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春雨
604
#山中柔太朗
Freesia
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勇斗に好きだと言われた夜から、三日が経った。
たった三日。けれど俺には、何週間も過ぎたように感じられた。
朝起きて、仕事に行って、メイクをして、衣装に着替える。カメラの前では笑うし、メンバーとふざけることだってできる。何も変わっていない。昨日までと同じように、五人で並んで、同じ歌を歌っている。 それなのに、勇斗の隣に立つたび、あの夜の言葉が蘇った。
――俺も、仁人が好きだよ。
何度思い返しても、現実味がなかった。 ずっと欲しかった言葉だったはずなのに、いざ手に入れてみると、どうしていいのか分からなくなった。嬉しいと思う気持ちのすぐ隣に、怖いという気持ちがある。勇斗が自分を好きだと知ったからこそ、失うことが、今までよりずっと怖くなってしまった。
知らなければよかったとは思わない。 ただ、知ってしまった以上、もう以前と同じ場所には戻れないのだと思った。
「仁人、聞いてる?」
隣から声がして、俺は顔を上げた。 楽屋では、舜太が何かを熱心に話していた。どうやら次の休みに、五人でどこかへ出かけたいらしい。
「だから、温泉とかどうかなって」
「ええやん。久しぶりにゆっくりしたいわ」
太智が頷く。
「俺も賛成。最近、全員で休みが合うことなかったし」
柔太朗がスマホを見ながら言った。
「仁ちゃんは?」
舜太に聞かれて、俺は少し考えた。
「いいんじゃない?」
「なんや、その反応。ほんまに聞いてた?」
「聞いてたって。温泉でしょ」
「絶対、途中から聞いてへんやん」
太智が笑い、舜太が大げさに肩を落とす。柔太朗まで呆れたように笑って、楽屋にいつもの空気が戻ってくる。 俺も笑った。 こういう時間を失いたくなかった。
五人で何かを決めること。誰かがふざけて、誰かが突っ込んで、どうでもいいことで盛り上がること。忙しい毎日の中で、こういう瞬間があるから、俺たちはずっと一緒にやってこられたのだと思う。
俺が勇斗を好きになったからといって、この時間まで手放す必要があるのだろうか。 勇斗と恋人になったら、五人でいられなくなるのだろうか。 その答えを、俺はまだ持っていなかった。
ただ、今までと同じように笑っている勇斗を見ていると、ひとつだけ分かることがあった。
俺は、勇斗と一緒にいたい。
それはもう、どうやっても変えられない気持ちだった。
*
仕事が終わったあと、勇斗から「少し話せる?」と連絡が来た。 断る理由はなかった。 いや、本当は、断りたくなかった。
指定された場所は、事務所の近くにある小さな公園だった。以前、撮影の合間に五人で立ち寄ったことがある。遊具もベンチも古く、特別なものは何もない。ただ、街の明かりから少し離れていて、夜になると驚くほど静かだった。
勇斗は先に来ていた。 ベンチに座ってスマホを眺めていたけれど、俺に気づくとすぐに顔を上げた。
「お疲れ」
「お疲れ。待った?」
「全然」
隣に座る。
以前なら、何も考えずにできたことだった。勇斗の隣に座って、スマホを見せ合って、くだらない話をして、気が済んだら一緒に帰る。それだけのことが、今は少しだけ難しい。
沈黙が落ちた。 何か話さなければと思うのに、何を話せばいいのか分からない。勇斗も同じなのか、しばらく何も言わなかった。
先に口を開いたのは、勇斗だった。
「考えてくれた?」
俺は頷いた。
「……うん」
「そっか」
勇斗はそれ以上、急かさなかった。 その優しさが、ありがたくて、少し苦しかった。
「俺さ、ずっと考えてたんだよね」
ようやく言葉を探しながら、俺は話し始めた。
「勇斗と付き合ったら、どうなるんだろうって」
「うん」
