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「お兄様」
「……っ、ペチカ」
一か月が過ぎ、もう大丈夫だろうと公爵邸に帰され、一番初めに会いに行ったのはお兄様だった。
三階の一番奥の部屋には、重厚な結界魔法が施してあり、その部屋の警備をしている魔導士に頼み特別に部屋に入れさせてもらった。部屋の中は質素で、家具がいくつか置いてあるだけで、その中央のソファにお兄様は頭を垂れて座っていた。
私が近づくと顔を上げて、ひどく困惑したような泣きそうな腫れた顔で私を見て名前を呼ぶ。
「どうしてここに? ああ、もう大丈夫なの?」
「はい。すっかり……お兄様がいろいろ手を回してくださったみたいで」
「いや、俺は何もしていないよ。エーデルシュタイン伯爵のもとにいって尋問したのはゼインの指示だし。これといって何も」
「ですが、薬の解毒方法がわからなかったら今頃私はどうなっていたか。ですから、お兄様、そんな自分を責めないでください」
お兄様がここまで弱っているのを見たのは、べテルが死んで私がべテルとして生きていくようお母様に強要されて以来だった。
あの時感じた怒りの魔力は、その幼いころに感じたもので、前にもあったなと思っていたのはそれだったのだ。お母様がいきなり私の髪の毛を切って暴れだして、お母様が私に「貴方が死ねばよかったのに」といったとき、お兄様がお母様を気絶させるほどの魔力を放ってしまい、その後お兄様は今と同じように謹慎処分を受けた。お兄様の魔力はお母様から受け継いだもので強力で、故に鍛錬を積んで自在にコントロールできるようになってもなお、危険視されていた。魔力は感情によって左右されるから、それもあってお兄様を怒らせたら危険だと。
お兄様自身も、自分の感情コントロールは徹底しているようで、いつもニコニコとつかめない笑みを浮かべているのもあれも魔力を一定に保つためのものだったと。
嫌なことに塗りつぶされていて、本質や過去の出来事を忘れているところが多々あり、殿下との出会いを忘れていたのもいろいろあったからだ。それを理由にしちゃいけないんだろうけれど、私にとっていかにお母様が枷になっていたか、それがよく分かった出来事だった。
「母上は?」
「お兄様も同じことを聞くんですね。ゼインにも笑われました。優しすぎるって」
「そう……」
「お母様と、お父様が離婚の手続きをしていることはご存じかと思いますが、お母様の体調は悪くなって、離婚する前に命を落とす危険もあると。だから、お父様も離婚を先延ばしにしようかとも考えているらしくて……皇族からは何も。迷惑をかけてしまったから、好きにすればいいとのことです」
「どうせ死ぬんだから、一人にしてあげればいいのに。それが、一番の罰だよ」
と、お兄様は奥歯をぐっと噛んでいった。まだ抜けきっていない怒りが魔力となってひんやりと足元を漂う。
お兄様はいつも笑っているから何を考えているかわからないけれど、いつも私のことを考えて行動してくださったのだと。今ならそれがわかる気がして、殿下との関係も初めからこうなるってわかっていたんだろうと。
「罰、ですか」
「うん。ペチカに何もしてあげられなかった俺が言うのもなんだけど、母上は、ずっとおかしかった。俺たち子どもに向ける目がいつも生暖かくて、ねっとりしていて、気持ち悪い。吐き気しかしなかった」
「お兄様がそんなこと思っていたなんて意外です……って、私が気付かなかっただけですよね。多分」
「……ペチカは。でも、ペチカが一番の被害者なんだから、もっと怒っていいと思うよ。言いたいことがあるなら、母上が生きているうちに言えばいいし。ペチカにはその権利があると思う」
そうお兄様は主張して私を見た。
お兄様の瞳が揺れていて、私のことをずっと気遣ってくれているんだと伝わってきた。この謹慎期間中も、きっとお母様を傷つけたこととか、自分が謹慎処分を受けたこととかじゃなくて、ずっと私を。
「本当は会いに行きたかったよ、ペチカに。ごめんって謝りたかった。もっと早く、だってこうなることは予測できていたんだから。でも、きっと、ペチカを救うのは俺じゃないって思っていた」
