴史的統合だ! この家の信頼スコアは無限に達した! 私はこの紳士的なクマの永久引退財産のために1200億円を投じるぞ!)』
『(ハリウッド女優シャーロットからの$5,000MeTubeギフト)六百連発』
『”My heart is completely stolen by his table manners!!! This is more touching than any Oscar-winning movie! Akiya, I’m wire-transferring 150 billion yen right now to buy him the highest quality honey-butter forever!!!“(彼のテーブルマナーに心を完全に奪われたわ!!! オスカー受賞映画のどれよりも感動的よ! アキヤ、彼に生涯最高品質のハニーバターを買うために、今すぐ1500億円を電信送金するわ!!!)』
国家予算を遥かに超越した、総額数千億円規模の極彩色弾幕(赤スパ)が、冬の夜空の星々をかき消すほどの輝きで画面を真っ赤に染め上げる。
村長が「ひ、ひぇぇぇ……! 1500億円って何だべさ……! 村の公金口座が世界の主要中央銀行並みの資産規模になってまうがな……!」と泡を吹いて気絶しかけ、おばあちゃんたちも「なんていい子なんだべねぇ……」とヒグマのフカフカの背中を撫でて号泣していた。
誰もが、この大自然の奇跡と、猛獣の慈愛に満ちた美談に魂を震わせて感動している。
だが。
俺――アキヤは、全員が本物の最高級銀毛鮭を堪能しているその輪から綺麗に一歩身を引き、マイ陣地(折りたたみ椅子)の上で、ただ一人だけ冷然とタッパーのフタを開けていた。
驚くべきことに、俺は目の前にある、あの世界中が大絶賛している本物の鮭を、ただの一欠片すら口にしていなかった。
俺が手元のタッパーからおもむろに箸で摘み上げたのは、完璧な水加減でストイックに炊き上げられたいつもの玄米と、鮭の代わりに濃厚な自家製味噌とバターで完璧に味付けされた『玄米と大豆ミートのちゃんちゃん焼き風(フェイク・サーモン)』であった。
俺は、数千億円の赤スパのまばゆい光に照らされながら、一切の感情を排した元・社畜の無表情で、その大豆ミートと玄米をストイックに口に運び、淡々と咀嚼し始めた。
バリ、ボリ、モグモグ……。
本物の鮭の脂の香りが漂う中で、ただひたすらに、乾燥大豆を戻して作った植物性タンパク質と高食物繊維の塊を、機械的な正確さで噛み締め、胃袋へと送り込んでいく。
その様子を、俺のすぐ隣の特等席(クッションの上)から、我が家の絶対権力者である神獣シロ様がじっと見つめていた。
パチパチと燃える薪の炎の光を浴びて、彼女の神秘的な『オッドアイ』の瞳が、言葉を失うほど妖しく、そして気高くキラリと煌めいた。
左目のサファイアブルーは凍てつく十勝の清流のようにどこまでも冷徹に澄み渡り、右目の琥珀色は豊かな秋の収穫の炎のように温かく輝いている。
その美しい二色の瞳をスッと細めたシロ様は、「ミャウ(相変わらず、目の前に極上の本物があるのに頑なに大豆を貪る、度し難いストイック下僕ね)」と、呆れたように小さく喉を鳴らした。
「って、ちょっとお兄さぁぁぁん!!!」
案の定、俺のこのあまりにも異常で、場の空気を完全に無視したストイックすぎる食事風景に気づいた小春ちゃんが、ガバッと立ち上がって叫んだ。
「周りのみんなも野生のヒグマも、全員が冬の恵みに感動して、画面の向こうでは数千億円の国家予算級の札束が飛び交って世界中が号泣してるこの瞬間に、なんで一人だけ本物の鮭を絶対に食べずに、鉄板の横で『玄米と大豆ミートのちゃんちゃん焼き風』を真顔でモグモグ咀嚼してるんですか!! シュールすぎて涙が全部引っ込んじゃいましたよ!!」
小春ちゃんが完全に理性を消失させ、おばあちゃんたちが鮭を豪快にひっくり返すために物置から出してきた、アウトドア用の極厚仕様・鋳鉄製特大中華フライパン(ヘビーデューティー耐衝撃仕様・重量約3.5キロ)を両手で大上段に構え、凄まじいジト目でツッコミを入れてくる。
だが、俺は玄米の咀嚼を止めない。
熱いほうじ茶で喉を潤すと、同接3500万人を突破して全世界の通信衛星をハングアップさせかけているカメラの前にキリッとした真顔で立ち、いつもの『限界言い訳タイム』を発動した。
「小春ちゃん、取り乱すな。そして画面の向こうで、猛獣の優しいテーブルマナーとやらに涙を流してキーボードを濡らしている皆さまも、全員冷静になってください」
『出たァァァァァ!!!』
『3500万人が号泣して数千億が飛び交ってるのに、絶対に認めない男!!!』
『主の限界言い訳タイム・寄生虫リスクと外注編ww』
『さあ、この歴史的な美談をどうやって冷徹なビジネスモデルのせいにするつもりだww』
俺は淀みない口調で、極めてフラットに言い放った。
「これは感動の美談でも、猛獣の慈愛でもありません。野生のヒグマが、自分での生食による『寄生虫(アニサキスやサナダムシ等)のリスク』を極端に嫌い、人間に熱処理(調理)をアウトソーシングしているだけの、極めて合理的な『サプライチェーンの構築』に過ぎません」
「はあああああ!? サプライチェーンにアウトソーシングぅぅ!?」
小春ちゃんが素っ頓狂な声を上げる中、俺は冷徹に解説を続けた。
「野生の鮭には、アニサキスやサナダムシといった致命的な寄生虫リスクが常に高確率で随伴します。どんなに屈強なフィジカルを持つヒグマであっても、内臓を寄生虫に侵食されれば兵站の維持(生存確率)は著しく低下する。そこで彼は、高度な熱処理技術(火と鍋)を持つ人間に原材料(鮭)を無償で提供し、加工プロセス(熱処理・ちゃんちゃん焼き化)を完全に外注(アウトソーシング)したのです。人間側に適切な配分(マージン)を支払うことで、自分は一切の寄生虫リスクを完全にゼロにした『安全な完成品(味噌バター味)』だけを効率的に摂取する。つまり、彼がドヤ顔で鮭を献上したのは家族愛ではなく、コアコンピタンスに特化したエンドツーエンドの『高度なリスクマネジメント戦略』に過ぎません。私が大豆ミートを食べているのも、野生のサプライチェーンに依存せず、自己完結的な植物性兵站を維持するための徹底した『リスクヘッジ訓練』です。ただの食品衛生工学と、野生の利己的な外注ビジネスですね」
「んなわけあるかあああ!!! どう見てもただのお兄さんたちへの恩返しと、みんなで一緒に食べたいっていうピュアな優しさでしょうが!!!」
ガキィィィィィンッ!!!!
