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「気をつけ、れーい。」
社会の授業は皆、比較的おとなしい。
何故なら、社会の神服先生の授業がとにかく面白く、生徒たちのやる気の出し方をよく分かっている先生だからだろう。
教員の裏側もさらけ出し、大変だと嘆く姿は、ある種の信用が寄せられる。
「……『その後、文明は衰退しました。』さて、何故衰退したか知ってる人はいますか?」
「塾でやったわ、アーリヤ人の侵略だろ。」
そう誰かが言うと、先生は実は違うんですと首を振った。
「とてもこの後に繋げやすい間違いをしていただきありがとうございます。」
その言葉に教室からくすくすと笑いが漏れる。
僕も笑いながらも、先生の”間違えにも感謝する”姿勢が素直に格好いいと思った。
と、拓斗が大きな声で笑いながら叫んだ。
「何間違えてんだよー。死ねよ!」
さっきよりも大きな笑い声がクラスを包んだ。
こういうジョークには、何が面白いか分からなくて笑えない。
適当に流すのかなと先生を見やると、切なげな表情を浮かべていた。
「死ねって言葉、身内を同時に三人も失っている身からしてはしんどいですね。」
教室の空気が一気にしん、となる。
「二年前ですかね、まず父親が癌で亡くなって。次は大学の時の教授が、そして同じ職場だった先生が。……死って、そんなに身近なものでいいんですかね。」
その言葉に、僕は幼少期の頃を思い出した。
あの頃、死んだらどうなるかを考えてしまい、寝付けなかったことがあった。
何も考えられないってどうなるんだろうとか、地獄ってどんなところなんだろうとか。
漠然とした不安は何をしても振り払えなく、苦しかった。
暗いのも嫌で電気をつけていると、母さんが部屋にやってきた。
「こんな夜遅くまでどうしたの。」
「……いつ死ぬか、不安で。」
さっきまでぐるぐると頭を支配していたものを、ぽつぽつと言語化する。
母さんはそれを黙って聞いていた。
「ねえ、ママ。死なないでね。」
「大丈夫、まだ生きるよ。だからもう寝なさい。」
「じゃあ来年までは?」
「死なないわ。」
「再来年は?」
「大丈夫よ。」
「それじゃあ十年後は?」
「大丈夫だから。」
「そっか。じゃあ、もう寝る。」
そんなやり取りを、今でも鮮烈に覚えている。
では果たして、あの時恐れていた”死”との距離は、今どうなっているのだろうか。
そんな思いを抱えながら、古傷のある手首を見た。
いじめに苦しめられていた時、僕と死の距離はぐんと縮まった。
リスカやオーバードーズで自分を傷つけ、一度緊急搬送されて入院したりもした。
ちらりと田島を盗み見た。
彼も、死にたい夜を過ごしたりしたのだろうか。
死んでほしくないと心から願った歌さえ、陳腐なものとして使い古されてしまう。
一体僕らは、”死”とどのように付き合っていけばいいのだろうか。