テラーノベル
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とぼとぼとオレ達は屯所へと戻る、その時だった。
気付かなかったのだ。虎視眈々とオレ達に狙いを定めていた、その存在に。
上空から襲い掛かってくる黒い影。
「――はっ!? おいシロ! 危ねぇぇ!!」
「えっ?」
御互い気付いた時には、もう遅かった。
殺意と捕食を以て墜ちてくる嘴。それはほんの一瞬の事だった――
「きゃあぁぁぁぁ!!」
黒いカラスによって、シロの左目は抉られてしまった。
鮮血を噴き上げながら、悲痛な絶叫と共にシロは昏倒する。
「シロぉぉぉ!!」
オレはその事実に思わず叫んでいた。
黒いカラスは一旦上昇し再度、倒れたシロを目掛けて急降下してきた。
今度はその小さな身体ごと持ち去る為だ。
“殺られる!”
これが弱肉強食。自然界の摂理。
残念だが今のオレでは、体格に及ばぬカラスに勝てる道理は無い。
猫は勝てない勝負はしないのだ。
「このクソ野郎ぉぉぉ!!」
だが理屈を超えた“何か”が、オレの身体を突き動かしていた。
空を切ったとはいえ、風を切り裂く猛襲爪は、奴を一瞬だけ怯ませた。
オレがあと半年早く産まれていれば、その喉元を正確無比に捉えられたものを……。
奴は再び空中へ停滞する。その距離、凡そ二メートル。
「シロ! 大丈夫か!?」
返事は無い。考えれば当たり前だ。
オレはカラスへの警戒を解かぬまま、横目で倒れたシロへと安否を確認。
目を背けたくなる現実に、オレの鼓動が急速に高鳴る。
横たわるシロは微動だにせず、白毛に驚く程映える赤は、アスファルトにまで侵食していく。
オレは自分の浅はかさを恥じた。あの時、無理にでもシロを止めていれば。奴の襲来に、もっと早く気付いていれば――
しかし全ては後の祭。それに今は感傷に浸っている場合ではない。
『カアァー!』
奴が威嚇の咆哮と共に、次なる狙いを定めた。
その猛禽の瞳に映すは、勿論オレの姿だ。
この漆黒の堕天使は、オレをも戦闘不能にした後、二匹まとめて持ち去るつもりなのだろう。
オレの頭脳が導きだした、否生存への確率――シックスナイン(99.9999%)
ゼロでは無いが、絶望的状況だった。
恐らく、オレも弱肉強食の摂理に基づき、此処で死ぬ。
だがオレは簡単には殺られない。
相討ちだ。肉を斬らせて骨を断つ。
それがオレに出来うる、唯一にして最後の抵抗。そして――
「シロ……待ってろ。すぐにオレも後を逝く」
シロの仇は……血を分けた兄弟である、オレの手で取らねばなるまい。
カラスがオレに狙いを定め、降下してくるその時だった。
それは臨戦体制を整え、意を決した瞬間の異変。
「こっ……これは?」
こんな時に次々と、走馬灯が過っていく。そして全てがスローモーションへ――
“オーヴァーレブ”
即ち、視覚シャットダウン。生命の危機に瀕した時に訪れる、超感覚現象だ。
ゆっくりと流れる風景の中、オレはこれで死ぬのだなと、朧気に実感していた。
迫りくる嘴――だが、遅い……遅過ぎる。
オレの身体もスローで動かし辛いが、この状況なら相討ちに持ち込めそうだ。
狙うはその喉元――
『カァー!?』
「――っ!?」
瞬間――世界が元に戻る。時が動き出したのだ。
カラスの奴は突然身を翻し、黄昏の空へと消えていく。つまりは撤退したのだ。
仕留める絶好のチャンスだというのに、奴はオレに何か感じたモノでもあったのか?
それは猫の持つ狩りの本能。他の追随を許さない“殺気”を、如実に感じ取ったのかもしれない。
奇跡は起きた――否、違う。起こしたのだオレが。
奇跡は待つものじゃない、自ら起こすもの。奇跡を起こしたのは他でもない、オレ自身の力だ。
――余韻に浸っている場合ではなかった。
そう、シロの事だ。オレは急ぎシロの下へと駆け寄った。
「おいシロ? しっかりしろ! もう大丈夫だ」
横たわるシロを安心させようと、なるべく慎重に事を運ぶが、気休めだという事は分かっていた。否、認めたくはなかったのだ。
酷い……。
シロのつぶらな左目は、完全に“抉り取られ”ており、溢れ出す血液の流出は止められそうもない。
これが助からない傷である事は、子猫心ながらに分かっていた。
「……ほし? 馬鹿よねアタシ……。外はまだ危ないって……アンタも止めたのに、アタシが勝手な事……したせいで」
気付いたシロは息も絶え絶え、風前の灯火。
「気にするな……自分を責める必要は無い。オレも同罪だ」
だがそれでもオレは、シロを呼び掛け続けた。
「ごめんね……。御主人様も、きっと悲しむよね……」
誰が悪い訳ではない。カラスが悪いのだ。謝る必要が何処に有ろうか? 今は後悔する事ではなく、生き抜く事だ。
「何を御別れみたいに言ってやがる。大丈夫だ、助かる!」
根拠は無い。だが生きるという事は、諦めない事だ。それにまだ可能性は有る。
「ジュウベエを思い出せ!」
そう。片盲眼となりながら、それでも誇り高く生き抜いた黒猫の事を。
かの柳生十兵衛と同じ名を冠された彼は、その生き様から猫世界に於いて、伝説の存在となっているのだ。
「だから……死ぬな!」
オレは有らん限り呼び掛けていた。利己的判断も忘れてだ。
命有る者は必ず死ぬ。全ての種は、それから決して逃れられない。
だからこそ皆、精一杯生きるのだ。死ぬ為に生きるのではない。生きる為に生きるのだ。
シロはまだ此処で死ぬべき存在ではない。
心半ばに旅立った、あの兄弟の分まで、オレ達は生きる義務が有る。
「ありがとう……ごめんね。ほしはアタシ達の分まで……生きて……」
既にシロは悟ったようだ。
シロの身体中から、急速に力が失われていく。
それが最期の言葉か? ふざけるな。御別れにはまだ十年は早い。
しかしオレがシロにしてあげられる事は、何も無かったのだ。オレは小さいながらに、自分の無力を悔やんだ。
もう少し大きかったら、また別の方法も有ったかもしれない。
だが今のオレに出来る事は、呼び掛け続けるだけ。
「ありがとうなんて言うな! ごめんなんて言うな! オレは……オレがっ――」
不意に視界が歪む。
“涙!?”
その時、オレは初めて気付いたのだ。自分が涙を流しているという事に。
涙を流す猫なんて聞いた事が無い。やはりオレは特別だという事か。
最初の兄弟の死で、悲しいという感情を覚え、今まさにそれが、形となって表れた瞬間だった。
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