「今までみたいに、何も考えずに隣にいられるのかな。俺たちが喧嘩したら、五人の空気まで変わっちゃうのかな。もし別れたら、仕事ではどうすればいいんだろうって」
勇斗は黙って聞いていた。
「それに、俺たちはアイドルだから。自分たちの気持ちだけで決められないこともある。応援してくれる人だっているし、俺たちの活動を大切にしてくれている人もいる。もし何かあったら、悲しませる人がいるかもしれない」
考えれば考えるほど、心配事は増えていった。 どれだけ想像しても、確かな答えなんて出てこない。未来のことは、誰にも分からないのだから。
「俺、ずっと勇斗には幸せになってほしいと思ってた」
そこで一度、言葉を切った。
「俺といることで、勇斗が何かを諦めることになるなら、俺じゃない誰かと一緒にいたほうがいいんじゃないかって。もっと自由に生きられるんじゃないかって、そう思ってた」
「うん」
「でも、あの日、勇斗に言われたんだよね。自分の幸せを勝手に決めないでって」
思わず、小さく笑ってしまった。
「……本当に、その通りだと思った」
勇斗がこちらを見る。
「俺は、勇斗のためって言いながら、本当は自分が怖かっただけなんだと思う。好きだって伝えて、今までの関係が壊れるのが怖かった。勇斗に好きだって言ってもらえても、その先で失うものがあるかもしれないって考えたら、何も選べなくなった」
膝の上で、両手を組む。
「だから、勇斗の幸せのために離れようとした。そうすれば、少なくとも俺が原因で勇斗を傷つけることはないと思ったから」
「……仁人」
「でも、それって結局、俺が傷つきたくなかっただけなんだよね」
自分で口にして、ようやく認められた気がした。
俺は勇斗を守りたかった。 けれど同時に、自分自身も守ろうとしていた。 告白しなければ、失恋することもない。恋人にならなければ、別れることもない。最初から何も選ばなければ、何も失わずに済む。 そんな都合のいいことを考えていた。
けれど、選ばなかったからといって、何も失わないわけではなかった。 勇斗が隣にいなくなっていく時間を、俺はもう知っている。 あれは、思っていたよりもずっと寂しかった。
「俺、勇斗が好きだよ」
声に出した瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。 何度も心の中で繰り返してきた言葉だった。それなのに、勇斗の前で口にするのは初めてだった。
「ずっと隣にいてほしい。これからも一緒に笑ってたいし、何年経っても、今みたいにくだらない話をしていたい」
勇斗は何も言わず、俺の言葉を聞いていた。
「でも、それだけじゃないんだよ。勇斗が俺以外の誰かを好きになるのは嫌だし、俺の知らないところで幸せになってほしくないって思ってしまう。そんな自分勝手なことまで考えてる」
「うん」
「……それでも、勇斗と一緒にいたい」
最後の言葉は、思っていたよりもはっきり出た。 怖さが消えたわけではなかった。 未来が見えるようになったわけでもない。 それでも、怖いからという理由だけで、自分の気持ちをなかったことにはしたくなかった。
「俺、勇斗と付き合いたい」
言い終えると、急に恥ずかしくなった。 今さら何を言っているんだろうと思う。三日も考えて、散々遠回りをして、ようやくたどり着いた答えが、こんなに単純なことだったなんて。
けれど、勇斗は笑わなかった。 少しだけ目を見開いて、それから、ゆっくりと笑った。
「……うん」
その声が、あまりにも優しかった。
「俺も、仁人と付き合いたい」
勇斗がそう言って、そっと手を差し出した。 俺はその手を見つめた。
今まで何度も触れてきた手だった。ステージの上で引っ張ってもらったこともあるし、ふざけて握手をしたこともある。転びそうになったときに支えてもらったことだってあった。 それなのに、今はどうしていいか分からない。
この手を取ったら、何かが変わる。 きっと、これまでとまったく同じではいられない。