「お兄様?」
「ゼインとはどう?」
と、お兄様は心配そうに聞いてくるので、私は何度か瞬きをして首を傾げた。どうしてそこで殿下の名前が出てくるのか、とみていれば、お兄様はふっと少しだけ笑みを浮かべて私の手を撫でる。
「ゼインから、二回も一目惚れした話は聞いた?」
「は、はい。そんなことありえるんですねって……でも、昔あったのが、私かべテルかわからなくて。ずっと、昔の私のことを好きでいてくれたみたいで……だから、ペチカがその初恋の人だったらいいけれど、私が覚えていないから迷ったらしくて」
「ゼインらしいね」
「お兄様に答えを求めていたみたいなんですけど、応えなかったのはお兄様ですよね?」
「いったら、面白くないじゃん。それに、好きなら見分けられるはずだよ。最も、べテルがペチカが男装した姿だって気づかないくらいの鈍感に、見分けられるなんて思ってもいなかったけど」
くすくすくすとお兄様は笑う。ようやく、お兄様の顔に笑顔が戻ってきたなと思いながら、私はお兄様はもしかしてずっとやきもきしていたんじゃないだろうかと、名推理をたたき出す。きっとそうに違いないって。
でも、殿下は殿下なりの方法で私を見つけてくれて、しっかりと合致させたうえで好きだと言ってくれた。私も、もう彼との婚約破棄なんて考えられないし、私も彼が好きだと。
あの時抱いた感情が初恋だったんだって、恋だったんだって気づくのに、十四年かかってしまったのは長かったけれど、最悪な二度目の出会いを経て私たちはお互いの思いが通じ合ったと。そこに紛れ込んだノイズとして、べテルという存在があったけれど……
そんな思い出に浸りながら、これからの未来を想像していれば、お兄様は優しかった笑顔を崩して、今度は真剣に私の手を握った。
「もう少しで俺の謹慎期間は解ける。そしたらまたペチカを守ってあげられるけど、気を付けてほしい」
「大丈夫です。お兄様に守られなくとも、私は騎士としての経験もありますから。自分の身は自分で守れます! でも、心配してくれるのはうれしいですよ」
「……ペチカらしいね。でも、そうじゃない。母上がべテルの骨を隠し持っていたという話を耳に挟んでね。墓を掘り起こしたらしくて……頭蓋骨が見つかってないらしいんだ」
「頭蓋骨?」
その墓を荒らした時期にもよるけれど、まあきっとお母様のことだからその頭蓋骨は損傷しないように魔法でもかけてコーティングしてあるのだろう。けれど、そんな話聞いたこともないし、恐ろしすぎて言葉を失ってしまった。
それが何を表すのかわからないが、お母様がずっとべテルに執着していることだけがわかり、私はまた胸の中にもやりとした気持ちが広がっていく。私はお母様が死ぬまで、いや死んでもペチカとして見られることはないんだと、わかり切っていたはずのに絶望する。
子供として、親に愛されたいというかわいらしい感情が、本来持っていいはずの感情があったのだとまた自分の知らない一面を見た気がした。
お兄様はこくりとうなずいて、それがディレンジ殿下の手に渡ったのではないかとさらに衝撃的な発言をする。
「ディレンジ殿下は、黒魔法にたけているからね。死者蘇生とはいかずとも……それを使って何かを仕掛けてくる可能性はある。早く、俺も捜索に加わりたいんだけどね。このざまだから」
「……そうですか。だったら、よりいっそ気を引き締めますから。お兄様が心配しなくてもいいように」
「うん、そうしてくれると助かるよ。ペチカ」
「何ですか?」
「もう、つらくない?」
と、お兄様は最後の質問というように言葉をかける。
つらくない? とは、この十四年間のことだろうか。それとも、直近の?
お兄様の瞳の奥に揺れているものを感じ取って、私は自分なりの答えを出す。
お兄様の手から離れ、私は立ち上がり胸に手を当てる。
「私、自分のこと愛してあげようと思うんです。ペチカとして、べテルのことも。幸せになるって決めたんです」
「……そっか。だったら、俺はそれを祝福するよ。行っておいで、ペチカ」
お兄様は、ふはっ、と幼く笑っていつもの憎たらしい美しい笑みを私に向けた。その笑顔を見て、私はよりいっそ頑張れる気がして、お兄様に背を向け部屋を出た。