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◻︎最後のデート?
「斉藤さん、昨日のデートが最後のデートだったらしいんです。つまり、好きな人とはもう会えないらしくて」
「そう…なんだ」
桃子は、僕以外の人間にはそんな話をしているのかと興味が湧く。
「今朝なんだか元気がなかったから、何気なく訊いたんですよ、昨日のデートは楽しかった?って。そしたら、涙をこらえながら話してくれました」
「へぇ。斉藤さんをフルような男って、よっぽどの自信家なんじゃないか?」
「課長もそう思いますよね?だって、斉藤さん、その彼のことをものすごく好きで諦められそうもないって言ってたんです。でも、嫌われてしまったから諦めるしかないって。自分が身を引くのが彼のためだって」
「嫌われたのか?斉藤さんは」
「そうみたいです。ま、詳しくはわかりませんけどね。というわけで、今はフリーらしくて。コレって、僕らにもチャンスあり!ですよね?」
「あ、うん、そうだね、頑張ってみたら?」
「よっしゃー!お前と俺とどっちが斉藤さんに選ばれても、恨みっこなしだからな」
「わかってるよ」
「どっちも頑張ってくれ。でもその前に仕事だけはキチンとやってくれよ。職場では、恋愛は二の次だぞ」
「「はい」」
他人の口から桃子のことを聞くのは、とても気分がいい。桃子が言う好きな人とは僕のことなのだから。
___それにしても
“最後のデート”か。正解は“最初で最後のデート”になるんじゃないのか?などと考える。
桃子にしてみたら当然といえば当然だ。一度きりという約束だったのだから。軽い浮気で身を持ち崩すことだけは避けたいと思いながら、あの桃子が他の男のものになると想像したら、焼け付くような感情が立ち上がった。
___あの二人の、どちらかの彼女になってしまうのだろうか?
あの唇も濡れた瞳も柔らかい肌も、繋がったそこから溢れ出る滴も、絶妙な動きの腰つきも……。
___他の誰かのものになってしまう……
思い出すだけで、体が反応してしまう。ダメだ、忘れなければとわかっているはずなのに、欲望が鎮まらない。
___どうしたものか
そんなことを考えあぐねていたら、LINEが届いた。
ぴこん♪
《忙しい時にごめんね!トイレットペーパーを買ってきてくれない?コンビニのは高いから》
愛美からの、買い物依頼のLINEだった。せっかく桃子のことを考えていたのに、邪魔をされた気がした。
「ちっ!」
思わず舌打ちをしてしまう。が、そこは見えないからいつものように返事をうつ。
〈わかった〉
ぴこん♪
《ありがとうスタンプ》
___そういえば、桃子からのコメントは一つもない
普通だったらもっとこう…好きだとか愛してるとかしつこいくらいに何かあってもよさそうなのに。
あんなにいい夜を過ごしたのに、そっけなさすぎる桃子のことが、とても気になった。
桃子の個人LINEを開いて見たが、食事前の《お忘れなく》の一言で終わっている。かといってこちらから何か言うのも、躊躇する。“一度きり”だと念を押したのは僕だし、桃子はそれをちゃんと理解している。
___違うな
理解しているのではなく、必死に我慢していると言っていたのは先ほどの柳達だ。身を引くのが僕のためだと思って、自分の気持ちを抑えているのだ。そう考えていたら、桃子のことがとてもいじらしく思えてきた。こんなに僕のことを思ってくれていると知ったのだから、その気持ちに応えなければいけないのは僕の方じゃないか?
___それに、桃子を他の男に取られたくない
はっきりとそう思った。完全に気持ちを持っていかれたようだ。
午後からの仕事は、どこか上の空になってしまった。誰にも気づかれないように、そっと桃子を見る。いつもと何ら変わらない様子だけど、今頃あの胸の内は僕に対する張り裂けそうな思いでいっぱいなのだ。
___どうしよう?どうしよう?どうしよう?
困った。桃子のことばかり考えてしまう。離れているのに、その声を聞きたくて耳を澄ませてしまうし、その姿を見たくて何度も桃子の席の方を見てしまう。これじゃまるで、好きになった女の子をずっと気にしてしまう中学生のようだ。
___落ち着け
昨夜の出来事は、誕生日プレゼントだったんだ。もう求めてはいけない、なかったことにしなければいけないと頭ではわかっている。
なのに、胸の辺りから込み上げる欲望が、冷静な判断を失わせそうになる。
___桃子を他の男に取られたくない
そんなことができるわけない。僕には家庭がある。ずっとそんなことを考えていた。
仕事帰りの電車の中、桃子にLINEを送ってしまった。
〈素敵な夜をありがとう。昨日は、偶然僕の誕生日だったんだ。最高の誕生日だったよ〉
こんな文面を送ったところで、だからどうした、と思われるかもしれない。けれどなんとかして、桃子を自分に繋ぎ止めておきたい気持ちに勝てなかった。
ぴこん♪
《私もとてもうれしかった。ずっと願っていたことが現実になったから》
さぁ、どうする?ここで終われば、それでおしまいだ。これ以上深入りしたら……と思いとどまろうとすると、昼間の柳と丸山のことを思い出す。
___どうしても桃子を自分のものにしたい
そして僕は、自らこの不倫を続けるためのコメントを送った。
〈今度はぜひ、桃子の誕生日をお祝いさせてくれないか?〉
また会って欲しいという意味で桃子の誕生日を口実にした。
ぴこん♪
《え?ホントに?約束してくれる?》
〈もちろん。どんなお祝いがいいか考えておいて〉
ぴこん♪
《やった!来月の24日が誕生日なの!》
来月?24日?クリスマスイブが誕生日?
___しまった!
まさかクリスマスイブが誕生日だったなんて。いつもケーキとチキンでプレゼントを渡し合うのが、我が家のクリスマスイブの過ごし方だ。どうしようか。
___なんとかなるか
もう莉子も絵麻もそんなに子どもじゃない。午後から隣街への出張だとでも言い訳すれば、なんてことはないだろう。
桃子の誕生日を祝うという理由で、また桃子を抱けると思うと今からワクワクしてくる。
職場ではなんの素振りも見せず、これまでとまったく変わらない桃子に、これならこの関係を続けてもバレないだろうと安心する。
家では、愛美がアルバイトで遅くなる夜は、僕も遅くなっても詮索されずに済むと気づいた。
〈それまでに、まだ時間があるからまた食事でもどうかな?〉
ぴこん♪
《もちろん!なんなら私の手料理でもいいですよ》
〈ということは、桃子の部屋?〉
《その方が、誰かに見られるリスクが少ないかなと。でも、和樹さんが嫌なら、どこかのレストランで》
〈そんなことはない、行かせてもらうよ〉
そうやって、桃子との逢瀬を重ねていった。もちろん、家族に後ろめたい気持ちはある。けれどその分仕事も、今まで以上に頑張った。
約束していたクリスマスイブも、桃子の部屋で過ごす。プレゼントはティファニーのネックレスにした。
イブに帰りが遅くなると言ったら、家族からブーイングが来るかと思ったけど。
「私、友達とパーティーするから」
と、莉子。
「私は絵麻をおばあちゃんちに預けて、その日は深夜までシフト入れちゃった。若い子はみんなイブにアルバイトなんかしないのよね」
と、愛美。
「絵麻はおばあちゃんにクリスマスプレゼントのいいやつ買ってもらうんだ」
と、絵麻。
そんな家族の予定を聞いたら、桃子と過ごすことに後ろめたさを感じなくなってきた。