コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
すき焼きが食べたいと言ったのは雄大さんで、ご飯の時間までには帰ると言った。
『少し遅くなる』のは、道が混んでいるからだと思った。ご両親との話し合いが少し長引いたのかもしれない。そう、思いたかった。
雄大さんが出て行って七時間が過ぎ、電話をしようかとも思った。けれど、やめた。
なぜだか、やめた方がいい気がした。
それから三十分後。
雄大さんは疲れ切った表情で帰って来た。
出て行った時と同じ服に知らない香りをまとって。
「遅くなってごめん」
そう言って、雄大さんは私を抱き締めた。
ケーキの箱を潰さないように。
彼の身体は冷え切っていた。顔色も悪い。
「雄大さん? どうしてこんなに冷たいの?」
まるで水風呂にでも浸かったよう。
「具合が悪いの?」
雄大さんは首を振る。
「お風呂! すぐ——」
「いい。それより、お前を抱きたい」
「え——?」
嫌な予感がした。
いつものように強引にベッドに押し倒され、いつものようにキスをして、いつものように身体を重ねる。
なのに、心が重ならない。
「何があったの?」
|挿入《はい》ってきた雄大さんがいつもと違うことに、すぐに気がついた。
たいしてその気もないのに、無理やり繋がろうとしている。
私が気がついたことに、雄大さんも気がついた。
「セックスで忘れられる?」
「セックスで忘れたい」
「ゴム、着けて」
異様な光景だと思う。
私は足を開いて雄大さんを受け入れているのに、真顔で彼を見上げている。
「そんな気持ちの時に出来てほしくない」
「馨……」
「続けるなら、ゴムして」
『子供が出来たら、誰にも文句を言われずに済むかな』
あの言葉は本気だった。
昨夜も、着けなかった。
今も、着けていない。
「嫌だ」
えっ————?
絶対、やめると思った。
何があったのか、話してくれると思った。
けれど、私の言葉は雄大さんに火をつけてしまった。
それなりに私の|膣内《なか》に収まっていた雄大さんが、はち切れんばかりの存在感を見せつけ、激しく動き出した。
「ちょ……っと……」
「そんな気持ち、って何?」
「え……?」
「俺の気持ちがわかんの……?」
脚を担がれて、繋がっているところが大きく開かれる。この体勢は恥ずかしくて好きじゃない。気持ちいいけれど。
「んっ——。あ……、ああ……」
「子供が出来たらっ……すぐに……でも結婚できるのに……って——」
雄大さんがギュッと目を瞑り、口をきつく結んだ。けれど、すぐに深く息を吐く。
「悪い……。もう……イク——!」
深く押し付けられて、雄大さんのモノがびくびく動いているのがわかる。お腹の奥が熱い。
「くそっ——」
雄大さんが耳元で呟く。
自分本位なセックスに対してか、セックスでは忘れたいことを忘れられなかったからかは、わからない。
「気が済んだ?」
わざと、冷たい言い方をした。
後ろめたいからか、雄大さんは顔を上げようとはしない。代わりに肩にキスをくれた。
「ごめん」
「シャワー入ってきて? すき焼き用意しておくから」
「ん……」
ぐぅ、とお腹が鳴った。二人同時に。
私たちは顔を見合わせて、笑った。
*****
「玲に会って来た」
お腹いっぱいすき焼きを食べた後に、雄大さんが言った。
「だから、遅くなった。……ごめん」
責める気にはなれなかった。
雄大さんが食後にウイスキーを飲みたいと言った時、思い出した。
私が昊輝と会った夜の、不機嫌そうな、不安そうな、悲しそうな雄大さんの背中。
「そっか……」
聞きたいことを全部呑み込んで、言った。
「ケーキ、食べていい?」
時間も遅いし、お腹いっぱいだし、明日にしようと思ったけれど、黙って聞く気にはなれなかった。
「溶けてたらごめんな? すぐに……帰るつもりだったから……」
少しの間でも冷蔵庫に入れておいたお陰で、溶けかけたクリームやチョコレートは箱の底までは届いていなかった。
「ヤバそうなのは捨てていいから」
「大丈夫っぽいけど、どうしたの? こんなにたくさん」
全て種類の違うケーキが十個。
ケトルでお湯を沸かし、紅茶のティーパックを選んだ。ダージリン。カップにパックを入れる。
「お前が……好きなのわかんなかったから」と、雄大さんは申し訳なさそうに言った。
「何でも好きだけど、チョコレートケーキが好きよ。ショートケーキもチーズケーキも好きだし。あ、ムースはあんまり好きじゃないかな」
箱の中にムースは一つ。
「あ、でもタルトも美味しそう」
「ホントに何でも好きなんだな」と、雄大さんが目を細めて笑った。
「雄大さんは? 食べる?」
「じゃあ、ムース」
「食べられるの?」
「食ったことないから、わかんねぇ」
私も笑って、ムースを皿に乗せて渡した。ストロベリームースで、スポンジと生クリームで層になっていた。
甘そう……。
ウイスキーとのアンバランスさに、また笑った。
私はショートケーキを選んだ。残りを冷蔵庫に戻す。
「春日野さんはどんなスイーツが好きなの?」と、カップにお湯を注ぎながら聞いた。
雄大さんのグラスを持つ手に力がこもったのがわかった。
「さぁ……」
「二年も付き合ってたのに、薄情」
深い意味はなかった。
軽い気持ちで言ったのに、雄大さんは引き攣った笑みを浮かべて言った。
「ホントだよな。こんなののどこがいいんだか……」