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部屋の空気は、帰った瞬間から違っていた。蛍光灯の白がいやに冷たく感じるのは、たぶん、蓮司がいるからだ。
「──あれぇ? 今日はちょっと、機嫌いい?」
そう言いながら、ベッドに腰掛けていた蓮司が、遥の表情を見上げた。
その目は、獣よりもずっと冷静に、獲物の呼吸を測っていた。
「……なんで、いんの」
そう言うのが精一杯だった。
けれど、それは「なんでわかった?」という意味でもあった。
蓮司は笑った。
「いいじゃん、ここ“おれんち”だし。おまえは……ただの“居候”だろ?」
“ただの”──その一言で、遥の内側に火がついたように胸が焼けた。
けれど、言い返さなかった。言い返せば、蓮司はもっと喜ぶ。
「ふぅん。……でもさぁ」
蓮司は、ゆっくり立ち上がると、遥の顔の前まで来て覗き込んだ。
「日下部んとこで、なにしてたの?」
視線が合わない。
呼吸が詰まる。
「……なにもしねぇよ、あいつ」
そう答えた遥の声は、うっすら震えていた。
蓮司は、それを待っていたかのように笑う。
「そっか。──優しいよね、“あいつ”」
その“優しい”という単語には、確かな棘があった。
「罪悪感って、すごいよなぁ。人ってさ、罪悪感あると、優しくできるらしいよ? あくまで“演技”じゃない程度の、絶妙な距離感でさ」
遥は反射的に睨んだ。
「……演技、じゃねぇよ。アイツは」
「へぇ? そう思ってるの、おまえだけかもよ?」
囁くような声で、蓮司は遥の耳に息をかけるように言う。
「“おまえを壊した罪悪感”で、優しくしてるだけ。もし、そんな気持ちがなくなったら? 本音、バレたら? ……おまえがあいつに抱かれたいとか、欲しがってるとか、知ったら?」
遥の顔から、血の気が引くのが自分でもわかった。
「そんな汚い目で、あいつ見てるってバレたら──」
「おまえの“壊れてない演技”なんて、一瞬で消えるよね」
蓮司は舌先で遥の首筋をなぞる。
それはもう、触れているのに近い距離だった。
「……言ってみたら? “抱いてください”って」
「……言えるなら、楽になれるんじゃないの?」
遥は、呼吸を止めるしかなかった。
言葉を選べば、即座に抉られる。
黙れば、それを“図星”として嗤われる。
逃げ場なんて、とっくになかった。
「──おまえってさ、“綺麗なもん”が壊れていくとこ、見たがるよね」
蓮司は囁いた。
「それ、俺と同じじゃん?」
その言葉に、遥は無意識に後退りそうになった。
けれど、背後は壁だった。
蓮司の指先が、喉元をなぞる。
「なぁ、遥。……あいつが“壊れてく”の、見てみたくない?」
「──おまえのせいで、壊れてく“日下部”をさ」
遥は目を閉じた。
もう、言葉を聞きたくなかった。
けれど、逃げることも、抗うことも、ここでは許されていない。
その夜、遥はベッドの隅で丸くなって眠ったふりをした。
蓮司の気配を背に感じながら、
「誰も触れてこない静寂」のあの夜を、思い出そうとしていた。
けれど、記憶の中の“優しさ”すら、蓮司の声が汚していく。
──守られるほど、壊されたい衝動が強くなる。
それは、遥の中に確かにある欲望だった。
(……もう、どっちが“壊れてる”のかも、わかんねぇよ)
遥は、音もなく、枕の下で指先を噛んだ。