それでも。
俺は、勇斗の手を取った。
指先が触れて、手のひらが重なる。 勇斗の手は、思っていたよりも温かかった。
「……ありがとう」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
「なんでお礼?」
「分かんない」
勇斗が笑う。
「変なの」
「うるさい」
俺も笑った。 たったそれだけのやり取りなのに、ひどく懐かしい気持ちになった。 俺たちは、何も失っていなかった。
少なくとも、今この瞬間は。
*
「なあ、二人とも」
数日後の楽屋で、太智が俺と勇斗を交互に見た。
「なんかあった?」
思わず、勇斗と顔を見合わせた。
「何が?」
俺が聞き返すと、太智は疑わしそうに目を細めた。
「いや、なんか……前より機嫌ええなと思って」
「そう?」
「そうやで。特に勇斗」
「俺?」
「お前、今日ずっとニコニコしてるやん」
「いつもじゃない?」
「いや、いつもはもうちょいアホな顔してる」
「それ褒めてないでしょ!」
勇斗が声を上げ、舜太が吹き出した。
「太智、言い方!」
「事実やん!」
「二人ともうるさい」
柔太朗が呆れたように言い、楽屋に笑い声が広がった。 俺も笑った。
勇斗が隣に座る。 肩が触れた。 以前なら、そのことに意味を見つけては怖くなっていた。誰かに気づかれたらどうしよう。今まで通りに振る舞えなくなったらどうしよう。そんなことばかり考えていた。
今だって、不安がなくなったわけじゃない。
この先、何があるのか分からない。俺たちが選んだ道が、いつも正しいとは限らない。思い描いた通りの未来にならないことだってあるだろう。
それでも、勇斗が隣にいる。 その事実を、もう怖いだけのものにはしたくなかった。
「仁人」
勇斗が、小さな声で呼んだ。
「ん?」
「今日、帰り一緒に帰ろ」
「……うん」
何でもない約束だった。 今まで何度もしてきた、ありふれた会話だった。 それなのに、俺はその言葉が嬉しかった。
勇斗が俺の隣にいることは、当たり前じゃなかった。
何年も一緒にいたからといって、これからもずっと一緒にいられる保証なんてない。恋人になったからといって、何もかもがうまくいくわけでもない。
それでも、俺たちは今日、もう一度選んだ。 同じ場所にいることを。 互いの隣にいることを。
*
夜、五人で事務所を出た。
舜太と太智は帰り道の食事の話で盛り上がり、柔太朗は二人に呆れながらも、結局ついていくことになった。
「仁ちゃんと勇ちゃんは?」
柔太朗が振り返る。
「俺たちは、ちょっと寄るところあるから」
勇斗が答えた。
「そっか。じゃあ、また明日」
「おう。また明日」
四人と別れて、俺たちは並んで歩き出した。
夜の街は、昼間よりも静かだった。通り過ぎる車の音と、遠くから聞こえる誰かの笑い声。街灯の下に伸びる二人分の影が、歩くたびに重なっては離れていく。
「仁人」
「なに?」
「今日、楽しかったね」
「……何が?」
「五人でいるの」
勇斗は前を向いたまま言った。
「俺、やっぱり五人でいるのが好きだなって思った」
「うん。俺も」
「これからも、こうやってみんなで笑ってたいね」
俺は頷いた。
「そうだね」
勇斗は少しだけ黙って、それから続けた。
「でもさ、五人でいることと、仁人の隣にいたいって思うことは、別にどっちかを選ばなきゃいけないわけじゃないんだよね」
足が止まりそうになった。 勇斗は、俺のほうを見た。
「俺、ずっとそう思ってた。仁人が好きだって認めたら、何かを壊しちゃうんじゃないかって。でも、好きだって気持ちがあるからって、今までの全部が嘘になるわけじゃないでしょ」
「……うん」
「だから、俺はどっちも大切にしたい。五人でいる時間も、仁人と二人でいる時間も」
勇斗は少し照れたように笑った。
「欲張りかな」
俺は首を横に振った。
「……いや。俺も、そうしたい」
そう言えたことが、嬉しかった。