小春ちゃんが、持っていた重量3.5キロの特大鋳鉄フライパンを全力で振りかぶり、俺の背中に向かってパーフェクトな満塁ホームラン級の「フライパンスマッシュ」を見舞った。
最高密度の鉄の質量が肉体に直撃した、鈍くも大地を揺るがすような凄まじい鉄打音が、十勝の冬の夜空へと虚しく響き渡る。
「ただの寄生虫リスクの回避で、クマさんがこんなに嬉しそうにハフハフ言いながら、みんなの『美味しいね』って顔を覗き込むわけないでしょうが!! お兄さんのその頭の硬さと、ロジスティクス脳のせいで、せっかくの国宝級の感動ドラマが全部台無しですよ!! 家族がもたらしてくれた世界一温かいちゃんちゃん焼きの味を、素直に『美味いな』って認めなさいよ!!」
『小春ちゃんのキレキレフライパンスマッシュ炸裂www(鉄の音がガチすぎて草)』
『リスクマネジメント戦略(総額数千億円の超ハイエンド・お土産鮭)』
『ただの利己的な外注ビジネス(体重数百キロのドヤ顔とハフハフ)』
『適応力バグおじさん、ついにヒグマの恩返しをただの熱処理外注プロトコルに分類しやがったww』
『言い訳の理不尽さのせいで、3500万人の感動の涙が一瞬で引っ込んだわww今日も最高!!』
俺の理不尽極まりない生物学的な限界言い訳と、小春ちゃんの容赦ないフライパンツッコミに、3500万人の視聴者たちは感動の涙から一転、大爆笑の渦へと叩き落とされた。
『ミャウ(ほんと、相変わらずフライパンで叩かれても治らない特大サイズの屁理屈下僕ね)』
ヒグマの頭の上へといつの間にか移動していたシロ様が、満足げにその美しいオッドアイの瞳を細めてゴロゴロと喉を鳴らした。
サファイアブルーと琥珀色の二色の瞳は、数千億円の数字よりも眩しく、鉄板から立ち上る濃厚な味噌バターの湯気に包まれて、まるで世界中のどんな宝石よりも美しく輝いていた。
彼女にとっては、アキヤがどれほど屁理屈をこねようとも、この温かい火を囲んでみんなが笑顔でいる空間こそが、至高の玉座であるようだった。
ヒグマもまた、小春ちゃんのツッコミのリズムに合わせて「グゥ……」と楽しそうに鼻息を漏らし、おばあちゃんから更に大きな鮭の身を貰って嬉しそうに頬張りながら、ただのデカい犬へと完全に戻っていた。
「……まぁ、理由はどうあれ。この十勝の豊かな冬の栄養素(兵站)が、一粒の損耗もなく全員の胃袋へと完全にデリバリーされ、我が家のロジスティクスが完全勝利を収めたなら、それが一番だ」
俺はフライパンの凄まじい衝撃で少しだけ痺れた背中をさすりながら苦笑し、舞い散る粉雪の中で、タッパーの玄米と大豆ミートをゆっくりと噛み締めた。
激務に潰されて逃げ込んできた、この限界集落。
最初は一人で静かに暮らすための隠れ家(シェルター)だったはずが、今では世界一美しいオッドアイの神獣と、鮭を熱処理外注してくる最強の調達兵、そしてフライパンを振りかぶる女子高生に囲まれた、世界一バグっていて温かい『絶対の聖域』になってしまった。
神獣の魅せる冬の奇跡と、元需品科のブレない大豆ミート咀嚼、およびサプライチェーンの限界屁理屈。
限界集落に爆誕した世界一贅沢な冬の収穫祭は、濃厚な味噌バターの香りと大爆笑に包まれながら、さらに強固になった絆と共に、明日からの新しい日常の物語へと、どこまでも力強く続いていくのだった。
コメント
1件
ああもう、今回も最高でした…! ヒグマが自分で捕った鮭をちゃんと分配されるまで待って、みんなと一緒にハフハフ食べてる姿にまず胸が熱くなりました。なのにアキヤさん、そこで一人だけ大豆ミートを真顔で咀嚼して「サプライチェーンの構築」とか言い出すんですよ(笑)。その理不尽な屁理屈と小春ちゃんのフライパンツッコミの鉄板コンビがもうたまらなくて、感動と笑いが同時に来ました。最後の「世界一バグっていて温かい聖域」という言葉に、この物語の本質がぎゅっと詰まっているなあと感じました。本当に素敵なエピソードをありがとうございます🫶
ゆうき あきや
3,514
ゆうき あきや
4,132
キュルノ
259