俺はずっと、何かを選ぶということは、何かを諦めることだと思っていた。 勇斗を選べば、五人で過ごしてきた時間を失うかもしれない。 五人でいることを選べば、勇斗への気持ちを諦めなければいけない。 そんなふうに、未来を二つに分けて考えていた。
でも、本当はまだ何も決まっていなかった。 俺たちがこれからどうなっていくのか、誰にも分からない。 だったら、失うことを恐れて何も選ばないより、今あるものを大切にしながら、これから手に入れたいものにも手を伸ばしてみたい。
その先で何かが変わったとしても。 変わってしまうことを、最初から失敗だと決めつけたくなかった。
「勇斗」
「ん?」
「俺、たぶん、これからも怖くなると思う」
「うん」
「急に不安になったり、やっぱりこれでよかったのかなって考えたりすると思う」
「うん」
「……それでも、隣にいてくれる?」
言ってから、少し恥ずかしくなった。 勇斗は驚いたように俺を見て、それから、ゆっくり笑った。
「もちろん」
短い返事だった。 でも、それ以上の言葉はいらなかった。
勇斗が俺の手に触れた。 今度は、俺からも握り返した。
人通りの少ない道だった。誰も俺たちを見ていない。いつか、この手をつなぐことさえ、簡単にはできない日が来るのかもしれない。
それでも、今は。 今だけは、こうしていたかった。
「……好きだよ、勇斗」
自分でも驚くくらい、自然に言葉が出た。 勇斗が笑う。
「俺も。好きだよ、仁人」
そう言われた瞬間、俺は勇斗に優しく抱き締められた。常に隣で感じていた、大きくて安心する匂い。好き、という言葉は何度聞いても、きっと慣れないと思った。 それくらい、嬉しかった。
俺たちの未来は、まだ何も決まっていない。
世間が俺たちをどう見るのかも、何年先まで一緒にいられるのかも、分からないままだ。
それでも、勇斗の隣にいることを、俺は自分で選んだ。
誰かのために諦めるのではなく、自分がそうしたいと思ったから。
勇斗の幸せを願う気持ちは、今も変わらない。 ただ、これからはその幸せの中に、俺もいたいと思う。
勇斗が笑っているとき、隣で一緒に笑っていたい。 つらいことがあったとき、何も言わずにそばにいたい。 何年経っても、くだらない話をして、帰り道を一緒に歩きたい。 そんな当たり前のような願いが、俺にとっては、何よりも大切なものだった。
――勇斗の隣は、ずっと俺の場所だった。
そう思っていた。 でも、本当は違ったのかもしれない。 隣にいることは、当たり前なんかじゃなかった。 何度でも選び直して、初めてそこにいられるものだった。
だから俺は、明日も勇斗の隣を選ぶ。 その次の日も。 きっと、その先も。
何があっても絶対に離れないなんて、今はまだ言えない。 それでも、離れたくないと思う限り、何度だって手を伸ばそう。
いつかこの恋を、怖かった思い出として振り返る日が来るのかもしれない。 それでも、好きになったことだけは、後悔したくなかった。
「仁人、帰ろ」
勇斗が言った。 俺は笑って頷いた。
「うん。一緒に帰ろ」
その言葉の先に、どんな未来が待っているのかは分からない。 それでも今夜、俺たちは同じ方向へ歩いていく。 それだけで、十分だと思えた。
コメント
3件
今の関係が大切で、関係を変えるのがこわくて、踏み出せなかった💛さんが、ちゃんと、踏み出せたことがじんわりと来ました😭 素敵な物語をありがとうございます!!
第5話、読み終わりました。仁人が自分の気持ちと向き合って「一緒にいたい」と答えを出すまでの流れが、本当に丁寧に描かれていて胸にきました。特に「勇斗の隣は、ずっと俺の場所だった」と思っていたけど、それは当たり前じゃなくて、何度でも選び直して初めてそこにいられるものなんだ、という気づきにじんわりしました。勇斗が「どっちかを選ばなきゃいけないわけじゃない」と言ったときの優しさも素敵で。何気ない帰り道のやりとりが、宝物みたいに輝いて見えました。素敵なお話をありがとうございます。